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眠気と元聖女

巡礼の始まりから一週間。 最初の日こそ怪我をしていた蒼もここの所順調だし、セリクとの仲もちょっとは改善したみたいだし、良かったな……。 俺は布団付きの馬車の中で、すっかり馴染んだ揺れに微睡んで、大あくびを手で覆った。 ん……。なんか、ここ最近……すごく眠い……。 うとうとと船を漕ぐ俺に、エミーが尋ねた。 「昨夜はよくお休みになれませんでしたか……?」 尋ねられてから、俺はようやく気づいた。 そうか、俺にとってはこの世界で半日寝てたってほんの1分なんだ。 そんな僅かなうたた寝を繰り返したって、眠気が取れないのは当然か。 えーと、じゃあ6時間睡眠を取ろうと思ったら……半年は寝てなきゃなのか……。 「……ケイト様?」 心配そうに覗き込むエミーの反対側からは、リンも俺をじっと見つめている。 このまま寝不足の状態で旅を続けるのは良くないだろうな……。 俺は2人に事情を説明した。 2人はそれぞれに息を呑んで、俺の身体を気遣ってくれる。 「ごめん、これから俺、しばらくこの馬車で寝ててもいいかな……? ご飯もいらないし、朝も起こさなくていいから。キリアダンに着いたら起こしてもらえる?」 そうすれば、少なくとも2時間くらいは寝られるよね。 リンはどこか戸惑う様子だったけど、エミーはすぐに「分かりました」と答えてくれた。 よいしょと壁側を向いて布団に潜り込む俺の背に、リンの声がかかる。 「ケイト様が安心してお休みいただけるよう、誠心誠意お守りします……」 その声がとても寂しそうで、俺は寝返りを打ってそちらを見る。 ああ、この顔は前にも見たことがあるな。 まるで捨てられた犬のような……リンの場合は子犬じゃなくて大型犬だけど、そんな顔だ。 「寂しい思いさせちゃってごめんね」 思わず手を伸ばせば、リンは俺の手に頬を寄せてきた。 なにこれ、可愛すぎない? リンの頬や髪を、俺はゆっくり撫でてみる。 その間もリンはうっとりと目を細めて俺を見つめ続けている。 いつも撫でるセリクの髪はふわふわしてるけど、リンの髪はコシがあってツヤツヤしているなぁ。 手の中で踊る青い髪がすごく綺麗で、いつまでも愛でていたら、エミーが小さく咳払いした。 俺は小さく苦笑して手を引っ込めると「おやすみ。何かあればいつでも起こしてね」と伝えて幸せな気持ちで目を閉じた。 *** ガクンと強い衝撃を受けて、俺は眠りの淵から引き戻される。 目を開くと、リンが俺へ必死に手を伸ばしていた。 「ケイト様っ!!」 黒いグローブに包まれた手をリンに向けたのは、俺を抱き抱えている男だ。 男がリンの顔目掛けて魔法を使う。 一瞬苦しげに眉を歪めたリンは、そこまでで力を失い地に倒れ伏す。 今の魔法は……! 「お前は……っ」 次の瞬間、俺にも同じ魔法が向けられる。 これは、あの時の睡眠魔法だ。 つまりリンは眠らされただけで、おそらく怪我はしていない。 その事実にホッとした時には既に、俺の意識は急速に遠のいていた。 エミー……エミーは、無事だった……の、かな……。 蒼と……セリク……は……。 パチン。と近くで指を鳴らされて、俺の意識はふわりと浮上した。 ああ、この魔法は任意のタイミングで解除もできるのか。 今の術を使うところがちゃんと見たかったな。 そんな風に思いながら、俺は指を鳴らした男を見上げる。 「やっぱり……。あなたは前に俺を攫った人だね」 「へぇ、覚えててもらえるなんざ光栄だね。5年ぶりだな、元聖女サマ?」 男は覆面の下で笑みを作ったようだった。 視線だけで辺りを探る。 俺は椅子に座らされた状態で、両手両足を椅子へと縛りつけられていた。 俺が連れ込まれている部屋は前のようなボロ屋ではなく、しっかりした作りの屋敷に見える。 そこそこ広さのある部屋には、この男以外に誰もいない。 ……前よりも状況は悪いようだ。 屋敷の奥に囲われてしまったんじゃ、そう簡単には見つからないだろう。 助けを呼ぼうにも味方はいない。 手首に巻いていたセリクの魔法石も外されてしまっている。 今回捕まったのは俺1人のようだ。 男は俺の顎を掴んで顔を近づけると、わざわざ口元の覆面を下ろしてニタリと笑って見せた。 「ちゃーんと調べたんだぜ? 元聖女サマは、聖力は使えても魔力が無いんだってな?」 ああくそ、それが知られてるって事は、魔法を使うと見せかけるブラフも難しいか……。 ここでハッタリを言ってみたところで、魔力の使えるこの男が俺をよく見れば、俺の中に魔力がないことくらいすぐわかるはずだ。 魔法石のブレスレットをつけていた事も、おそらく逆効果だったな。 情報の信憑性を増してしまったんだろう。 聖力だけでできるのは、浄化と障壁、加護に聖力付与くらいだ。 「なあ、聖女サマってのは清らかなんだろ? そんじゃ元聖女サマってのもそうなのか……?」 男は俺の耳元でそう言うと、俺の耳をべろりと舐めた。 ぞわりと全身に鳥肌が立つ。 いや待って待って。 何……? 何がしたいのこの人……!? 「この機に確かめてみるのも悪くねぇな……」 男は舌なめずりでもしそうな顔で、俺の顎をぐいと引き寄せる。 「……っ」 いや、悪いよ!? ちょっとこの人何考えてんの!? こんな姿の俺を襲って何になるって言うんだよ!! 「聖女様を穢すな、価値が下がる」 静かな声に振り返ると、そこには目の前の男と同じく覆面で顔を隠した男性が立っていた。 いつの間に部屋に入ってきたんだろう。 この男とのやり取りに集中しすぎていたみたいだ。 けれどそれは男も同じだったようで「んだよ、せっかくいいとこだったのによ」と文句を一つ残して、俺の顎からやっと手を離してくれた。 背筋を伸ばして凛と立つその姿は、目の前にいる盗賊と同類のようには見えない。 あれ、この人……右腕がないのかな? 服の腕が右側だけペラペラしている。 「向こうに連絡はついたのか?」 静かな声に問われた男が「今やる」と言い残して部屋を出る。 バンと乱暴に閉められた扉のこちら側で、俺は静かな声の男と2人きりになった。 この人の声はどこかで……。 確かに俺には聞き覚えがあるんだけどな……。 俺が男の顔をじっと見上げると、俺の視線に一瞬動揺を見せた男の覆面の間から、銀色の髪がはらりとこぼれ落ちた。 「……シルヴィン……?」 俺の声に、銀青色の瞳が見開かれる。 「どう、して……」 小さな呟きに、彼は俺を誰だか分かった上で攫ったのではないのだと知った。 その事実に正直ホッとする。 腕を失わせてしまった俺を恨んでの犯行ではないようだ。 あの頃シルヴィンは20代前半だったから、少なくとも俺以外に5人ほどの聖女を見ていただろうし、俺のこの姿では、その内の誰なのか分からなくても不思議ではない。 「シルヴィンこそ、どうしてこんな事を……?」 「……今の私にできるのは、こんな事ぐらいですから……」 それはどういう意味なんだろう。 少なくともその答えには、お金以外の目的があるような気がした。 「俺はこの後どうなるのか、教えてもらってもいいかな」 俺の質問にシルヴィンはしばらく躊躇った後で、俺の方を見ないまま、俯いたまま答えた。 「貴方様は……、魔物の頻出地域へ送られます……」 「そこで浄化をしたらいいの?」 「はい……」 「永遠に……?」 「……っ」 その沈黙は肯定と同義だった。 うーん……。 まあ殺されないならそんなに慌てなくてもいいかも知れないけど……。 俺が慌てなくても、向こうの皆は慌ててるよねぇ……。 蒼なんて、俺が見つかるまで絶対移動しないって言い張ってるだろうし、このままじゃスケジュールが押しちゃうよなぁ……。 まあ今のところちょっと早いくらいだったから1日2日ならなんとかなるだろうけど……。 俺は、ひとまずどうにもならない事を考えるのは諦めて、隣で俯くシルヴィンに視線を戻す。 「シルヴィンは、困っている地域の人を助けたいと思ったの?」 俺の言葉にシルヴィンは肩を揺らした。 その動きで、中身のない右袖だけが、大きく揺れる。 シルヴィンの右腕は、俺を庇ったせいで失われてしまった。 そうでなければ、彼は今も騎士団で、正々堂々と人々の生活を守り続けていたはずなのに……。 あの咲希ちゃんが聖女をしていた魔物が大発生していた年も、シルヴィンはこんな風に立ち尽くして、自分の無力を呪っていたんだろうか……。 「シルヴィンは今も、優しい騎士なんだね……」 俺の言葉にシルヴィンは頭を振って苦しげに答えた。 「いいえ、今の私は下劣で悪辣な、人攫いです……」 ああ、困ったな。 シルヴィンは自分の行動を良しとしてない。 彼にしたくもない悪行を重ねさせるのは辛いな……。 「シルヴィンはこういう事って今までにもやってたの?」 「……いえ……、今回が初めてです……」 悲しげに呟くその言葉に、嘘はないように見えた。 俺の胸に希望が生まれる。 それなら、この一回が成功しなければいいんだ。 そうすれば、シルヴィンの犯罪は成立しない。 よし、頑張ろう。 俺は気合いを入れ直すと、もう一度室内をじっくり観察し始めた。

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