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ご褒美
ガタゴトと揺れる馬車の中で、アオイは目の前に座るセリクの顔を眺めていた。
車内に差し込む日差しは、まだ朝の光に近い。
けれど、目の前に座るセリクは、馬車が動き出してほんの5分も立たないうちに静かになってしまった。
伏せられたセリクの長い睫毛が馬車の振動に合わせて小さく揺れる。
睫毛って影とかできるもんなんだな。
セリクの睫毛に遮られて、白い肌には影が落ちている。
……やっぱまだちょっと、顔色悪ぃな……。
アオイは昨夜の事を思い出す。
これまで生きてきて、あんなに怖いと思った事はなかった。
兄から溢れ出たのは赤い命そのもので、なのにオレにはそれをどうすることもできなかった。
こいつがいなけりゃ、兄貴は昨日、あのまま……。
考えた途端、ゾクリと背筋に悪寒が走る。
ロイスが死にかけた時も怖いと思ったけど、昨夜のはそれの比じゃなかった。
兄貴が死んでしまったら、もうオレには生きる意味なんてない。
それなのに、その赤い血を止められない自分があまりに無力で、オレは気が狂いそうだった。
兄貴を助けたのは、セリクだった。
あの中で、兄貴を助けることができたのはセリクだけだった。
セリクはロイスを助けて以降、ずっと勉強をしていた。
あの時、兄貴に必要なだけの魔力が注げなかった事を激しく後悔していたセリクは、それからずっと魔力の効率を上げる勉強だとか、最新の治癒魔法の手法だとか、そんな本を手当たり次第読み漁っていた。
夜も机に向かったまま寝落ちして、朝だってオレよりずっと早くから起きて本を読んで……。
オレは正直、オレにほとんど構わなくなったあいつが面白くなかった。
それでも、セリクが兄貴のために勉強をしてるのは分かってたから、夜以外はなるべくちょっかいをかけないようにしてた。
馬車の中でもせっせと本を読んでは、気持ちが悪いと吐き気をこらえる涙目のセリクにオレは言った。
「アホか、馬車が止まってるときだけ読めばいーだろ」
セリクはオレの言葉に不満げに頬を膨らませて「それじゃあ間に合わないよ」と答えた。
そんくらいじゃ大して変わんねーだろ。とその時オレは思ったが、セリクがこうやって必死で勉強を進めていなけりゃ、昨日にはきっと間に合わなかった。
昨夜、部屋に戻った途端、セリクは膝から崩れた。
ロイスはまるで分かっていたかのようにその肩を抱き留めると、セリクをベッドに寝かせた。
ロイスは目を閉じたままのセリクの髪をそっと撫でて言う。
「よく頑張ったな、立派だったよ」
……そうか。夜の闇に紛れてその顔色が分かりにくかっただけで、こいつはずっと青い顔をしてたのか……。
そりゃそうだよな。
あんなに複雑そうな治癒魔法を使って、更には兄ちゃんを助けるためになんか新しい魔法まで咄嗟に作ってたよな。
……こいつは本当に、すごい奴だよ……。
「セリクが起きたらアオイも労ってやってくれよ?」
ロイスの言葉に、オレは「おう」と答えた。
けど出立式の朝は早くて、衣装合わせやら何やらでセリクと顔を合わせる時間なんかほとんどなかった。
ようやく馬車の中で顔を合わせたと思ったら、こいつはオレのことなんか見向きもせずに、早速本なんか開きやがった。
さらには、オレがなんて話しかけようかと迷う間に、本を胸の上に開いたまま寝息を立て始めたじゃねーか。
顔色だってまだ青白いくせに。
体だってまだ重いんだろうに。
なんでオレにそう言わねーんだよ。
確かにオレのこの体じゃお前の図体は支えてやれねーだろーけどさ。
……それでもオレにだってお前にしてやれることの1つや2つあるだろ……?
そんな風に1人きりで我慢しねーでさ、辛い時は辛いって……オレに言ってくれりゃいーのによ。
オレはそんなに……頼りにならねーのかよ……。
不意にガタンッと馬車が跳ねる。
道に石でも落ちていたのか。
セリクは振動にずり落ちる本を追いかけるように、慌てて目を開いた。
んだよ。
本が落ちるくらいで目を覚ますくせに、オレの視線には気づかねーのかよ。
オレはずっとお前を見てたってのによ。
苛立ちを抱えたオレは本を片手で押さえると、そのまま立ち上がってセリクに覆い被さる。
「あ、アオイ、ありが……」
黄緑色の瞳が、まだ眠そうに瞬いて無防備にオレを見上げる。
くっそ可愛い顔しやがって。
礼を告げかけていたその唇に噛み付くと、セリクは瞳を丸くした。
驚きを隠せないセリクの顔に、オレはちょっと気を良くしてドカッと座席に戻る。
自分の心臓の音が早いってのには、気づかないことにする。
こいつ髪もふわふわしてんのに唇までふわふわしてんのかよ。
こんな柔らけーなんて、……思わねーって。
「な……、え……、何……?」
動揺の声を漏らすセリクに、オレはペロリと唇を舐めてから答えた。
「昨日の礼だ」
「昨日……」
「お手柄だったな。ロイスも褒めてたぞ」
「ロイスも……。じゃあ、アオイも?」
んだよ、わざわざ聞くんじゃねーよ。
お前頭いいんだろ? 文脈で分かれ。
ったく……。
「……兄貴を助けてくれた事には、礼を言うよ」
「アオイ……」
てっきり、オレのために助けたんじゃねーとか言われんのかと思ってたのに、セリクは嬉しそうに笑った。
「ケイ様とアオイの役に立てて良かった」
――……っ!
なん、だよ、その顔……。
心臓止まるかと思っただろ。
朝日に輝くセリクの笑顔は、やけにキラキラして見えた。
「……なんかお前、欲しいもんとかねーのかよ」
「欲しいもの?」
「頑張った奴には、ご褒美をやんなきゃだろ……?」
「ご褒美……」
オレの言葉を繰り返したセリクが、カアッと頬を染める。
セリクの求めたものがオレだと気づいて、オレは苦笑した。
別にそーゆーことじゃなかったんだけどな。
もっとなんか服とか本とか魔道具とかでも、ちょっと高い物とかでもさ、オレがなんとかしてやろうって思ってんのに……。
……こんな、簡単なもんでいいのかよ。
なあ……、お前はそんなにオレが欲しいのか? セリク……。
オレは込み上げる喜びを喉の奥でクツクツと笑いに変えながら、セリクに手を伸ばす。
赤く染まった頬にかかるアッシュブロンドの髪を指先で避けると、オレはセリクの耳元に唇を寄せて囁いた。
「そんじゃ、いっぱい頑張ったセリクを、たっぷり可愛がってやんねぇとな」
「っ」
セリクの肩が小さく跳ねて、ごくりと唾を飲む音がした。
座席に戻るオレを追う黄緑色の瞳は、既に期待に滲んでいる。
んだよ。いちいち可愛い反応しやがって。
喜びと共に胸に過ぎるのは、いつも、不安だった。
お前さ……、オレと兄貴が帰ったら、1人でどうするつもりなんだよ……。
お前は知らねーだろうが、兄貴はお前が穢したせいでもうこっちには来れねーんだぞ。
……お前もそろそろ、兄貴のためじゃなくて自分のために生きねーと……いよいよ後がねーんだって……分かれよ……。
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