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儀式の日(前半)

儀式の日、ディアリンドは朝早くに彼の部屋を訪ねていた。 今日は一日がかりで聖女様をお送りし、新しい聖女様をお迎えするためにバタバタしてしまう。 だからこそ、その前にほんの少しでも彼の顔を見たかった。 ケイ様は私がいつ訪ねても、一度も迷惑な顔をしたことがなかった。 そんな彼に甘えてしまっているという自覚はある。 しかしエミーの話によれば、彼は私の顔を気に入ってくれているようだ。 私が顔を出すことによって彼が喜んでくれる。そう思うと、ディアリンドは一日に何度でも顔を出したくなってしまうのだった。 けれど部屋にいたのはエミーだけだった。 しかも彼女は部屋を片付けているところだった。 そこでようやくディアリンドは知った。 彼が今朝早くに帰ったという事を。 どうしてそんな早朝に……。 ケイ様が3年はこちらにいらっしゃると聞いて、私はとても嬉しかったのに……。 エミーの話によると、司祭様や関係者への挨拶は昨日までのうちに終えていたそうだ。 召喚の儀式の邪魔になるといけないから。と、早朝に静かに帰ることにした彼の話は確かに彼らしいとは思ったが、それならせめて、私にも教えてくださればよかったのに……。 今回巡礼には参加なさらなかったケイ様だが、新しい魔法術式をいくつも開発して皆に喜ばれたという話は聞いている。 盛大な見送りをされてもおかしくないようなお方なのに……。 誰にも見送られることなく帰ってしまわれたのは、一体どういうわけなのだろうか。 呆然と立ち尽くす私に、エミーはさらに衝撃的な言葉を告げた。 「ケイ様は……もうこちらには来られないとおっしゃっていました……」 もう……。 もう二度と……、私は彼に、お会いできないと……? 足元がガラガラと崩れてゆくような気がして、私は思わずその場に膝をついた。 ……どうして、こんな事に……。 「……ディアリンド様のせいです……」 「!?」 エミーの震える声に顔をあげれば、エミーはボロボロと涙をこぼしていた。 「ケイ様はあんなに懸命に……2度もディアリンド様に会いにきてくださったのに……。あれほどに一途なお心に、どうしてお気づきにならないのですか……?」 「……ぇ……?」 「ディアリンド様はケイ様の事をなんとも思ってらっしゃらないんですか!?」 怒鳴られて、驚く。 そうだ。こんなことが前にもあった……。 あの時はロイスが……。 ロイスも、ケイ様は『私のこと』を考えてくださっているのだと言った。 私はまた、何かに気づかないうちに、ケイ様を傷つけていたというのだろうか。 そして彼は、そのために帰ってしまわれたと……? 私のせいで……、ケイ様はもう二度とここには来ないとおっしゃったと言うのか……!? 「わ、私は……、ケイ様を大切に思っています……」 「誰よりもですか!?」 誰よりも……? 「ケイト様より大切ですか!?」 「っ!?」 どうしてエミーは、そのお二方を比べようというのだろうか。 私にとってはどちらもが、大切で仕方のない存在で、比べようなどないのに……。 「どうしてお分かりにならないんですか!」 エミーは叫ぶと私を部屋の外へと強引に押し出した。 「ディアリンド様のお顔はもう見たくありません!」 バタンと乱暴に閉められた扉の向こうで、彼女はまだ、泣いているようだった。 彼女が泣くのは、いつもケイ様のためだ。 彼女はケイ様の一番の理解者で、常に彼の味方だった。 その彼女があそこまで言うのだから、私が悪いのは間違いないのだろう。 私は一体……彼に何をしてしまったのだろうか……。 *** ディアリンドは、虚ろな心のままで聖女様をお送りする隊列に加わっていた。 ゲートの前で、ソーマ様は緑色の髪を風に靡かせて振り返った。 その淑やかなお姿に、ディアリンドの胸の内でケイト様のお姿が重なった。 「良ければまた、いらしてくださいね」 巡礼の旅でソーマ様と同じ馬車に乗っていた最年少騎士のアレスがそう言って彼の手を取る。 唇を近づけるアレスを、ソーマ様が慌てて止めた。 「あの、実は私、本当は……というか、元の世界では男なんです。なんか、こんな格好だし、聖女だ聖女だって言われて、ずっと言い出せなかったんですが……」 ソーマ様の酷く申し訳なさそうな告白に、アレスは笑って答える。 「存じておりましたよ」 「そう……だったんですか……」 ソーマ様の緑色の瞳が驚きに瞬いてから、安堵の色に染まる。 「感謝の口付けを、お許しいただけますか?」 アレスが赤毛を揺らして尋ねると、ソーマ様はふわりと綻んで「はい」と答えた。 心からの感謝を捧げたアレスが顔を上げると、2人は瞳を交えてしばし見つめ合う。 先に口を開いたのはソーマ様だった。 「ほんの一年だけど楽しかったです。ケイさんが言ってたみたいに今度来る時は男の姿のままになっちゃうみたいですけど、それでもよかったら、また遊びにきますね」 アレスは笑顔で答えた。 「心からお待ちしております」 ディアリンドは衝撃を受けていた。 ディアリンドはソーマ様が女でないなど、欠片も思っていなかった。 自身を『俺』とか『僕』という聖女様に対してはそういった可能性を考慮していたが、ソーマ様のように自身を『私』と言う、女性らしい方をまさか男だなどとは考えもしなかったのだ。 そこでふと、あの時のケイト様の、不自然な去り際が過ぎる。 いつも優しく落ち着いていたあの方が、どうしてあの時に限って、会話の途中に逃げるように去ってしまったのか……。 ディアリンドにはずっと気にかかっていた。 あの時彼女は、私に何か言おうとしてくださっていた。 何度も言葉に詰まって、それでも何かを伝えようとしてくださっていたのに、私はそれを汲むことができなくて……。 結果、彼女は酷く追い詰められた様子で、逃げるように帰ってしまわれたのだ。 彼女があの時私に言おうとしていた事……。 それが、もし……。 ソーマ様と同じ事だったとしたら……? ディアリンドの中で、これまで積み重なっていたすべての疑問と違和感が、ようやくひとつの答えを導き出す。 呆然と立ち尽くすディアリンドの前で、ソーマ様は手を振りながら淑やかにゲートに入った。 それは、言えなかった事実を抱えたまま逃げ帰らせてしまった彼女と違い、晴れやかですっきりとした表情だった。 どうして私は今までずっと、気づかなかったのだろう。 同じように聡明で、同じようにお優しく、同じものをお好きだとおっしゃったじゃないか。 私があまりに気づかないままだったから。 ……だから彼は、余計に追い詰められてしまったのだ。 ふと、一年前にケイ様に尋ねられた言葉が胸に蘇った。 「ディアリンドはまだ、前の聖女様に会いたい……?」 彼の声は、どこか苦しそうだった。 それなのに私は、愚かにもそれに「はい」と答えてしまった。 彼に嘘を吐きたくない一心で……正直に……答えてしまった。 それが、彼の心をどれほど傷つけるのかも知らないままで。 当時、まだ幼かった私の初恋は周囲に筒抜けだったらしく、いつまでも彼女を待ち続ける私に、向こうとこちらでは時間の進みが違うと、聖女様のことはもう諦めろと言う声も増えてきた。 それを鬱陶しく思った私は、そんな周囲の声に「もう諦めました」と答えていた。 なのにあの時だけは、本心を伝えなくてはと思って「はい」と答えてしまった。 お優しい彼は、私の言葉にどれほど傷ついてしまったのだろうか……。 「おーい? 何突っ立ってんだディア。今度は向こうだぞ」 今日から隊に戻ってきたロイスに小突かれて、私は言った。 「ロイス……。ケイ様が、ケイト様だったのだな……」 ロイスは一瞬驚きを浮かべた顔を思い切り顰めて「今更かよ……」と低く吐き捨てると、私の背を力強く叩いた。 ロイスにもエミーにも、恨まれて当然だ。 私が気づくのが、あと一歩……、あとほんの一日だけでも早ければ、彼等は敬愛する主人とこの先2年を共にいられたはずだったのだから。 私は、巡礼に参加されないケイ様を残念に思っている場合ではなかったのだ。 ケイ様を部屋に篭らせてしまったのは、おそらく私だったのだから。 ……では、ケイ様はこの一年で、私のために何を作られていたのか……。 「ほら、行くぞディア。新しい聖女様がいらっしゃる前にシャンとしろ。文句は後からたっぷり言わせてもらうからな。覚悟しとけよ」 碧眼に恨みがましく睨まれて、私はぎこちなく足を動かした。

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