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大丈夫だよ
馬から飛び降りたディアリンドの耳に聞こえたのは、悲痛な叫びだった。
あけ放たれた扉から、強大な魔力があふれ出ている。
こんな街中で大魔法を放った日には町の半分は焦土だ。
部屋に飛び込んだ私は、まだ魔道具に力が溜まり切っていない事を確認すると、それを抱える男の首を切り落とした。
しかし半分以上力を注がれた魔道具はバチバチと暴発の兆しを見せている。
即座に拾い上げ外に出ると空に向かって力いっぱい投げた私を追ったのは、あの方だった。
走りながらも素早く術式を編み上げた彼は、空に向かって手を伸ばす。
彼の頭上で魔道具が炸裂する――。
「ケイ様!」
私は必死で彼に覆いかぶさった。
けれど、私の背に届いたのは思ったほどの衝撃ではなかった。
そこでようやく私は気づいた。
ケイ様があの魔道具を障壁で包んで、威力を軽減させたのだと。
確かにあのままではこの周囲の建物のいくらかに影響が出ていたのは間違いない。
「いてて……」
私の下で、彼は小さく痛みを訴えた。
私は魔物討伐用の甲冑を着たままの状態で彼を下敷きにしてしまったことを知り、青ざめた。
「も、申し訳ありませんっ!」
慌てて飛びのくと、彼は「いいよいいよ……、気にしないで。助けてくれてありがとう……」と力なく答えた。
が、彼はそれきり、起き上がる気配がない。
どこか……お身体を私の甲冑で潰してしまったのではないだろうか。
「ケイ様……」
おそるおそる、その名を口にすると、彼は泣きそうな顔で笑った。
「ごめんね、ちょっと今、動けそうにないんだ。あの小屋の地下牢に人が沢山つかまってて、エミーもいるから行ってみてくれるかな」
そう言われても、こんな地面にこの方を置いたままでいけるはずがない。
「わかりました!」と後ろから声がして振り返れば、ロイスが騎士を三人連れて小屋へ入って行った。
「ディアリンドも、行ってくれたらいいよ? 俺は大丈夫だから……」
ケイ様がぱちぱちと瞬きをしたのを見て、それが目に入った汗のせいだと気付いた。
一体どこが大丈夫だというのか。
この方は……自身の汗を拭うことすらできないのに……。
私は小物入れからハンカチを取り出して、彼の汗をそっと拭う。
こんなに汗だくで、息を切らして。
彼が今までどれほど必死で戦っていたのかは、一目見れば十分に分かった。
そしてそれが自分だけでなく誰かを守るためだったことも。
私は駆けつけた際に聞いた声を思い返す。
あの時も、ケイ様はエミーと誰かを逃がそうとしていて、自分は大丈夫だと主張していた。
私にもわかってきたことがある。
ケイ様のおっしゃる「大丈夫」は全然大丈夫ではない。
この言葉は、信じてはいけない言葉だ。
「ケイ様!」
無事救出されたらしいエミーが駆け寄ってくる。
その後ろから、見慣れない少年が続いた。
私はすぐさま少年の前に立ちはだかる。
エミーが、喋るのもお辛いらしいケイ様に代わって事情を説明した。
ふいに、ケイ様の口元にエミーが顔を寄せる。
何か話したいことがあったらしい。
エミーには視線だけで主人の意思まで分かるというのか。
「ええと……ケイ様は、この少年を……彼さえよければ巡礼に連れて行きたいそうです」
その言葉に少年はパッと顔を輝かせ、私は眉間に深く皺を寄せた。
***
俺は少年の喜んでくれる顔を見て、ホッとした。
ホッとした拍子に、俺はうっかり意識を手放してしまったようだ。
遠のく現実感に、もう何度目になるか分からない反省を繰り返す。
ごめんエミー、ディアリンド……。
しばらくしたらちゃんと目を覚ますから。
だから……、あんまり……心配しないで……。
どのくらい眠っていたのか、ガタゴトと一定のリズムで繰り返される音を聞きながら俺はゆっくりと目を開いた。
ああ、馬車の中か……。
俺が眠ったままだったから、そのまま乗せて連れ出してくれたんだな。
窓から差し込む日差しはもう十分に明るくて、既に昼に近いようだ。
「ケイ様!」「ケイ様っ」
エミーの声に続いたのはあの少年の声だった。
体を起こそうとして、ようやく自分が寝かされているのが馬車の座席の上でない事に気づいた。
こ、これは……?
一瞬恐ろしい予想をしてしまって、おそるおそる後ろをうかがえば、そこには予想していたロイスではなくディアリンドの顔があった。
いや待って?
なにこれ。
俺、ディアリンドに後ろから抱えられて寝てたって事……??
「な、な……、なんで、ディアリンドが……」
「私の馬車ですので」
「いやそうじゃなくてっ」
「お迎えが遅くなり、大変申し訳ありません……」
彼は苦し気な声でそう言って、頭を下げた。
え?
その謝罪は昨日の続き?
もしかして彼は昨日謝りそびれた、その言葉を言うためにここに乗ってたの??
そんで、狭かったから俺の肉布団になってたの……??
頭の中を疑問符でいっぱいにする俺にエミーが言う。
「ディアリンド様は、ケイ様をそのまま座席に転がすなどできないとおっしゃいまして……」
エミーの声から『私も精一杯お止めしたんですが』という思いが伝わる。
そうか……。
そうだろうね……。
ディアリンドはこうと決めたら絶対な人だからなぁ。
つまり彼は、自らの意志で俺の布団になっていたのか……。
あ、もしかしたらあの時一瞬俺を押し潰してしまったことを気に病んでいるのかもしれないな。
俺は、座席に座り直してディアリンドに向き直る。
正面で向き合えば、やはり互いの膝が少し当たってしまうけど、さっきまで膝どころか全身触れてたんだし、もう気にしなくてもいいのかな。
全身……。
そう思ってから、彼と触れ合い熱を交わしていた全てがカアッっと熱くなった。
うう、こんな、善意からの彼の行動を、俺だけ意識しちゃうのは良くない……。
彼にも失礼だ……。
ディアリンドは俺の返事がもらえるまでは頭を下げた謝罪姿勢のままでいるつもりらしく、俺を下ろした後で再度頭を下げていた。
本当に、真面目だなぁ……。
俺は小さく苦笑すると、ディアリンドに「頭を上げて」と囁く。
深い青色の瞳が、俺をまっすぐに見つめた。
「ディアリンドは全然遅くなかったよ。俺もエミーも無事だったし、町に被害も無かった。巡礼の日程も滞りなく……」
進んでるんだよね?
え、俺何日も寝てたとかじゃないよね?
チラと視線でエミーを見ると、エミーは『はい』という顔で頷いた。
「……進んでるわけだし、謝る事なんて何もないよ」
俺の言葉に、ディアリンドは「ですが……」と呟く。
うーん。この頑固者にはなんて言ったら納得してもらえるのかな。
どうも、俺を危険な目に遭わせてしまったこと自体を悔いてるみたいだから、何を言ってもダメかも知れないけど……。
彼の心を、少しでも軽くしてあげたい。
「俺はディアリンドなら絶対来てくれると思ってたから全然不安じゃなかったし、ディアリンドが来てくれるのを待つ間も楽しかったよ。助けに来てくれて本当にありがとう。ディアリンドが来てくれて、俺、凄く嬉しかった……」
俺は心からの言葉を伝えて、感謝を込めて微笑む。
ディアリンドの切れ長の青い瞳が、俺の目の前で丸くなった。
ぎゅっと唇を引き結んでいるのは、そうしないと口角が上がりそうなんだろうか。
赤くなる顔を俺から逸らそうとして、失礼にならないかと躊躇う様までがいじらしい。
「あ、貴方様が、ご無事で、本当によかったです……」
ディアリンドが懸命に紡いでくれた喜びの言葉に、俺も笑顔で応える。
「ディアリンドのおかげだよ」
ディアリンドはとうとう真っ赤になってしまった。
俺が聖女だったときもこんな感じだったけど、相変わらず感謝の言葉に弱いのかな。
まあ誤解されやすい性格してるからなぁ……。
彼は頑張り屋さんなのに、残念な事に、感謝とは縁遠い人生を送っているのだろう。
とりあえずこれでディアリンドの方は大丈夫かな。
相変わらず彼にはあまり名前では呼ばれないけど、昨日みたいにピンチの時は呼んでくれてたから、普段は単に恥ずかしいだけなのかも知れないな。
とりあえず、嫌われているわけではないようなのでヨシとしよう。
俺は、俺の隣でここまでの会話を黙って聞いていた少年に視線を移す。
俺の視線に、プラチナブロンドの少年は小さく肩を揺らした。
え、大丈夫だよ、怖くないよ?
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