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クッキー缶

 ***〈セリク視点〉  翌日、僕はケイト様との約束通りにディアリンドの記憶を消しに行った。  そんな僕を騎士団の詰め所に入る手前で止めたのはロイスだった。 「悪いなセリク、事情が変わった。ディアリンドがケイ様とケイト様が同一人物だったことにやっと気づいてな。今ケイト様のことを忘れさせちまうと、ケイ様のことまで全部忘れかねない」  そんな事は僕の知ったことではなかった。  むしろ、ケイト様の心を奪うあの忌々しい男がケイト様の事を全て忘れるのなら、僕にとってはその方がずっと好都合だった。 「だから今は待ってくれ」  そう言って僕を止めるロイスの隣には、エミーもいた。  エミーが男と同様に頷くのを見て、僕は内心でため息をついた。  待ったところで、ケイト様は二度とこちらにこないとおっしゃったのだから、答えをいただけるはずもないのに。  そう思いながらも、僕は「わかりました」とだけ答えた。  ケイト様のためでなければ、別にあんな男が過去の記憶に苦しめられようが僕には関係がない。ずっと勝手に苦しんでいればいいとすら思う。  そんなことよりも、今日は家に帰ったらケイト様にどんなことをして差し上げようか。と考えるので頭がいっぱいだった。  魔法をかけていたせいではあるが、昨日のケイト様はとにかく敏感で、どこに触れても切ない声を漏らしてくださった。  それをまた今夜もいただけるのだと思うと、僕の胸は高鳴る。 「それでは、僕はこれで」  僕はそれだけを告げると、頭を下げてその場を去った。  今の聖女様がどんな人かなんて事は、僕にとって全く興味のない事だった。  ***〈ディアリンド視点〉 「ディアリンドってのはあんたか」  教会の廊下で、背に声をかけられて私は振り返った。  そこには腕を組み仁王立ちする聖女様の姿があった。  今年の聖女様は小柄で小顔でどこもかしこも細い。  身長は145センチほどだろうか。  もちろんこの姿はこの世界での仮の姿であるのは分かっているのだが、それでも、そんな彼女が仁王立ちをする姿は、なんとも不釣り合いに見えた。 「ああ、あんたは最初にオレの腕を掴んだ奴だな」  その声の冷たさに、私は息を呑む。  あの時の事を怒っていらっしゃるのだろうか。  だとしたら一刻も早く謝罪をしなければ……。  しかしアオイ様は言葉を続けた。 「お前、兄貴にこんくらいの缶を渡した事あんだろ?」  アオイ様が手で示したサイズには覚えがあった。  あのクッキーが詰まった缶のことだろう。 「はい」  私がうなずけば、アオイ様はズカズカと大股で私のそばまでやってくる。  思わず、緊張のあまり姿勢を正して息を止めた。 「ふーん。そっか。あんたがな……」  アオイ様は値踏みするかのような視線で、私を四方八方から眺め回す。 「まあ、顔は……いいな。かなり。背も兄ちゃんより高いか……。いやでも問題は中身だろ、中身」  アオイ様は何やらぶつぶつ呟きながらもう一度私の正面へと戻ると、片手を腰に当て、ジロリと睨み上げてくる。  私はその視線をまっすぐに受け止めた。  何を言われたとしても、この方には誠心誠意尽くさなくてはならない。  それが今、私にできる唯一の事だ。 「お前、兄貴のことどう思ってんだよ」  突然の質問に、意図を汲みきれず瞬く。 「どう、と、おっしゃいますと……?」  間違った答えを返してしまうリスクよりは、たとえ愚鈍に思われるとしても尋ね返す方を選んだ。 「好きとか嫌いとか、そーゆーことだよ」  それをなぜこの方に尋ねられるのか、分からない部分はまだ残っていたが、尋ねられたことへの答えは、私の中でハッキリしている。 「何よりも大切な方です」  私は深い青色の瞳をまっすぐアオイに向けて、心を込めて答えた。  だからこそ、もう一度会って話がしたい。  ケイト様の事が、どの姿であろうと、一番大切なのだと伝えたい。  彼の心に残ってしまった傷を、なんとしてでも癒したいとディアリンドは願っていた。  ***〈蒼視点〉  青髪の騎士の答えに、オレは瞠目した。  その真摯すぎる視線と言葉だけで、彼がどれだけ一途に兄貴を想っているのかが伝わってきそうで、オレは思わず視線を逸らした。 「ふーん……。そんならいーけどさ……」  兄貴の部屋の机の上に乗せられていた見慣れない缶。  それを兄貴は何度も手に取っていた。  金曜の夜、風呂上がりに部屋を覗いた時にも手にしていたし、土曜も何度となくそれに触れていたのを見た。  中身は菓子のようだったので、それを食べているなら幾度か触れても不自然ではなかったが、兄は缶の蓋を閉めたままそれを愛しげに眺めているのだ。  今まで兄貴が見せた事のなかったその表情。  それがどうにも気になって、オレは尋ねた。 「兄ちゃん、その缶どうしたの。誰かからもらったの?」 「これはディアリンドから……ぁ。えと、友達から貰ったんだ。すごく美味しいクッキーで……、蒼も食べる?」  一枚出して差し出す兄貴に、そんな大事そうな物がもらえるもんかと思ったオレは「今クッキーって気分じゃねーから」と答えた。  兄貴は「そっか」と苦笑して、取り出したクッキーを箱に戻した。  戻すのかよ!  食わねーのかよ!  そんだけ大事にしてんなら、気安くオレに差し出すんじゃねーよ!!  そもそも友達からクッキーもらったくらいで、そんな嬉しそうな顔する訳あるかよ。  ……あの電話の女か……?  今まで男子校に通っていた兄貴も、春からは大学生となる。  兄貴は見た目は多少ゴツいが頭も悪くないし気遣いもできるし何より優しい。  人として優れた兄貴の魅力に気づく者は少なくないだろう。  そこで彼女ができてしまう可能性は十分にある、と思ってはいた。  しかし兄貴にはそれよりも早く、好きな相手ができてしまったらしい。 「はぁぁ……」  思わず漏れたため息に、兄貴が「どうしたの? 蒼、悩み事?」と親身に相談に乗ってくれようとする。  オレは『お前のことだよ』と思いながらも「はぁ? 兄ちゃんには関係ねーし」と答えた。  ***〈ディアリンド視点〉  アオイ様は召喚時の様子からは考えられない程真面目に聖力の制御練習を続け、あっという間にその力をモノにしてしまった。  ただし、その態度だけは常に斜めである。  練習の時間だと伝えれば「はぁ? めんどくせーな」とおっしゃり、終了の時間を告げても「やっとかよ、やってらんねーな」とおっしゃる。  今日の座学でも、ケイト様のまとめた資料をご覧になるなり憤慨した様子を見せていた。 「はぁ? 何これ、このまとめノートも兄ちゃんの字だけど? ったく、1人でいったい何冊まとめてんだよ。理解度別とか習熟度別とか親切にも程があんだろ」  けれど、文句を言いながらもそれを真面目に書き写し、繰り返し繰り返し理解できるまで学ぶのである。  なるほど、これはまた新しいタイプの聖女様だ。と私は思った。  その素直でないくせに懸命な姿をなんとなく可愛らしく思ってしまってから、きっとケイト様もそう思っているのだろうと気づいた。  アオイ様がいらっしゃれば、今年の巡礼も無事に行えそうだ。  ケイト様の大切な弟君であるアオイ様の事は、私がこの命にかえても必ず守り抜こうと強く誓っていた。

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