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黒い雷
ディアリンドと仲間たちは広い森の中で、背中合わせで死角を消しつつ一体、また一体と魔物を斬り伏せていた。
魔物の残骸は、サキ様が一つずつ浄化してくださっている。
けれども魔物は圧倒的に数が多く、あの方が瘴気を薄めてくださったにもかかわらず、サキ様の聖力は残り少なくなっていた。
「もうあと4体ですっ」とおっしゃるサキ様が眉を顰める。
「……でもこの……1体だけ、すごく強そう……」
サキ様のお言葉通りに、その魔物はいまだかつて見たことがないほどに育ってしまっていた。
他の魔物の4倍はありそうな体躯に人のような大きな両手を広げたそれは、今まで我々が戦った事のない相手だった。
「サキ様は我々の後ろに!」
サキ様を後ろに庇って、我々は陣形を組んだ。
大型の魔物を倒す際の陣形だ。
しかし、ゆっくりと両手を広げた魔物はその大きさに見合わぬ俊敏な動きで、一瞬で我らの陣形の後ろへ回り込んだ。
「反転!」
焦りが滲む。
サキ様より後ろには、誰も居なかった。
魔物の巨大な手がサキ様目掛けて振り下ろされる。
「きゃぁっ」
バチッと鋭い音を立ててそれをはじいたのは、白く輝く盾だった。
「咲希ちゃん! こっちに!」
足をすくませていたサキ様が、その声に弾かれるように駆け出す。
魔物がそれを追うように動き出すのを三人がかりで止める。
「!?」
魔物の腕を確かに斬り落としたはずの剣が、肩透かしを受けて地に刺さる。
「なんだこれは……っ」
私を含め、魔物にとびかかった騎士達が後ろへ飛びのく。
「剣が効かないの!? じゃあこれで斬ってみて!」
良く通る声と共にふわりと白い光が手元に舞い降りて、握る剣から聖なる力を感じる。
あの方はこんな高等な付与魔法まで……!?
私を含め魔物に近かった5人ほどの剣が光り出している。
私達はその光に励まされるようにして魔物へと斬りかかった。
ザンッ!
大きく振った剣に確かな手ごたえを感じる。
相手が大きすぎて一太刀では倒せないが、しっかりと5か所を裂かれた魔物が後ろへ下がった。
不意に、魔物が両手をこちらへ向けた。
まるで魔術師が術でも放つような動作に、一瞬違和感を感じる。
「下がって!」
彼の声に応えて下がった5人の内、標的となったのは私だけだった。
魔物の両手の前に浮かんだのは、間違いなく魔術式だ。
――魔物が術を使うだと!?
そんなまさか!!
「リン! 危ない!!」
咄嗟に剣で防御姿勢を取るものの、これで防げるようなものではない。
ん? 今、リンと呼ばれたような?
それは私の幼い頃の愛称だ。そう呼ぶのは、母とケイト様だけのはずだ。
闇を集めたような黒い稲妻が、私に飛び掛かる。
痛みを覚悟した私の前に、白い盾が現れた。
これは……!
バチバチと荒れ狂う黒い雷は白い盾に絡みつくと、そのまま力の源をたどるように流れを遡る。
「うわっ」
気づいたケイ様が術を解こうとする。
しかしケイ様が術を解ききるより、黒い雷がケイ様にたどり着く方がほんの少し早い。
ケイ様が「ごめん!」と叫んですぐそばにいた少年を蹴り飛ばす。
迫る黒雷に、ケイ様の表情に恐怖が滲む。
バチバチィッと耳をつんざくような轟音と共に、それはケイ様に突き刺さった。
「ぅ゛あ゛っっ!!!」
「「「ケイ様!」」」
叫ぶ声はいくつも聞こえた。
「いやぁっ!」
取り乱した声は、サキ様のものだ。
ケイ様は全身を黒い稲妻に引き裂かれて地に沈む。
見る間にそこへ血だまりが生まれる。
ケイ様は震える指で、自身に浄化をかけ始めた。
「だい、じょうぶ、だよ……、エミー、咲希ちゃんを……助けて、あげて……」
ケイ様はその身を赤く染めてもなおサキ様の心配をなさった。
けれど大丈夫だというその言葉は私をさらに不安にさせた。
「っ、はいっ」
エミーが気丈に答えてサキ様の背をさする。
ここで聖女様までが崩れてしまっては浄化が成り立たない。
それは分かるが、それはケイ様がしなくてはならない心配なのだろうか。
それではケイ様の事は誰が助けるというのか……。
「いくぞ!」
「おう!」
その隙に仲間達が魔物へ斬りかかる。
一瞬遅れて私もその輪に加わる。
今まで倒すべき敵として斬っていた魔物が、今の私には憎い仇に見えた。
黒雷に怯えたケイ様の顔が頭から離れない。
どうして私は守れなかったのか、あの方はどうして私を守ってしまったのか。
……こんなに、魔物を倒したいと思ったことは、今までなかった。
一瞬遅れて、ケイ様に飛ばされた少年が転がるように走り寄ってきてケイ様に縋りつく。
少年には、自分が飛ばされたのはあの黒雷に巻き込まれないためだったのだと、すぐわかったようだ。
「セリ、ク、助けて……」
「ケイ様! いくらでも使ってください!」
今にも途切れそうな声に、少年が全力で応えた。
途端、あれほど大きく裂けていた胸元や、傷だらけになっていた腕がどんどん治ってゆく。
「っ、は……っ、ぐ……」
それでもまだケイ様は荒い息を漏らして苦し気に眉を寄せている。
こんな小さな少年には求めたのに。
私は一度も、彼に助けを求めてもらえなかった。
その事に、私はなぜか酷くショックを受けた。
こんなにお辛そうなのに……。
私には、ただ見守る事しか許されないのか……。
見たこともないほどの治癒精度と速度に、皆の視線が集まる。
ロイスを治した時の比ではない。
あれから今までのうちに、治癒の勉強をする時間なんてあっただろうか……?
考えてから、星を見上げたあの日、彼が確かに治癒や強化の本を手にしていた事を思い出した。
あれから……ここまで……ずっと勉強を……?
皆がケイ様の治癒魔法を褒めたたえる中で、私は、ケイ様のそばにぴたりと寄り添う少年の口元が醜く歪んでいる事に気づいた。
………………その表情はなんだ……?
この少年は良くない。
なんとなくだが、そんな気がする。
けれど何の証拠も無しにそう言ったところで、セリクを大切にしているケイ様を傷つけてしまうだけなのではないだろうか。
私が悩むうちにケイ様は話せる程度に回復したのか、ロイスに上体を抱き起こされた姿で私に声をかけてくださった。
「ディアリンド、……怪我してない?」
「……っ」
力いっぱい両手を握りしめて、奥歯をかみしめても、涙を止めることはできなかった。
「私に怪我は……ありません……。全てケイ様が……引き受けてくださったから……」
この怪我は、本来私がするはずだったのに。
その痛みは全て私が受けるべきだったのに。
どうしてケイ様がそれを受けてしまわれるのですか……。
私は、ケイ様には、ずっと笑っていてほしいのに。
どうして私には守らせてくださらないのですか。
「な、泣かないで、ほら、俺は治ったからさ」
ケイ様の困ったような声、しかしその胸にはくっきりと傷痕が残ってしまっていた。
「ですが、痕が……」
「あー、ちょっと浄化の時意識朦朧としてたからかなぁ。それか治癒の時にミスったか……。とにかく、こんなのは気にしなくていいよ」
「……」
気にせずになんて、いられないに決まっている。
「おーい、泣くなよディア」
「ディアはくそ真面目だからなぁ」
隊員たちのからかうような声が投げられる。
私だってこんなところで泣くつもりなどなかった。
けれど、自分のあまりの不甲斐なさに、もう心が耐えられなかった。
「全員、結界柱の浄化を行う」
団長の静かな声に、団員達が無駄口をやめて作業に移る。
私は涙に滲んだ頭の隅でぼんやりと考える。
そういえば、さっきのは聞き間違いだったのだろうか……。
先程ケイ様がいつものように『ディアリンド』とおっしゃったのを、私は胸の中で反芻していた。
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