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帰れなかった人
俺は俯いてしまったその人の、次の言葉をじっと待つ。
不意にチリっと首の後ろに小さな痛みを感じて、俺は部屋を見回した。
広い部屋には、俺とエミーとリンに、玲菜とリーアの5人しかいない。
部屋の外にはまだ衛兵が2人控えていたけど、ここにいるのはこれだけなのに、今の感覚は……。
「私、キリアダンの兵士と結婚したのよ。彼は全然老けない私の事も気持ち悪がらずに、死ぬまでずっと私に優しくしてくれた。最初の100年くらいはね、ここを離れ難くて、ずっとここにいたの」
話し始めた彼女に、俺は「うん」と相槌を打つ。
「2年おきくらいに長く寝たりしながら、気づけば120年が過ぎてて……。向こうはどうなってるのかなって、両親の顔が見たくて仕方なくなって、勇気を出して戻ろうとしてみたの。だけど……戻れなかった……」
「え……?」
戻れない。という単語に、俺の心臓が凍った。
俺も蒼も戻れるものだと思い込んでいたから。
『戻れない』という可能性があるんだと、俺はこの時初めて知った。
「司祭様は、なんらかの理由で向こうのゲートが閉じてしまったんだろうって言ってた……」
ゲート……。
俺の脳裏に自室の姿見が浮かんだ。
そういう事か。
例えば俺達がこっちにきている間に、地震でも起こってあの鏡が割れてしまうと、俺達もここから出られなくなるって事だ……。
俺は、俺が知っている限りの情報を彼女に伝える。
住所は俺の住むところからはかなり離れていたけれど、それでも同じ国内だ。
いくらでも帰りようはあった。
「俺と一緒に帰れば俺のゲートから一緒に出られないかな? もし玲菜が嫌じゃなければ、一回やってみない?」
俺の言葉に玲菜はぎゅっと眉を歪めた。
「……前の……帰れなかった時ね、私……、向こうとこっちの間に取り残されちゃってね……」
彼女の指先が震え出す。
それは彼女にとって、とても恐ろしい記憶のようだった。
「やっと出口を見つけて、出てきたら、神殿のゲートだった……。私が出ていってから2年経ってたって司祭様は言ったわ」
「……それは、とても怖い思いをしたね……」
俺の同意の言葉に、彼女は両手をぎゅっと膝の上で握りしめる。
「もしまた出られなかったら……って、また1人であの空間に取り残されたらって……。そう思うと……」
彼女はそうして、ここで300年も過ごしていたのか……。
俺は思わず腕を伸ばして、テーブルの向こうの彼女の手を掌で包んだ。
「俺が手を繋いでいるよ。絶対離さないから。玲菜が出られなかった時は俺も一緒にこっちに戻るし、こっちに戻れなかったら戻れるタイミングまで一緒にいる。1人にはしないよ」
俯いていた彼女は、黒い瞳で俺を見上げた。
その瞳にはやっぱり、涙が滲んでいた。
「……そんな事、言った人初めてだよ。……今まで会いにきた元聖女の中で、圭斗が一番のお節介だね」
「あ、ごめん。急にこんなこと言われても困るよね」
「ううん。嬉しいよ」
小さく笑った玲菜は目尻に溜まった涙を指で拭ってから言う。
「……本当は、もうずい分時間が経っちゃって、向こうに帰ってからの事が、怖くなってただけかも」
そうだろうな……。
向こうとこちらに時間差はあるとはいえ、向こうでももう半年弱は経っている。
彼女は現実では昨年の10月後半に消えたっきりのはずだ。
「……行きたい学校があったの。友達と一緒に受験するはずだったんだけど……」
ああ……確かに、時期を考えると、受験関係は全滅だろうな……。
「私、今からでも……なんとかなるかな……?」
彼女の揺れる声に、俺は握ったままの彼女の手をもう一度握り直して、心を込めて答えた。
「なるよ、大丈夫。俺も勉強なら少しは手伝えるし、事情を話したりもできる。信じてもらえるかは分からないけど……1人じゃないよ」
俺は咲希ちゃんのことも話した。
スマホの写真も見せた。
彼女は電池の切れてしまったスマホの代わりに、俺のLINEのIDを紙にメモした。
「次の儀式で帰るなら、3日後に一緒に行こうね。俺はもう1年こっちにいる予定だから、すぐに決められなかったら来年でもいいよ」
彼女が落ち着くまでゆっくり話を聞いてから、俺達は玲菜の部屋を後にした。
部屋を出る瞬間、チリリと首の後ろが痛む。
この悪意は……リーアからだろうか。
……そうだよな。
恨まれるのは当然だよな……。
俺は長い廊下の角を曲がり切ってから、痛む胸をそっと押さえた。
「ケイト様?」
エミーに尋ねられて、俺は苦笑する。
「いや……キリアダンに住む人達には、……恨まれるだろうな……って」
「それは……」
エミーは俺のために、その先の言葉を探している。
答えたのはリンだった。
「ケイト様はいつでも正しく、お優しいです」
まっすぐ見つめてくれるリンの眼差しが、今はちょっとだけ辛い。
「リン……ありがとう。でも、正しさっていうのは人によって……立場によって違うものなんだよ」
「私にとっては、ケイト様が正義です」
言い切るその瞳には、欠片の迷いもなかった。
……そっか。
リンは俺がどんな道を選んでも、それを正義と信じてついてきてくれるのか……。
信頼って、嬉しいけど、重たくて苦しいものでもあるんだな……。
しばらく迷っていたエミーが、ようやく口を開く。
「私は、ケイト様が間違った時にはお伝えしたいと思っております。けれど、今日のケイト様にお伝えするべき点はありませんでした」
「エミー……。嬉しいよ、ありがとう」
「……ですが、これよりしばらくは、ケイト様の身の回りにさらに気をつけたいと思っております」
エミーは正しく俺の憂慮を汲んでくれていた。
エミーの言葉に、リンも背筋を伸ばす。
……なのに、煌めく星々に包まれて、うっかり気を緩めてしまったのは俺だった。
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