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聖球
ディアリンドは今日も朝から教会の長い長い廊下を奥へと向かっていた。
朝の気温が冷えるようになってきた。
暑さもすっかり遠のいて、巡礼の出発まではもう半月ほどだ。
サキ様に彼が関わるようになって、サキ様は聖力の扱いがグンと上達した。
それに、思い詰めたような顔ばかりしていた夏と比べてずいぶんと明るく笑うようになった。
これなら今年の聖地巡礼はうまく行くだろう。
彼はもしや高名な聖女様だったのだろうか。
そう思い、騎士団にある500年分の聖女様の記録を辿ってみたが、ケイタ、ケイマ、とケイとつく聖女様はたくさんいらしたが、ケイという名の方は見つけられなかった。
500年より古い記録は教会の管理下だ。
依頼すれば調べてはもらえるが、私が彼をこそこそ調べていると知られては、余計な軋轢を生みかねない。
私は仕方なく、それ以上彼について調べることを諦めた。
「ケイ様」
彼を呼ぶエミーの声に、私は反射的に振り返ってしまった。
最初は、その名を耳にするのが嫌だった。
どうしても、ケイト様を思い出してしまうから。
エミーはどうして彼をあんな風に呼ぶのか。
俺や同僚を呼ぶときのように気持ちを込めずに呼んでくれれば、こうも振り回されないはずなのに。
エミーがあの頃のケイト様を呼ぶように、さも大事そうに彼を呼ぶのが、初めの頃の私にはどうしても理解できなかった。
エミーの視線の先には、想い人とは似ても似つかぬ男がいた。
彼の姿を見るたびに“違う”と思い知らされてしまうのが辛くて、私は当初、彼をなるべく見ないようにしていた。
なんの話をしているのだろうか。
2階の渡り廊下にいる2人の声はここまでは届かない。
エミーの話をうんうんと頷きながら聞く彼が、エミーに柔らかく微笑みかける。
そんな優しい、花のような笑みを、浮かべる事ができる男もいるのか。と、私はサキ様と話す男を見て初めて知った。
彼をじっと見上げていると、あの日、私が彼を突き飛ばしてしまった時の、悲しげな顔が浮かんだ。
私はまだ、彼にあの時の謝罪をできないままだった。
鈍く響く胸の痛みを堪えて、私は彼から無理矢理視線を外すとまた歩き出した。
エミーは彼をケイト様と同じように……、いや、もしかしたらそれ以上に彼に心酔し、彼を守ろうとしている。
しかもそれはエミーだけでなく、司祭様やロイスやサキ様、近頃では教会の聖騎士達までもが彼を慕い、守ろうとしている様子だ。
彼が悪い人ではないだろうことは認めよう。
それでも、この状況はいささか傾きすぎではないだろうか。
我々は本来、聖女様を中心としてまとまるべきなのに。
今はその中心が彼となってしまっているような気がする……。
私は、せめて私だけは、彼の温和な空気に流されることなく、最後までしっかり彼を警戒し続けなくては。
聖女様をお守りできるのは、我々護衛騎士だけなのだから。
***
護衛騎士用の控え室にロイスが重そうな木箱を抱えて入ってきた。
中をのぞけば、箱いっぱいの水晶球が神々しい程の白色に輝いている。
「!?」
私は思わず言葉を失った。
これは……、昨年我々が使い果たしたはずの聖球ではないか……。
じゃらりと木箱いっぱいに入ったそれを、そっと手に取ってみる。
1つ1つにたっぷりと溢れんばかりの聖力が注がれたそれは、まさにあの方が……ケイト様が我々に残してくださった聖球と同じものに見えた。
「……これは……、どうしたんだ……」
なんとか口にした自分の声は、小さく震えていた。
ロイスはへらりと笑って答える。
「いやぁー、倉庫の整理をしてたらさ、まだ残ってたんだな、これが」
「そんなはずはない。在庫と使用数は合致していたはずだ」
「だから、その在庫が数え間違ってたんだろうよ」
「そんなはずは……ない」
私達は使い果たしてしまったはずだ。あの方のご慈悲を。
不意に私の肩にロイスの腕が回される。耳元でロイスが低く囁いた。
「団長様からのお達しで『そういうこと』になってんだよ。いいからお前も飲み込め」
「な…………」
「我々のため力を尽くしてくださった、そのお心を無駄にするな」
言うだけ言って、ロイスは部屋を出る。
部屋に残された3つの木箱には、どれもぎっしりと聖球が詰まっていた。
我々のため……力を尽くした……?
……一体、誰が……?
サキ様はまだ聖球の作り方を習っていないはずだ。
これは、巡礼が無事に済んでから、残りのひと月で行われる作業だから。
それを知っていて、実際に聖力を込めてこれを作り出せるのは、巡礼を終えた……元聖女様……。
ふと、脳裏に彼の姿がよぎる。
最近彼はずっと部屋に篭っていると聞いた。
ダメだ。考えるな。
私までが彼に染まってしまうわけにはいかない。
この巡礼を成功させて、聖女様を守り抜く。
そのために、聖球はあるに越した事はない。
誰が作ったのかは、関係ない。
使えるものは使わせていただこう。
私は貴重な聖球をそっと箱に戻した。
その優しい輝きは、やはり、あの方の聖球と同じに見えた。
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