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巡礼が始まる秋の入り口

 ***〈ディアリンド視点〉  その日、ディアリンドは、彼が今年の巡礼に参加しないと知って動揺した。  彼を危険な場所に連れ出さずに済んだことは喜ばしい。  彼は教会にいてくださるのだから、何の問題もない。  私は、無事に巡礼を終えさえすればいいのだ。  いつも通りに。  ……そう思おうとするのに、心が納得してくれなかった。  今年の聖女様であるソーマ様はとても優秀な方で、聖力もすぐに使いこなされた。  大人しく勤勉でありながらも、芯の強さを持った方で、我々護衛騎士達もその点は安心している。  ケイ様とも良くお話をなさっていて、心身ともにお健やかにお過ごしだ。  昨年の聖女様はつつがなく巡礼を終えており、昨年からの浄化残しも無い。  聖球もまだまだ残っている上に、ケイ様が残してくださった聖球ですらまだ2箱以上ある。  これだけ条件がそろっているのだ。  ケイ様のご不便なお身体を考えれば、危険の伴う巡礼に参加しないという選択をなさるのは、至極当然だ。  頭では分かっているはずなのに、自分は彼に8か月も会えないのだと思うと、それだけで目の前が暗くなるようだった。  ケイ様と、また同じ馬車に乗れるのではないかと期待していた。  そのために、家から馬車を出そうと準備していた。  今度はもっと大きな馬車で、あの方に車内でもゆっくり横になっていただけるようなものを作らせていた。  共に湖に沈む夕日を見て、冬には同じ星空をまた眺められるのではないかと……。  雪祭りにキラキラと輝いたあの方の笑顔を、もう一度……、今度はもっと近くで見る事ができたらと……。  ケイ様が巡礼への参加を希望した場合には、ケイ様の警護は4人増員され5人体制となる手はずだった。  その護衛小隊へディアリンドは事前志願しており、ケイ様が巡礼に出る際には、戻るまでの8か月の間彼の傍にいる事を許されるはずだった。  ……だが、彼は巡礼には参加なさらないと……。  いつまでそうしていたのか、ポンと肩を叩かれて、私は振り返った。 「何してんだディア、こんなとこでぼんやり突っ立って」  そこにはロイスが立っていた。  へらりと笑うこの男は、なんと3年もの間ケイ様のお傍で彼をお守りする事を許されている。 「……ロイスはずっと、ケイ様のお傍にいるのか……」  私の言葉に、ロイスは破顔した。 「そーなんだよ。ケイ様が今年は巡礼には行かれないってんで、俺こっちで丸1年過ごすのって入隊以来だからさ、ミリアもすげー喜んでくれてて、本当にケイ様のおかげだよなぁ」  ミリアというのはロイスの娘だ。  ロイスはケイ様への感謝を口にして、幸せそうに笑った。  ……ロイスは寒い冬も、春も、その先も、ケイ様のお傍にずっといるのか。 「おいおい、俺を睨んでもしょうがねーだろ? 言いたいことがあるならご本人にお伝えするんだな」  睨んだつもりはなかったが、どうやら私の目付きは険しくなっていたらしい。  私はひとつ息を吐いてから答えた。 「別に。何も文句などはない」  私の言葉に、今度はロイスが眉を顰める。 「……なあお前、最近ケイ様が何してるか知ってるか?」 「魔術開発……とおっしゃっていたはずだが」 「なんのための魔術かって話だよ」  なんのため……?  ケイ様ならば、それは世のため人のため、平和のために役立つようなものではないのだろうか。 「お前たちはさ、ある意味似てるんだよな。相手を慮りすぎるっつーか、非が全部自分にあると思いがちっつーか。欲しいものを欲しいって絶対言わないとことかな」 「なんの話だ」 「俺だって口止めされてなきゃこんなことでやきもきする事もねーのにさ」  よく分からないが、ケイ様に口止めされている事なら最初から黙っておくべきだろう。  それをどうして話そうとするのか。  そこがまず理解できない。 「ロイスはケイ様に信頼されているのだ。そのお気持ちを裏切ってはならない」  私の言葉にロイスは大きくため息をついた。 「セリクはガンガン攻めてるぞ。お前も少しくらいあいつを見習ったらどうだ?」  どこか呆れた様子で言われて、私は首を捻る。  一体全体何がどうして、私があの魔研所見習いの青年を見習う必要があるのか。  私には、全然わからなかった。  ***  暑い夏が過ぎて秋風が木々を揺らす頃、ディアリンド達は巡礼に旅立った。  俺は巡礼に向かうディアリンドと爽真君の乗る馬車が見えなくなるまで、教会の城壁から見送っていた。  爽真君は17歳の進学校に通う男子で、術式はすぐに理解して使えるようになった。  それでも、巡礼にイレギュラーはつきものだ。  心配じゃないなんて嘘でも言えないし、寂しくないなんてもっと言えない。  正直、ディアリンドと会えなくなるのは、寂しくてたまらなかった。  ついて行ったらよかったんじゃないかって、まだ今でも思ってしまうけど、俺は俺のやるべきことをやらなきゃ。  ディアリンドのために……。  拳を握りしめたまま立ち尽くす俺の斜め後ろで、エミーが小さく俺の名を零した。  その日の夕刻、セリクがやってきた。 「ケイ様、頼まれていた資料持ってきました!」  セリクは俺が頼んだものに加えて、いくつかの資料を持ってきてくれていた。 「ありがとうセリク、気を利かせてくれたんだね。これとか今日詰まってたとこにちょうど良さそうだよ」  パラパラと中身を眺めて、俺はセリクに感謝を告げる。  そこには、撫でられ待ちをしているアッシュブロンドの頭があった。  俺は資料を机に置くと、セリクの頭を両手でわしわし撫でる。 「……えへへ、僕ケイ様に撫でてもらうの大好きです」  嬉しさを堪えきれないように溢された素直な言葉に、俺の口元も緩んでしまう。 「本当にセリクは可愛いなぁ」  夕食支度に向かおうとしていたエミーがセリクに尋ねる。 「夕食は私達と食べますか?」 「はいっ」  セリクはまだ20歳未満のため、あの頃のディアリンドのように夕刻には仕事をあがっていた。  一方で先月22歳になったディアリンドは、俺たちが夕食を終えた頃にようやく仕事を終えるので、以前のロイスのような時間に顔を出してくれることが多かったけれど……。  ……もうこれから8か月は、会えないんだよな……。  俺が俯いてしまったせいか、セリクが俺の頬にそっと触れる。  それをエミーが咎めた。 「セリク、断りなくケイ様に触れてはなりませんよ」  俺は慌てて顔を上げて言う。 「いいよいいよ、セリクは俺の弟みたいなものだから」 「弟……」  呟いたセリクの声にそちらを振り向く。 「僕はケイ様を兄のようだとは思っておりませんよ……?」  えぇ……もしかして、セリク的には兄弟じゃなくて親子くらいのつもりだったのか?  俺は内心ちょっとグッサリきつつ、苦笑した。 「そうなのか……。お兄ちゃんのつもりでいたのは俺だけだったか……」  自分の声は思ったよりも悲しげに聞こえた。 「っ。そうでは、なくてですね……っ」 「?」  じゃあなんだ……? 「あ、それでは、兄弟ということにして、ケイ様お疲れのようですし、僕とお風呂に入りませんか? お背中をお流ししますよ」  セリクはポンと両手を合わせると、黄緑色の瞳を煌めかせて言った。  なんか今すごい適当に兄弟で良いことにされなかったか? 「セリク。あまりケイ様を煽ってはいけません。ケイ様はお心とお身体が清らかでないと、こちらへこられないのだと教えたでしょう?」  エミーの言葉を聞いて、俺はようやく今のがセリクに誘われていたのだということに気づく。 『聖女』と言われるだけあって、元であろうとあのゲートを潜ってこちらに来ることができるのは、清らかな者……つまりは処女か童貞でないといけないらしい。  俺にはそんなものを喪失する予定はまるでないので安心だと思っていたのだが、ここへきて『また』セリクが積極的に俺を誘ってくるようになってしまった。  俺じゃなくて、もっと可愛い女の子を誘えばいいのに。  セリクほど美しい青年なら引く手数多だろうに、なんでこんな俺みたいなのを好きになってしまったのか。  やっぱりこれは一種の刷り込みなんだろうか。  自分を助けた唯一の存在というのはどうしても大きいのだろうけど、正直、俺はセリクをそういう目で見てはいなかった。  ちなみに『また』というのは、セリクを旅に同行させてすぐの頃の事だ。  あの頃のセリクにはそういった行為が習慣付いていて、落ち着くまでには半年以上かかった。  セリクは俺を求めてくれたんだけど、俺は立場上応えてやることができなくて、なんとか別の手段で勘弁してもらった。  セリクも、俺と二度と会えなくなるのは嫌だって事で、ずいぶん我慢してくれたように思う。  それなのにどうしてまた、ここへ来てセリクは俺を誘うようになったのか。  俺には、それがなんだか不思議だった。

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