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……寂しいよ、アオイ。

セリクはその日も仕事が終わったその足で、魔法研究所からまっすぐ教会に向かった。 あれだけ暑かった夏も過ぎ、日が暮れるのも早くなり、廊下には長い影が伸びている。 ケイ様の部屋に行くと、ケイ様はいつものように僕に微笑んで「今日もお仕事頑張ったんだね」と僕の頭を優しく撫でてくださった。 僕の心は嬉しい気持ちでいっぱいになる。 「来週にはアオイも起きる予定だからね。それまではいつでも俺の所に遊びにおいで」 ケイ様にそう言われて、僕は「はい」と答えてケイ様の部屋を出た。 僕はそのまま教会の奥へ奥へと進む。 教会の一番奥にあるのは聖女様の専用エリアだ。 門の外に立つ騎士も扉の外に立つ騎士も、僕を見ると道を開けてくれる。 これは、アオイが寝る前に僕やケイ様達をいつでも自由に通すように言ってくれてたからだ。 ケイ様達に言うのは分かるけど、アオイはそれを僕にまで許していいんだろうか。 僕がアオイに何かしようとしたら……とは、考えないんだろうか。 アオイはケイ様に比べてずっと警戒心が強い。 自分の側にいる騎士達にだって、侍女のララ様にだって、全然本心を見せないし、いつもほんの少し距離をとって過ごしてる。 それなのに、こんな出自もわからないような僕をチェックも無しに通すなんて。 僕がアオイを害そうとしたら、誰にも止められやしないのに……。 僕はアオイが眠る部屋に入ると、眠るアオイへと手を翳す。 アオイを包む空気の膜は僕の想定よりほんの少し寒かった。 それをもう一度調整する。 これは、夏の暑さにイライラを募らせるアオイのために作った、対象者の外気温を調節する術だ。 術式の基本構成はケイ様が6年前に作ろうとしていた物をベースにさせてもらったので、僕は実行時の処理を自分が行いやすいように最適化させたくらいだけど。 ケイ様とエミー様は風魔法が使えなかったのでこの術は実現が難しかったらしい。 僕はアオイの眠るベッドの隣に置かれた椅子に、静かに腰掛ける。 目を閉じたままの横顔を見つめて、それからアオイの胸が規則正しく上下しているのをじっと確認する。 眠りにつく前、アオイは僕の頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜながら言った。 「おいセリク。寂しくなったらいつでも起こせよ」 アオイの言葉に僕は「うん」と答えた。 僕は、アオイと同じ馬車に乗った前回の巡礼で聖女様の仕事量を初めて知った。 聖女様がこなすべき仕事は、元聖女様として巡礼に参加していたケイ様の何倍もあった。 そんな多忙な中で、キリアダンを出てからアオイは馬車での移動時間と睡眠時間のいくらかを勉強に使い始めた。 「寝なくていいの……?」と尋ねた僕に、アオイは小さく苦笑して答えた。 「こんな1分にもなんねーうたた寝したって眠気はあんま変わんねーんだよ。まあ魔力とか聖力は寝れば回復すっから、ある程度は寝るけどな」 多分ケイ様がお怪我をなさった時に、何もできなかったことを悔やんでいるんだろうな……。 止血だけでもできるようにって頑張ってたけど、アオイは治癒にはどうも向いてないみたいだった。 そんなアオイに、僕は他の魔法をいくつか提案してみた。 思った通りアオイは精神系の魔法には適性があったみたいで、スイスイとそれらを覚えた。 「見ろセリク! 完璧だろ!?」 アオイは僕が教えた術が使えるようになったと、僕に術式を展開して見せてくれた。 無邪気に笑ったアオイのキラキラした笑顔が、今でも鮮やかに僕の胸に蘇る。 アオイは最初こそ僕にトゲトゲしてたけど、巡礼が終わりを迎える頃には随分と砕けた態度を見せるようになっていた。 そんな旅の思い出は、終わりに近づくほどに幸せで楽しくて、辿れば辿るほど僕の胸は苦しくなってしまう。 僕はいつの間にか滲んでしまったアオイの姿に、ゴシゴシと涙を拭った。 ……寂しいよ、アオイ。 毎日ケイ様に頭を撫でてもらってるのに。 今まではそれで十分幸せだったのに。 今は……それでも……、アオイがいてくれないと寂しいよ……。 僕の胸にアオイの言葉が蘇る。 『おいセリク。寂しくなったらいつでも起こせよ』 でも、アオイはギリギリまで寝て、出立式の5日前に起きたって、アオイの感覚ではほんの4時間も寝られないんでしょ? ……そんなの。 ……起こすことなんか、できないよ……。 また視界が滲んでアオイの姿がぼやけてしまう。 僕はもう1度涙を拭う。 アオイの姿をハッキリ目に焼き付けておきたかった。 明日も1日、頑張るために。 ……ねぇ、アオイ。 僕、アオイが起きるまでちゃんといい子で待ってるからさ。 そしたら……また、僕を可愛がってくれる? 僕がそっと部屋を出るまで、アオイはただ、そこで静かに眠っていた。 *** 出立式の5日前になって、ようやく起きてきた蒼が俺のところに来た。 「兄ちゃんおはよ。あー……、けっこー寝た感あるわ」 そう言って、昨夜目覚めたという蒼が俺の部屋に姿を現したのは休息日だった。 休息日というのは俺達の世界で言うところの日曜日のような会社勤めの人達が一斉にお休みを取る日で、セリクもお休みだったはずなんだけど、俺の部屋には来ていない。 うん。なんか、予想が付くからもう聞くのはやめておこう。 移動中に馬車でちょこちょこ寝ていた俺よりも、静かで暗いところで寝ていた蒼の方がぐっすり眠れたんだろうな。 俺も前回寝たのが中途半端な時間だったこともあり、そこそこ眠い。 俺は蒼と入れ替わりで、巡礼が始まったらキリアダンまでの3か月……、3時間ほどを馬車で寝かせてもらうことになっている。 教会にいる間に寝かせてもらう方が良く眠れるだろうなとは思ったんだけど、蒼に「できれば兄ちゃんにはオレと交代で寝てほしい」と言われたので頷いた。 きっと、セリクを1人にさせたくなかったんだろうな……。 セリクは毎日のように仕事帰りに俺のところに来ていたけど、いつもどこか寂しそうだったからな……。 俺には、2人の事を恋人同士だと思っていいものなのかいまだ分からないままだったが、とりあえず2人が互いを憎からず想っていることだけは確かなようだ。 そこへ咲希ちゃんがやって来た。 「うわー実物だぁーーっかわいーーっ。ちっちゃーいっ。お人形さんみたいじゃないですかっ」 そっか、咲希ちゃんは蒼を見るのは初めてだっけ。 「何この女」 蒼の容赦ない一言に、咲希ちゃんのテンションがガクリと下がる。 「わーぁ。毒舌ぅ……」 「口が悪くてごめんね、悪い子じゃないんだけど……」 俺のフォローに、咲希ちゃんは「いえ、私の方が初対面から馴れ馴れしかったです」と反省の言葉をくれた。 「蒼さんですよね。初めまして、ちょっと前に聖女やってた元聖女です。お兄さんのケイさんには聖女の時にいっぱい助けてもらって感謝しています」 差し出された手に、蒼は俺をチラッと見てから渋々と握手を返す。 「今回の巡礼には私も同行するので、よろしくお願いします」 「はぁ!?」 片眉を上げる蒼に、俺は補足する。 「咲希ちゃんはなかなか優秀な元聖女だよ」 「ふぅん……」 面倒そうに咲希ちゃんを一瞥した蒼にめげない咲希ちゃんがすごい。 咲希ちゃんは颯爽とスマホを取り出して、蒼の隣に並ぼうとする。 「一緒に写真撮らせてもらっていいですか?」 「……いーすけど、オレ男っすよ」 お。蒼も一応、元聖女相手に敬意を払おうとしてくれてるみたいだ。 これなら旅の間中ギスギスするって事はなさそうかな。 「あー、なるほど、男の子入り聖女ってこんな感じなんですねっ」 咲希ちゃんは何やらうんうんと満足そうに頷きながら、蒼とのツーショットをバシャバシャ撮っていた。 「……咲希サンて、前の時も写真撮ってたんすか?」 「あ、私の方が蒼さんより1つ下だから、敬語いらないですよ」 そう言って、咲希ちゃんはスマホの写真アプリを開く。 「私の時はこんな感じでしたよー」 咲希ちゃんがスワイプするその画面を蒼はじっと見つめている。 その深い紫の瞳がハッと開いた。 「今の……」 「ん? これですか?」 それは冬祭りの時の写真だった。 蒼が指差したのは、俺の隣にペタッとくっついているセリクだ。 「セリクくん、この頃はちっちゃくて細くて女の子みたいだったのに、今回見たらすっごい成長しちゃってびっくりしましたよー」 「マジかよ……」 蒼がそう呟いて口元を押さえる。 「あはは、確かに今のセリクくんしか知らなかったらこれは意外ですよね。セリクくんならまだ写真ありますよ、見ます?」 コクリと頷いた蒼に、咲希ちゃんは嬉々としてまだ幼さの残ったセリクの写真を次々と見せる。 「……マジで女子じゃん」 セリクの写真を食い入るように見つめる蒼の顔は、口元を覆ってはいたけれど、ほんのり頬が赤くなっているように見えた。 「確かセリクくんってそれまでちょっとしかご飯もらってなかったらしくて、実際の歳より幼く見えてたんだって聞きましたね。あまりの成長にびっくりはしましたけど、スクスク育ってよかったです」 そう言って咲希ちゃんは嬉しそうににっこり笑う。 咲希ちゃんもやっぱり、心優しい元聖女なんだなぁと俺は思った。

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