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消えた物、残った物

「兄ちゃんっ!」 部屋に入るなり、俺めがけて一直線に駆け寄ってきた少女は、ツンとした顔の細く小柄な美少女だった。 「わぁ、蒼可愛くなったねぇ」 話には聞いていたけれど、本当にどこから見ても完璧な美少女だ。 サラサラの濃い紫のロングストレートヘアに、姫カットが似合いすぎている。 「大丈夫か兄ちゃん、どこも痛いとこ無いか? 具合悪いとかは?」 「うん、大丈夫だよ。蒼は聖力上手く使えるようになった?」 蒼はえへんと小さな胸を張って答える。 「当然。兄ちゃんがあんだけ色々用意してくれてんのに、できねーわけねーだろ」 「そっか、ノートが役に立ったなら良かったよ」 「あんなぁ、いつも言ってんだろ。何でもかんでも安請け合いすんなって」 「あれは自分がやりたくてやったことだから、何も強制されたことではないよ」 「で? なんで兄ちゃんとディアは手ぇ繋いでるわけ?」 蒼の紫色の瞳が半分になる。 俺は苦笑して答えた。 「あはは……いつ突っ込んでもらえるのかなって思ってたとこだよ」 それにしても、蒼はディアリンドのことディアなんて呼んでるのか。 3か月で2人が仲良くなったのは嬉しいけど、このわかりにくい性格同士の2人が一体どうして理解し合えたのか、不思議な気もする。 「ケイト様の安全をよりお近くで守る為です」 さっきとまるで同じディアリンドの返事に、蒼は「くそ真面目が」と答えた。 あれ? 手を離せとは言わないんだ? ディアリンドは随分蒼に信頼されてるんだなぁ。 「兄貴の様子はどうだ」 蒼の言葉に、エミーが首を振る。 え、何その反応。なんか俺まずかった……? 「じゃあ予定通りな。ロイス、謝りたいなら今しかねーぞ」 促されて、ロイスが俺の前に土下座する。 いやいや、これ今日2回目だから。 いいからいいからと俺はロイスに顔を上げさせる。 ロイスは流石にエミーほど極端なことは言わなかったけれど、その悔やみようは十分伝わった。 「俺はこの通り5体満足だし、大丈夫…………――」 口にしてから、ようやく気づいた。 気づいてしまった事実に、サアッと血の気が引く。 違う。 俺の身体にはまだ、あの淫紋が残されている。 これだけは解除しておかないとまずい。 きっと今日もセリクの帰宅時間に合わせて……。 欲を宿したセリクの瞳、繰り返し触れてくるその指。 その感触が肌に蘇った途端、俺は強い目眩に足を取られた。 姿勢が崩れる。そう思った瞬間、俺の手をディアリンドが引く。 俺はすっぽりとディアリンドの腕の中に抱き抱えられた。 「ケイト様!」「兄ちゃんっ!」 「……ぁ……ごめん、……俺……」 頭がぐらぐらして、息が、苦しい……。 「……っ」 それ以上言葉が紡げずに、俺は必死で息をする。 「すぐ始める。いいな」 すぐ近くにいるはずの蒼の言葉が、遠くで聞こえる。 同意の声が3つ重なったあとで、蒼の紫の瞳が俺を覗き込んだ。 その紫色の瞳は、縋るような色をしていた。 「あのさ、兄ちゃん。一回だけだから……」 なんだかそれは、セリクが俺を見るときの目にとても似ていた。 「……セリ、ク……?」 紫色の瞳がハッと大きく見開かれて、狼狽えるように揺れる。 それから紫の頭がブンブンと振られた。 ……何してるんだろう。 「蒼……そんなに、頭振ったら、脳震盪になるよ……」 俺は上がりきった息の合間から、なんとか弟を止める。 弟はどこか悲しそうに俺に微笑んで言った。 「ん、だいじょーぶだよ。兄ちゃんはこれをよく見ててくれな」 言われて目の前に展開され始めた術には見覚えがあった。 ああ、これは記憶消去の……。 範囲指定タイプ……かな……? なんで……。 ふわりと開いた多重式の術式が、俺を対象者として認識する。 途端に俺の思考速度が遅くなってゆく。 あ……。 そうか、蒼は俺の記憶を消そうとしてくれてるんだ。 セリクから受けた心の傷を消すために。 ――っ、ダメだ! このままじゃマズイ!! 俺がそれを忘れても、俺の身体にまだ……紋が……――。 「待っ……――」 *** 気づいたら、俺は初めて見る広い部屋の中にいた。 「あれ、ここは……?」 重厚だけれど品のいい調度品は、ここが名家のお屋敷であることを伝えていた。 足元はふかふかの絨毯で、靴で立っているのが申し訳ないくらいだ。 「ここは私の家の離れにある客室です」 真面目そうな声が返ってきたのは、やたらと至近距離からだった。 え。なんで俺ディアリンドに後ろから抱き抱えられてるんだっけ? この状況には覚えがある。 以前ディアリンドが馬車の座席に俺を寝かせるのが許せないと主張した時だ。 ディアリンドの胸と接触している背中や、俺の前に回された逞しい腕を意識した途端、顔が熱くなる。 ええと……俺って、また無茶して倒れたんだっけ? 記憶を辿ろうとして、そこに何もないことに気づく。 思い出せたのは、儀式の日に、エミーとセリクとロイスの3人と一緒にゲートに向かったところまでだった。 儀式の日は夏の暑い最中のはずだ。 この世界には暖炉はあってもエアコンは無い。 なのに今室内は適温で、現在の季節が秋に近いのだと知らせていた。 ――何が……あったんだ……? あまりに状況が掴めないことに俺は不安を感じる。 周りを見れば、エミーにロイスが俺を心配そうに見つめている。 俺の後ろにはディアリンド。 なんだかちょっと距離が近過ぎるけれど、俺を心配している様子はエミー達とそう変わらない。 緊張感のようなものはうっすらと感じるものの、緊迫感のような切迫した気配はない。 そんな中で1人だけ、見慣れない少女、いや美少女がいる。 大きめのツリ目に細い眉、まるで人形のように整った顔立ちの、小顔で細身の彼女はおそらく今年の聖女なんだろう。 その子は俺の目の前に立って、紫色の瞳で俺を心配そうに覗き込んでいた。 「兄ちゃん、頭痛いとか、具合悪いとかないか?」 え。 今俺の事、兄ちゃんって呼んだ……よな? ぽかんと見つめていると、美少女の眉がぐっと顰められる。 「おーい、兄ちゃん、分かるか? 兄ちゃんの弟の蒼だぞー?」 「……ま……まさか、芦谷蒼……なのか!?」 「おう、兄ちゃんが帰ってこないから探しにきたんだよ。そしたらこーなった。あ、ちゃんと聖女の仕事もやってるから、心配しなくていいぞ」 「そ、そうか……」 俺が状況を必死で飲み込んでいると、蒼が頭を下げた。

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