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傷痕とクッキー缶
巡礼の最後の日、8か月に渡る行程を無事に努めあげたサキ様は、せめて帰りの馬車だけでもケイ様と乗りたいとおっしゃった。
その上で、どうせなら違う馬車にも乗ってみたいというサキ様のご要望にお応えした結果、今日はルクレイン家の馬車にサキ様とサキ様の従者とケイ様と私が乗り込んでいた。
いつもサキ様に同乗しているキールはいつもの馬車だ。
エミーとセリクも向こうに乗っている。
普段ケイ様から片時も離れないセリクを彼から引き離すにはここしかないと思った。
私が自分の馬車に乗ると主張すれば、セリクは向こうの馬車に行くだろう。と。
実際そこまでは思った通りに事が進んだが、問題はセリクの事をケイ様に何と伝えるか、だった。
私が朝から延々と悩んでいるうちに日は陰り、馬車は目的地である教会に近付きつつあった。
むしろ、この件はケイ様にではなくエミーとロイスに伝えるべきかも知れない。
私はそんな無難な結論にようやくたどり着く。
馬車の中では、ケイ様とサキ様の話が途切れることなく続いていた。
こんなに長く女性と話し続けられるケイ様は凄いと思う。
私では一言二言で終わってしまうのに。
「そうだねー、あの時はびっくりさせちゃってごめんね」
「びっくりだなんて、あの時ケイさんが来てくれなかったら、私やられちゃってましたよ」
いつの間にか、おふたりは魔術を使う特異な魔物と戦った時のお話をなさっていた。
「傷痕が残っちゃったんですよね」
「うん、でも俺元々傷があるから。今更増えても問題ないよ」
言って、彼は右腕の内側をサキ様に見せた。
私は内心驚いた。
彼の世界に、彼に傷を負わせるものがいるなんて考えてもいなかった。
「本当ですね、うっすら……。この傷どうしたんですか?」
「小さい頃弟を庇ってね、野犬にちょっと齧られちゃったんだ」
「小さい頃……って何歳くらいだったんですか?」
「弟が4歳だったから、俺は6歳くらいだね」
「わー、かわいかったんだろうなぁ。弟を守るお兄ちゃんかぁ……」
サキ様が幼いケイ様を想像してか目を細める。
「その頃から、ケイさんは強くて優しかったんですね」
「あはは、強くはなかったけどね。めちゃくちゃビビってたし、噛まれて大泣きしたから」
私の心が騒つく。
彼を怖がらせ、彼の腕にその牙を立てたという犬を、今すぐここへつれてこい。
私が八つ裂きにしよう。
「それでも弟君を守ったなんてかっこいいですよ」
「お兄ちゃんだからね」
そう答える彼が、弟をどんなに大切に思っているのかが透けて見えたようで、私は眩しく目を細めた。
「いいなぁ、私もお兄ちゃんがよかったー」
「咲希ちゃんはお姉さんがいるんだったよね」
「はい、うちは……」
いつまでも続くおふたりの会話を聞きながら、私は思う。
彼の胸に残ってしまった傷痕……。
あれは……浄化不良でも治癒魔法のミスでもなく、治癒に使った魔力に、あの少年の欲が乗ってしまったからではないだろうか。
ケイ様はセリクを大切になさっているし、セリクもケイ様に一途に付き従っている。
けれど、セリクはあまりにもケイ様だけを強く望んでいる気がして……。
私はやはり、何とも言えない不安を胸に重く感じた。
***
スケジュールはちょっと押したけど、聖地巡礼が無事終わり帰還式典も終わって、俺達は約一か月の帰還準備期間に入っていた。
俺は、鏡に映った自分の姿に、シャツの首元を引っ張る。
首元の傷は、襟の空いた服からでは少し見えてしまいそうな位置だった。
あー……。傷痕なぁ……。帰ってもやっぱり残ってるよなぁ……。
母さんや蒼に見られたらなんて言い訳しよう……。
鏡の前で頭を抱える俺に、エミーが何やら持ってきた。
「こちらはお化粧品のひとつで、傷を隠すのに使われるものなのですが……」
「そっか、そういう手があるか! 教えてもらってもいい?」
「はい」
俺はエミーに練薬のような物の使い方を教わる。
姿が変わるのは、意に添わず召喚された者を守るための安全装置でもあったんだなぁ……。
俺は、巡礼に参加する前に司祭様に言われた言葉を思い出していた。
聖女はこの世界で命を落としても、その魂は元の世界に無事帰る。
こちらにいる間だけの体を作る事で、傷が残っても、たとえ腕を失っても、聖女は元の世界に戻る時には完全復活するわけだ。
ただし、元聖女は違う。
自分の意志でこの世界に来た元聖女には、聖女の頃についていた特典がつかなくなる。
魔力はないし、聖力も本人の器の分だけ。
怪我をすればそのまま、死ねばもちろん命を落とす。
『ケイ様がそれでも行くとおっしゃるのなら、私に止めるつもりはありません』と司祭様はおっしゃって、それから『どうか、ご無理をなさらないでください』と俺の手を両手で包んでくれた。
温かい方だと思う。
俺は、儀式までの残りの期間ひたすら聖球を作っていた。
もちろん、エミーとの約束は守りながらだけど……。
コンコンとノックの音がして、エミーが出る。
やって来たのはディアリンドだった。
「ケイ様、お邪魔してもよろしいでしょうか」
ディアリンドの涼やかな声が、どこかおずおずと俺の名を呼ぶ。
ディアリンドはまだどこか遠慮がちではあるけれど、やっと俺の名前を呼んでくれるようになった。
それが俺にはとても嬉しい。
なんだろう?
もう謝罪ならお腹いっぱいになるくらいもらったけど……。
ディアリンドが持ってきてくれたのは俺の好きなクッキー缶だった。
「わあ、嬉しいな。俺これ大好きなんだよ!」
あ、声がちょっと大きかったか……。
エミーとセリクが『うっ』て顔になっている。
ディアリンドは騎士団で揉まれているのか、俺の声に驚く様子もなく俺を見つめていた。
「……私の大切な方がお好きだったので。その……ケイ様の、お口にも合うのではと……」
「え、じゃあこれ、ディアリンドがわざわざ買ってきてくれたの? すごく並ぶお店なんだよね?」
「はい。今日は非番でしたので」
非番はちゃんと休みなよ!!
と、思いはするものの、それ以上に嬉しい。
そっかー。ディアリンドがわざわざ、長い行列に並んで買ってきてくれたんだ……。
きっと周りがワイワイお喋りしながら並んでる中で、一人真面目な顔で直立不動で立ってたんだろうな。
想像してしまうとなんだかちょっとおかしくて、思わず口元が弛んでしまう。
「ありがとう、ディアリンド。本当に嬉しいよ」
「……っ」
お礼の言葉に、青い騎士が赤く染まる。
俺は、彼のこの嬉しくて恥ずかしくてどうしようもない。みたいな顔が本当に好きだ。
普段スッと流れている眉がぎゅぎゅっと寄せられて、目にも口にも力が入って、怒ってるような顔にも見えるけど、それでもその頬だけは嬉しいんだなってハッキリわかるくらい赤くなる。
「お茶をご用意いたします」
「ディアリンドも一緒に食べて行かない?」
「ケイ様の、お望みのままに」
いやいや固い固い。
食べても食べなくてもいいから。
「無理しなくていいからね。ディアリンドが、俺と一緒に食べたいなって思ってくれたらでいいよ」
「い、いただき、ます」
ディアリンドはしかめっ面のまま、なんとか言葉を繋いで答えた。
「そっか。一緒に食べたいって思ってくれるんだ。嬉しいな、ありがとう」
ぽかぽかしてしまう胸をそのままに笑いかけると、ディアリンドはさらに赤くなってしまった。
結局、俺はディアリンドにまだ謝れないままだった。
でも彼の今の話は過去形だったし、そろそろ彼の中では思い出になってきてるのかもしれない。
だとしたら、むしろ掘り返さないほうがいいんじゃないか……?
とにかく、今は聖球作りに励もう。
来年どんな人が来ても大丈夫なように。
セリクの事もあるし、もう来ませんってわけじゃないんだから。
また春休みのうちにまとめてこっちに来る事を決めて、俺は当初の目的を棚に上げた。
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