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堂々巡りと時間稼ぎ(*)

ガタンと音がして、ほんの少しの落下感の後、俺は真っ暗で狭い空間に押し込められた。 あまりに突然の出来事で、身構えることもできなかった。 一体何が起きたのか。 俺は順を追って思い返す。 俺はいつものようにセリクの手によって、ソファに座った状態で、ソファの足元と肘掛けの4箇所に両手両足を拘束されていた。 部屋にセリクが戻った様子はなかったし、時間だってまだ午前中だったと思う。 それが急に、ソファごとガクンと下がって、バタンと仰向けに倒れた。 そうして押し込められたのだとしたら、ここはセリクの部屋の床下だろうか。 どうして急に移動させられたんだろう。 椅子ごと床下に押し込むなんて、まるで俺の存在を部屋から消し去るように……。 そう考えて、気づいた。 セリクは俺を隠したんだ。 誰にも見つからないように。 セリクは今、誰かに部屋に踏み込まれる可能性を感じたって事か……? ――それはつまり、誰かが俺を探してるってことだ……。 初めて見えた希望に、思わず涙が滲んだ。 エミーとロイスだろうか。 ディアリンドも探してくれているのだろうか。 ああでもそろそろ巡礼に出発する時期だから、彼はここを離れてしまうだろうな……。 遠ざかる彼の背中を思うと、どうしようもなく不安になる。 ディアリンドなら……、彼ならきっと、あの時みたいに助けてくれるのに……。 何か、彼に合図を送ることさえできたら……。 けれど彼が助けに来てくれたとして、こんな状態の俺を見たら……。 ……彼はどう思うだろうか。 そう思うと、どうしても怖くてたまらない。 ……助けに来てほしい。 でも……、彼に知られるのが怖い……。 この狭い空間にも遮音と魔力探知の妨害術がかけてあるのだろう。真っ暗で何の音もしない空間は、まるで全ての世界から完全に切り離されてしまったようだ。 自分の姿を視認する事もできなくなると、暗闇はじわじわと俺の境界を侵食してゆく。 「……っ」 手足は相変わらず固く固定されて動かせない。 どんなに大声で助けを呼んでも、誰にも届かない。 次第に自分が生きているのかどうかすら分からなくなってゆく中で、俺はあの別れの日にディアリンドが見せてくれた弾けるような笑顔を、必死で胸に思い描いた。 この静かな暗闇で、自分が自分であり続けるために、俺にできることは、他になかった。 *** 暗闇の中で、じわじわと俺の体に熱が集まり始める。 それはセリクの帰宅が近い合図でもあった。 ああ、ようやく夕方なんだ……。 俺は精神的な疲労感でヘトヘトになりながらも、ようやく少しだけ現実感を感じられた事にホッとする。 しばらくの間、腹の奥がズクズクと熱に侵される感覚に汗を滲ませながら耐えていると、不意にガチャリと頭上の床板らしき物が開かれて、暗闇に光が差し込む。 俺は眩しさに目を眇める。 「ケイト様、急にこんなところに押し込んでしまってごめんなさい」 俺を覗き込んでいたのは、どこか不安げなセリクの黄緑色の瞳だった。 セリクは俺の身体が疼いてどうしようもなくなるより前に帰宅した。 それはいつもよりも随分と早い帰宅である事を示していた。 「セリク……、おかえり」 俺がなるべく優しく微笑めば、セリクは安堵の色を浮かべる。 やっぱりそうだ。 セリクは慌てて帰ってきた。 俺が今もここにいるか、不安に思いながら。 「ケイト様、少し移動しなくてはならないんです。僕と一緒に来ていただけますか?」 セリクは焦っているように見えた。 ここで俺が首を横に振れば、おそらく俺はセリクに強制的に昏倒させられるだろう。 どうすれば、セリクに気取られずにセリクの足を止めることができるだろうか。 俺は少し迷ってから、意を決して口を開いた。 「セリク……して、くれないの……?」 あくまでも表情は弱々しく、セリクに縋るような視線を向けて。 セリクは黄緑色の瞳を瞬かせる。 そこにじわりと劣情が滲むのを、俺は確かめる。 「俺の事……嫌いになった……?」 上目遣いで見上げれば、セリクは慌てたように首を振った。 「そっ、そんなこと、あるはずがありませんっ」 よし、今のところ俺のペースだ。 おそらく、少しでもここで時間を稼げば、その分セリクが不利になる。 俺はその可能性にかけて、言葉を続けた。 「俺……急に真っ暗になって、ずっと……怖くて……」 先ほどの闇を思い出せば、身体は本当に震えだす。 「セリク……お願い……俺を慰めて……」 俺の言葉に、セリクはゆっくりと歪に口端を上げた。 俺の拘束具をソファから外したセリクが、俺の手足を束ねて拘束し直す。 そのまま俺はいつものようにセリクに身体を抱え上げられベッドへと運ばれた。 「ふふ、もうガチガチですね。ケイト様。そんなに僕が欲しかったんですか?」 セリクの言葉に、俺は目を伏せながらも小さく頷く。 これまでの俺の態度を考えると、あまり過度に欲しがるのも怪しいだろうから、このくらいが良いだろう。 「ああ……、嬉しいです……」 うっとりと目を細めるセリクの心底嬉しそうな様子に、少しだけ胸が痛む。 「セリク……」 俺は淫紋で無理矢理熱を集められた身体を利用して、潤んだ瞳と赤い頬で彼へと手を伸ばす。 セリクは俺の手に額を擦り付けると、そっと頬を染めて微笑んだ。 「すぐに僕の身体でいっぱいお慰めして差し上げますね……」 すっかりと欲で染まったセリクの瞳に、この先の行為の激しさを感じ取る。 俺は恐怖と羞恥を、なんとか胸の内に押し込めて頷いた。 *** 魔法研究所からセリクの後をつけていたロイスは、セリクが舎宅へ帰宅した事を確認した。 ロイスの合図を受けて、エミーがアオイとディアリンドを呼んでくる。 ロイスは扉の前を一度も離れていない。 セリクが中にいるのは間違いないはずだ。 しかし中からは魔力どころか、どんな小さな物音も聞こえてこない。  ディアリンドは思い返す。 今日検分したセリクの部屋の中からは、魔力をカケラも感じられなかった。 しかしそれは、あれほど強力な魔力を持つセリクが帰宅した後も同じだった。 「これは……異常です」 鑑定魔法をかけたディアリンドの言葉に、アオイは「鍵なんか待ってられるか! ディア! 今すぐ扉を破れ!」と叫んだ。 アオイの声に応えたディアリンドが扉を斬った途端、部屋から音が漏れ出す。 ギシギシと軋むベッドの音と繰り返す水音に混じった、切なげに喘ぐ艶めいた声……。 「ぁ、やっ、んんっ、あんっ、……うぅん、……や、あぁぁぁっっっ」 2部屋のみの宅内を、ディアリンドは奥の部屋まで一気に踏み込む。 ディアリンドの目に映ったのは、ベッドの上でセリクに組み敷かれた男の身体が大きく仰け反り、震える様だった。 頬を赤く染め、涙を散らす人物は、まさにディアリンド達が探し求めていた方だった。 胸元にも首筋にも、いくつもの赤い印を残されたその身体には、手足に黒い枷が嵌められていた。 今までどれほどそこから逃れようともがいたのか、枷が食い込んだ皮膚には数え切れないほどの傷痕が残っている。 ディアリンドは、怖れていた通りの……むしろそれを上回るほどの惨状に、言葉を失った。 なんという……。 なんという、惨い事を…………。

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