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星空と、悪夢と、俺のささやかな努力
城塞都市での生活もひと月半を過ぎた。
この街で暮らすのもあと少しだな……。
夕食後に書庫にお邪魔させてもらっていた俺は、貸していただいた本を大事に抱えて、渡り廊下から夜空を見上げた。
キンと冷え切った冬の空には、満天の星が瞬いている。
綺麗だな……。
教会を囲む厚い外壁の上に、夜風になびく青い髪とハーフマントを見かけて、俺は思わず足を止めた。
エミーを振り返ると、エミーは『仕方ありませんね』という顔で肩をすくめてくれた。
「風が冷たいので、長居はなさいませんよう」という忠告付きで許されて、俺はそこへと向かった。
俺の左脇で、セリクが俺を見上げる。
どこに行くのだろうか、という顔をしているな。
セリクはあの日の俺の願い通りに、いつでもずっとぴったり俺の横を歩いてくれている。
「一緒に、星を見に行こう」
「星……ですか……?」
セリクは不思議そうに首を傾げた。
その言葉は、どこかで聞き覚えがあった。
外壁の通路に足を踏み入れると、ディアリンドはすぐ俺達の気配に気づいて振り返った。
流石ディアリンドだとは思うけど、正直ちょっと残念だ。
あの美しい横顔を、できるならそっと見たかったな……。
「ケイ様……?」
俺の名を口にしたディアリンドがハッと口元を押さえる。
少しだけ俯いたディアリンドの表情は、まだここからでは分からない。
俺がディアリンドの方へ向かうと、彼も俺の元へと駆け寄った。
「どうなさったんですか? ここは冷えます。お寒くありませんか?」
心配そうに俺をのぞき込む青い瞳。
それだけで俺の心はぽかぽかと温かくなる。
「ディアリンドの姿が見えたから、何してるのかなって思って……」
「わ、私は、何も……」
青い髪が、狼狽える様に揺れる瞳を隠す。
もしかして俺、なんかまずい事聞いちゃったのかな。
「あ……ごめん。1人の時間を邪魔しちゃったみたいで……。いきなり顔出して悪かっ……」
「いえ! そのようなことは、決してありません!」
俺の謝罪を、ディアリンドの叫びが掻き消した。
白い手袋に包まれたディアリンドの両手がぎゅっと握りしめられている。
俺は、ディアリンドの声にびくりと肩を揺らしたセリクの小さな肩を撫でてから、口を開く。
「そっか、ありがとう」
「その……星が見えたので……。もっと近くで見ようと思い、ここへ参りました……」
彼は、途切れ途切れながらも、自分の行動を振り返りながらひとつずつ説明してくれる。
「ディアリンドは星が好きなの?」
「わ、私……は、その……」
またも狼狽えるディアリンドの頬が、なんとなく赤くなってきた気がする。
「ええと……、別に俺が尋ねたからって絶対に全部正直に答えないといけないわけじゃないんだよ?」
「いえ。私が……、貴方様に嘘偽りをお伝えしたくないのです……」
うーーーーん。真面目だなぁ。
「正確には、星がお好きだったのは、先々代の聖女様で……」
俺じゃん。
いやでも俺は別にそこまで星が好きってわけではないけどなぁ。
まあ、見れば綺麗だとは思うけど、星に詳しいわけでもないし。
「あの方が美しいとおっしゃっていたので、私も……近くで見たくなりました……」
近く、かぁ……。
確かに地上より壁の上の方が若干? 気持ち? 近いかも知れないけど、星との距離を考えると正直ほとんど変わらない気がする。
それでも、誠実に少しでもそこへ近づこうとするディアリンドが、やっぱりまっすぐで彼らしくて、とても素敵だと思った。
「そっか。話してくれてありがとう。とても嬉しかったよ」
彼のまっすぐな気持ちに感謝を伝えて微笑むと、俺も空を見上げる。
「本当に、綺麗な星空だね……」
遮るもののない広々とした夜空一杯にきらめく輝きをうっとりと眺める。
俺の言葉にディアリンドが「はい」と答えた。
エミーも「美しいですね」と感嘆するような声で答えている。
ふと、セリクも見ているだろうか、と左下を見る。
すると目が合う。ということは、彼は星ではなくなぜか俺の顔を見ていたということだ。
「セリク、星が綺麗だね」
言って微笑めば、セリクがキッパリと言う。
「ケイ様の方がずっとお綺麗です」
いや、なんでだよ!
それはないよ! 流石にない!!
ふわふわのプラチナブロンドに黄緑の大きな瞳の愛らしいセリクとか、青髪青眼が凛々しい美形のディアリンドにならまだ通用するかもしれないけど、さすがに俺にそれは無理だよ!
そう思ってから、あの時ディアリンドもそんなことを言っていたなと思い出した。
ああ、思い出した。さっきのセリクの台詞もそうだったんだ。
あれは、一昨年のキリアダンで、聖女だった俺がテラスから星空を見ていた時のことだ。
何をしているのかと尋ねたディアリンドに俺が『星を見ているんです』と答えた時、ディアリンドは言った。
「星……ですか……?」
彼にとって星は外で現在地や時刻を知るために使うもので、眺めて愛でるものではなかったんだろう。
キョトンとした顔が可愛いなと思った。
俺が『ええ、とっても綺麗ですよ、ディアリンドも見ませんか?』と誘って、彼は空を見上げた。
その上で、星空と俺を見比べてからああ言ったのだ。
「ケイト様の方がずっとお綺麗です」
だからそうじゃないよ。
それとこれは比べるものではないし、そもそもそういう話ではない。
それでもやっぱり、俺はその言葉が嬉しかったんだ……。
俺はセリクと思い出の中のディアリンドに苦笑を浮かべてから、あの時と同じ言葉を言った。
「ありがとう。でも星もキラキラしてて綺麗だよ? 一緒に見ようよ」
セリクは頷いて、視線を空へと投げる。
皆で一緒に見上げた夜空は、今までで一番綺麗だった。
***
「っ、……は……っ」
俺はバチっと目を開いた。
しんと静まり返った部屋で、俺はゆっくり体を起こす。
全身にじっとりと嫌な汗がまとわりついていた。
ああ、夢だったのか……。
隣のベッドではセリクが丸くなるようにして眠っている。
規則正しいセリクの寝息に、俺は夢から覚めたことを実感する。
皆で星を見たのがよかったのか、彼も今夜はむずかることなく眠りについてくれた。
栄養状態が良くなってきたおかげか、セリクは時々興奮して夜寝られなくなることがあった。
まあ、今までずっとそういう環境で暮らしていたのに、急にそれが無くなってもすぐには身体が慣れないんだろうな。
そういう時はセリクが落ち着くまで、俺が宥めてやっていた。
俺は「はぁ」とため息を吐いて目元を覆う。
額に触れた自分の指は、小さく震えていた。
翻るのは赤い色。
あの時、ディアリンドの一刀で、首から離れた男の頭はごとんと床に落ちた。
初めて目にした人の最後が、どうしても強烈で、今も時折瞼裏に蘇ってしまう。
……そのせいか、久しぶりにあの時の夢を見てしまった。
聖女だった頃、俺はキリアダンを出て二つ目の結界柱の浄化中に、一人の護衛騎士に大怪我をさせてしまった。
その人は21歳で長い銀髪が綺麗な、静かで控えめな人だった。
誰の話も静かに聞いてくれる彼の、小さく微笑む横顔が好きだった。
まだ若かったのに、前途有望な騎士だったのに。
俺を庇った彼は片腕を失って、一命こそ取り留めたものの、巡礼の旅から離脱した。
本当は誰一人失いたくなかった。
俺があの時もっと治癒魔法が出来たら、あんなことにはならなかったのに……。
それから俺は、必死で治癒魔法を学んだ。
今の自分ならあの状態からでも、すぐに腕をつなげてみせる。
そう言えるだけの技術を身に着けた。
……それでも、今年はあれよりもずっと厳しい戦いになるはずだ。
ディアリンドも、咲希ちゃんも……。
……誰も……、誰一人、俺は失いたくない。
ぞくりと体が震えたのは、死への恐怖か、それとも寒さからか……。
汗で濡れた俺の身体から、深夜の冷たい空気が急速に体温を奪っていた。
まずは汗を拭いて着替えた方がいいな。
風邪を引いては皆の足手まといになってしまう……。
そっとベッドから抜け出したけど、それでもエミーには気付かれてしまった。
「ケイ様……?」
「ごめん、起こしちゃった?」
「いいえ、いかがなさいましたか?」
「着替えようかと思って……。あ、ひとりでできるからエミーは寝てて」
「お手伝いいたします」
エミーは俺の制止をものともせずに、スッと起き出してサッと俺の着替えを出してくれた。
「ありがとう……」
「夢見が良くありませんでしたか?」
俺の汗の量から、悪い夢を見たのだとエミーも気付いたようだ。
俺は少し迷ってから、口を開いた。
「…………シルヴィンの、夢を見て……」
それが銀髪の彼の名だった。
エミーは「……そうですか」とだけ答えた。
どう慰めたところで俺の罪悪感は消えないと分かってくれているエミーのおかげで、俺は余計な気を遣わずに済んだことをホッとする。
「ありがとう、エミー」
「あと2時間はお休みになれますが、いかがなさいますか?」
すぐに寝直せと言わないでくれるところが、エミーは本当に俺の事を分かっていてくれるなと思う。
「うん、もう目が覚めちゃったから、本を読んでいるよ。灯かりをつけてもいいかな」
「ご用意いたします」
「エミーはもう少し休んでいてね」
「かしこまりました」
エミーは言葉通り、俺の近くに灯したランプを置くと、奥の部屋のベッドへ戻った。
俺は昨夜書庫から借りてきた分厚い本を手に取りページをめくる。
これは治癒魔法の中でも最高難易度の本だった。
ここにある内容が理解できれば、瀕死の重傷からでも救う事ができるかもしれない。
全部は理解できなくても、今より効率的に運用したり他に応用できることがあるはずだ。
他にも書庫からは障壁や解毒や強化の魔法の本を借りてきていた。
キリアダンを出るまでに、俺もできる限り力をつけなきゃ……。
エミーもセリクも、ディアリンドも咲希ちゃんも、騎士団の皆を、俺は守りたい。
誰一人失いたくない。
あんな思いは、もう二度としたくないから。
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