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久しぶりの白米 (2巻 禁呪と呼ばれるべきもの)

俺は靴のまま自分の部屋に戻っていた。 ああ、そういえば靴を履いたままゲートを通ったもんな。 次は靴を脱いでから帰った方がいいか……。 ベッドを椅子がわりに腰掛けて靴を脱ぐ。 「はー……」 俺は胸をいっぱいに詰まらせながら、まだ滲んだままの涙を手の甲で拭った。 ディアリンドの眩しい笑顔が、まだ鮮やかに残ってる。 あんな風に笑うなんて、反則だ。 俺はそうっと部屋を抜け出して、玄関に靴を返す。 母さんはまだみたいだな。 蒼は家の中か。 あ、そういやまだ新しい靴を買いに行ってないな……。 俺は少し迷ってから、靴を履いて、玄関の戸を開けた。 それからガチャンとわざと音を立てて扉を閉めて「ただいまー」と声を出す。 2階の部屋からガタガタと音がして「兄ちゃんおかえりー」と蒼が降りてきた。 わざわざ出迎えに出てきてくれるところが、やっぱり蒼は可愛いなと思う。 「蒼、ただいま。いい子にしてた?」 「はぁ? どこの小学生だよ。子ども扱いすんなっつってんだろ」 一年ぶりに見た弟はまるで変わっていなくて、俺はホッとした。 そっか。 俺を置いてみんなが変わって行くのって、怖いことなんだ……。 そう思ってしまってから、顔を見る事のなかったキリアダンにいるはずの元聖女のことを思う。 男性か女性かも知らないけれど、その人は今、どんな気持ちで過ごしているんだろう。 悲しかったり寂しかったりしていないかな。 幸せだといいんだけど……。 「……兄ちゃん?」 「ん? なんだ?」 「いや、なんか……兄ちゃんが……」 「うん?」 「……っ、なんでもねーよっ」 なんだろう。反抗期かな……? ずんずんと早足で部屋に戻ってしまった弟の背中を見送ってから、俺は部屋に戻って荷物を整えた。 ディアリンドのくれたクッキー缶は消えることなく残っていた。 「よかった……」 そうっと蓋を開けてみる。 中身は無事だろうか……。 スマホが向こうでもこっちの時間で動き続けていたように、クッキーがこっちでも向こうの時間で動いているのなら……。 ハラハラしながら開けたクッキー缶の中には、記憶と同じクッキーが同じように入っていた。 大丈夫……なのかな? 食べるとお腹を壊すとか、ないよね……?? 玄関の方から「ただいまーっ」と元気な声がする。 母さんの声も、俺の中では一年ぶりだった。 「おかえりー」と声をかけてから、俺はリビングに降りる。 母さんは買ってきた弁当やら惣菜をテーブルに並べている。 「夕飯の支度手伝うよ」 「あら、珍しいわね」 「そうかな」 「圭斗も来月から大学生かぁ。早いわね」 そうだよな……、ここまで育ててくれたのに、俺が急にいなくなったら母さんも父さんも蒼も悲しむよな……。 ずっと向こうで過ごすわけには、やっぱりいかないか……。 「うん……」 「入学の準備は進んでるの?」 「ぅ」 「ぅ。じゃないでしょ、もう明後日から4月なのよ?」 俺は急に突きつけられた現実に、引き攣った。 だってもう、受験なんか2年も前だ。 勉強の内容だってどれくらい覚えてるか……。 代わりに術式の知識はかなりついたけど、魔法はこっちじゃ使えないよな……。 そもそも魔力がないから無理か。 と思ってから、聖力はどうなんだ……? と思う。 念の為母さんに背を向けて、手に力を……。 ガチャ、と扉が開いて蒼と目が合う。 俺は慌てて手を引っ込めた。 蒼は憮然とした表情で俺にスマホを突きつける。あ。これ俺のか。 「兄ちゃん、これさっきからずっと鳴ってる」 蒼の言葉通りピコンピコンと音を立て続けるスマホを俺は「ありがとう」と受け取った。 部屋の机の上に置いてきたんだけど、鳴ってるのに気づいてわざわざ持ってきてくれたのか。 「圭斗ー、蒼も自分のご飯ついでおいで、食べるよー」 「はーい」 「ん」 俺は答えながらもスマホを開く。 あ。これ咲希ちゃんか。 俺もフレンド登録しておこう。 うわ、写真いっぱい送ってくれてる……。 あ、ディアリンドもちょいちょい写り込んでるな。 見切れてるのが多いけど……。 って、写真!? そのまま残るんだ!? こういうのってこっちに戻ったら消えるのかと思ったけど……。 ……うわー……。 式典服も全部撮ってたんだ、さすが女の子だなぁ。 次は俺もしっかり写真撮ろうっと。 どうやら咲希ちゃんは不在の言い訳に成功して怒られずに済んだようだ。 とりあえず……。 『咲希ちゃんおかえり、お疲れ様。今からご飯だからまた後で連絡するね』っと。 送信。 「ほら圭斗、スマホはご飯の後にして」 「はーい」 スマホをポケットに突っ込んで、ご飯茶碗を手に炊飯ジャーの前に立つ。 俺は久々に見た白米を、思わず山盛りに盛った。 *** 翌朝、土日の朝食は皆自分の起きたタイミングで各自適当にとることになっている。 俺は母さんが食卓につくタイミングに合わせて、リビングからダイニングに移動する。 「圭斗おはよう。今からご飯?」 「おはよう母さん。うん、そのつもり」 「一緒に食べる? パンにする? コーヒー入れようか」 「うん、お願い。食パン焼こうか?」 「2枚頼むわー」 そうこうしているうちに「俺のパンもある……?」と蒼も降りてきたので、俺達は夕食と同じく3人で手を合わせた。 「「「いただきまーす」」」と声を揃える。 食パンを一口かじってから、いや朝もご飯でよかったか。 またしばらくは白米の食べられない生活だからな……。と思ったりもする。 米はもう、5キロくらい買って持って行くのもありかも知れないな。 昨夜はお箸も久しぶりすぎた。 いや、今度は持っていこう。箸くらい。 あと正直歯ブラシが何本か必要だったな。一本じゃ持たなかった。それと……。 「母さん、俺明日友達んとこに泊まり行っていい?」 「一泊?」 「うん朝7時くらいに家出て、次の日の19時くらいに帰るよ」 「いいけど、ちゃんとお菓子か何か持って行きなさいよ」 母はそう言うと、食卓に置きっぱなしだった鞄から財布を取り出し、3千円を渡してくる。 これで手土産を買ってお釣りとレシートと返せという事らしい。 「うん、ありがとう」 「誰のとこ泊まるの?」 「竜真のとこ、他にも何人か来る」 「日曜のそんな朝っぱらから集まって何するわけ?」 「早朝走り込みして、河原で発声練習」 俺は昨夜のうちに連絡して口裏を合わせてくれるように頼んでおいた友達の名をあげ、予定していた通りの嘘を並べていく。 「あっはははは、あんたら面白いわねー。この季節なら気持ち良さそうでいいんじゃない? 朝は冷えるから上着持っていくのよ」 「はーい」 うん、毎日走ってたおかげで全然疑われてないな。 ……しかし右隣から、蒼の視線が痛いんだが……? そーっと様子を見ると、半眼の蒼がギラリとメガネを光らせる。 「兄ちゃん、昨日話してた子誰? 女の子だったよね」 うぇ。よく聞いてるなぁ……。 俺は昨夜、咲希ちゃんにねだられて通話に応じていた。 勉強で両手が塞がっていたので、スピーカーにしてたのがダメだったか……。 「なになに、彼女? そろそろ浮いた話の一つや二つ聞かせてちょうだいよ」 母さんまで乗り気だ。 「すげー長電話だったし、なんかずっと話弾んでたけど、兄ちゃんそんな仲良い女の子いたんだ?」 なんでそこまで把握してんだよ。 「ちょっと前に勉強教えてあげた子なんだ」 「勉強? どんな」 「数学、複素数のとこと微分積分のとこ」 「……ふーん……」 俺がさらっと答えたからか、蒼の追求の手が緩む。 まあこの辺は本当のことだからな。 それを浄化範囲や浄化速度の計算に使うということさえ伏せれば、嘘ではない。 「まあ、兄ちゃんは勉強できるマッチョだからな」 なんでお前が自慢げなんだ。 それに俺はマッチョではないぞ。 演劇で使うための実用的な筋肉が、実用的な範囲内でついているだけだ。 決してムキムキなわけではない。 ともあれ、これで明日は朝から移動すれば、向こうでゆっくり3年は過ごせる。 今日は久々に蒼と遊んでやろうかな。 ここ2日、家に1人で置いてけぼりだったからな。 「蒼は今日暇?」 「全然暇じゃねーけど、内容によっては付き合ってやってもいーかもなー?」 そんな言い方をするくせに、弟は急いで牛乳を飲み干しながら俺の次の言葉を待っている。 「午前中空いてたら一緒にゲームでもしようか、アレやる?」 「しゃーねーな。ちょっとだけ付き合ってやるよ」 弟はそう言って、いそいそと自分の部屋へスマホを取りに行った。

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