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既に起きた事(*)
その日、セリクはアオイのベッドで目を覚ました。
カーテンは閉じられたままだったけど、端から漏れる光の強さから、外はもうすっかり昼を過ぎているんだろうと気づく。
ベッドには僕1人だったけど、僕の身体にはまだ重さと甘さがじんわりと残っていて、昨夜の可愛くてカッコいいアオイの姿が瞼に蘇ったので、僕は思わずふふふと笑ってまた布団に潜った。
僕の身体はどこもかしこも綺麗に浄化されていて、掛け布団が丁寧に端までかけられていた。
大事にされていると感じる度に、僕の心にはどうしようもなく喜びが湧いてしまう。
自然と、ずっと前にケイ様がおっしゃっていた言葉を思い出していた。
『人は沢山の人を大切にして、沢山の人に大切にされてもいいんだよ。俺が皆を大事に思うように、皆も俺の事を大事に思ってくれてる。俺はそれがとっても嬉しいんだよ』
あの頃はまるで意味の分からない言葉に聞こえたけれど、ケイ様が僕に諭すように言ってくださった言葉だったから、僕はそれをずっと覚えていた。
そっか……。
僕がケイ様だけでなくアオイのことも大事だと思ってしまうように、ケイ様は僕の事も、あの頃からずっと、ちゃんと本当に大事に思ってくださっていたんだ。
今の僕は、僕の面倒をいつもみてくれたエミー様の事も結構好きだし、ロイス様だってそこそこ好きだし、研究所にはすごい人がいっぱいいて、気に入ってる人も何人かいる。
いつの間にか、僕は本当に、何人もの人を好きになっていた。
すごくすごく大切で、失いたくないと思う人だって、もうケイ様1人だけじゃない。
今更気づいた事実に、なんだか目から鱗が落ちた気分だった。
『俺はセリクにも大切な人を沢山作ってほしいと思うし、沢山の人がセリクの事を大切に思ってくれたら、俺はそれが一番うれしいよ』
あの時ケイ様は最後にそうおっしゃっていた。
僕は、ケイ様に喜んでいただけるような人になれるのだろうか。
僕にとっての大切な人はこれからも少しずつ増えていくんだと思う。
それならきっと、次は僕が沢山の人に大切に思ってもらえるよう努める番なのかも知れない。
僕はなんだかとても未来が広がったような気がして、不思議な気持ちになった。
ベッドに残されたアオイの枕を引き寄せて、ぎゅっと抱きしめる。
4か月の間アオイの頭を支えていた枕からは、アオイのいい匂いがした。
ああ、だから、アオイが僕に優しいのも、嘘じゃないんだ。
アオイはケイ様のことが大好きだけど、僕のことも大切にしてくれる。
それはきっと、本当の気持ちなんだ……。
僕はアオイの枕に顔を押し付けて擦り寄せる。
ケイ様はとってもお優しい。
それは皆が知ってることだけど、本当はアオイもすごく優しいんだって、知ってる人は何人いるんだろう。
きっと、この教会中探したって、それは多くない。
その上で、こんな風に寝所を許してもらえる者なんて、僕の他にいるんだろうか?
そう思うと、僕はものすごくアオイに特別扱いをしてもらっているような気がして、顔が熱くなってきてしまった。
アオイはまだ、お仕事かなぁ。
神官さん達も騎士の人達も、アオイが起きたらあれしてこれして……っていっぱい相談してたもんね。
アオイの姿を思い浮かべると、今すぐ会いたくてたまらなくなってしまう。
でもダメだ。
僕は、アオイの許可がもらえるまでここにいないとダメだから。
……早く帰ってきてくれるといいなぁ。
僕、アオイが帰ってくるまで、このベッドでちゃんといい子に待ってるからね。
だから……早く帰ってきてね、……アオイ……。
***
オレは、迫る出立式に向けての衣装合わせやら何やらと打ち合わせを散々まとめて済ませてから、聖女の専用部屋に引っ込んだ。
今日兄貴の部屋に来ていたちょっと馴れ馴れしい女子、あれが多分、兄貴が家で長電話してた相手だ。
あんな感じの声だったし、兄貴の事電話でもケイさんケイさんって呼んでたからな。
あれは親しさから略してたんじゃなくて、セリクと一緒で兄貴が本名を隠してた時に知り合ったからそう呼んでたのか。
兄貴とはそこそこ仲良さそうではあったが、兄貴があの女子を見る目に特別な感情は乗ってなかった。
オレの脳裏に、今日一日で何度も蘇ったセリクの幼い頃が過ぎる。
……なんだよあれは。
完全に女子じゃねーか。
小さな顔に、細い手足。
ふわふわのプラチナブロンドに、大きくてつぶらな瞳。
兄貴にぺったりくっついて、それでもどこか不安そうな眼差しに、庇護欲をかき立てられた。
あんなに細くて、折れそうなくらいで。
でもそれは食事を抜かれてたからだと聞いて、正直オレは怒りで眩暈がした。
あいつはオレに、兄貴に拾われる前のことを1度も話したことがない。
オレもまあ最初に「奴隷として監禁されていたところを兄貴に拾われた」と聞いたきりで、特にそれ以上を尋ねた事はなかった。
話したくねーことなんざ、わざわざ聞くもんじゃねーだろ。なんて思っていた。
けど、オレの知らないセリクの話を良く知らねー奴の口から聞いて、初めて、オレはそれを悔しいと思った。
オレが1番、セリクを知っていたい。
セリクの今までの事もこれからの事も、オレが、オレだけが、全部知っていたい。
そう思ってしまっている自分に気づいて、居ても立ってもいられなくなった。
なのに聖女ってやつは相変わらず細けー打ち合わせ仕事が山ほどあって、終わったのは結局夕暮れだった。
くそっ、今日は休息日だろ!?
せっかくセリクが休みだってのに、いつまで仕事させる気だよ!
オレは胸中で毒付きつつ、寝室に続く扉を開く。
その向こうに、まだセリクがいてくれることを祈りながら。
一番奥まった場所にある寝室はすでに薄暗かった。
オレがぐっすり寝られるようにカーテンは分厚くなっていたし、今もそれは閉めっぱなしになっていた。
「……ん、アオイ……?」
ベッドの上でもぞりと人影が動く。
オレはそれにホッとしながら声をかけた。
「寝てたのか?」
「ごめん……、アオイを待ってたつもりだったんだけど……ちょっと寝てたみたいだ……」
セリクはしょんぼりと答える。
「いーよ、昨夜はちょいやり過ぎたからな」
言って、大きなベッドに乗り上げて手を伸ばせば、セリクはオレの手に頬を擦り寄せてきた。
オレの手より広いその頬をたっぷり撫でてから、ふわふわのアッシュブロンドを胸元に抱き寄せるようにして撫でる。
この髪は不思議な事に日に当たると色が抜けるようで、夏場は明るい色になるらしい。
今は秋の入り口で、またほんの少し暗い色に戻りつつあるようだ。
「アオイってさ、胸ないよね」
「はぁ? いるかよそんなもん」
顰めっ面で答えたオレの言葉に、セリクは楽しそうにクスクスと笑う。
「お前、オレに胸があったら揉むのか?」
「うーん……? アオイが揉んで欲しいならそうするよ」
「んじゃあ別にいらねーな」
「……それって、僕が揉みたいならいるって事?」
「ったくイチイチそーゆーことを聞くんじゃねーよ」
オレの言葉にセリクは「はぁい」と素直に頷く。
まだセリクはオレのベッドで緩やかにまどろんでいて、オレに甘えていた。
こんな甘い空気の中でなら、昔の事も……聞けば教えてくれるだろうか。
オレはなんでもないフリをしながら、勇気を振り絞って尋ねた。
「なぁお前さ、一体いつから後ろ使ってんの?」
「え、うーん……。わかんない、気がついた時には……?」
「……なんだよそれ」
オレの言葉にセリクが表情を強張らせる。
「え、と……もしかしてアオイって僕がケイ様に拾われる前何してたのかって知らない……?」
「奴隷的なやつだったんだろ?」
「う、うん……」
つまり、こういう事か……。
「……エロいやつだったのか」
オレの声に隠しきれない棘を感じたのか、セリクは小さく肩を揺らして、申し訳なさそうに頷いた。
それきりセリクは顔を上げない。
「……せめて愛玩用って言ってよ」
「変わんねーよ」
「うう……」
「顔上げろよ」
オレはセリクの顎を引いて強引に顔を上げさせる。
セリクはオレと目が合いそうになった途端、黄緑色の瞳を揺らして視線を逸らした。
「目ぇ逸らしてんじゃねーよ」
「……アオイ、怒ってるの……?」
おそるおそるという様子で、黄緑の瞳がようやくオレを見る。
「別に」
オレの答えに、セリクは焦りを浮かべる。
「いや僕、今でこそこんな大きくなったけどさ、ちっちゃい頃は可愛かったんだよ」
「ふぅん?」
「信じてないでしょ……」
「信じるよ」
オレの言葉にセリクは黄緑色の瞳を見開いた。
まさに今日写真で見たからな。
あれなら確かに、無理矢理言うこと聞かそうって思う奴もいそうだし、泣かせたいと思う奴もいただろう。
オレはようやく分かった。
こいつがあの時兄貴にやってたことは、今までこいつがずっと他人にされてきたことだったんだ……。
ああ、兄ちゃんはそれを分かってたから、こいつのこと、あんなにされても嫌えなかったのかな……。
オレは不安げに瞳を彷徨わせるセリクを慰めるように、その名を呼ぶ。
「セリク」
オレは戸惑うセリクの唇を、自分の唇でそっと塞いだ。
セリクからホッと力が抜ける。
オレは兄ちゃんみたいに優しい事はあんま言えねーけど、セリクは触れればちゃんと分かってくれる。
オレはそれがとても嬉しかった。
オレはセリクの頭を腕の中に包んで、優しく撫でながら尋ねる。
「……お前、どんな風に抱かれてたんだ?」
「えっと……色々?」
おずおずと答えるセリクに、どんなんだよ。と視線で尋ねれば、セリクは記憶を辿る様子を見せた。
「うーんと、上品な着せられて、でかい屋敷に連れ込まれて偉そうな人に何日も続けて抱かれる事もあったし……、スケスケの服着せられてでっかいテントの中に吊り下げられて色んな人の見せ物みたいになる事もあったし……、服脱がされてそのまま大勢の中に放り込まれる事とかもよくあったよ……?」
「っ、そ……」
そんなの、あんな小さい子にしていい事じゃねーだろ……。
なんて……言えなかった。
こいつには全てが、既に起きた事なんだ……。
「……そんなんじゃセリクが壊れんだろ」
「僕の持ち主の中に治癒魔法が使える奴がいたんだよ。だからある程度ボロボロになって戻ってきても、あいつらは平気だったんだ」
持ち主ってなんだよ!
セリクは物じゃねーだろ!?
そんな怒りを、オレは懸命に飲み込んで「ふぅん」とだけ答えた。
「あいつらも、暇さえあれば僕達で遊んでたから、あそこでも散々抱かれてたし……」
「それって……ロイスを刺した奴にもか?」
「ああ、あいつ1回始めたらもー粘っこくて中々終わんないしさ、変なことばっかさせたがるし、色々言わせてきて面倒な奴だったよ……」
セリクがその行為を思い出している、そいつに与えられた感触を蘇らせている。
オレにはそれがどうしても許せなかった。
「あいつに何度飛ばされたか……」
そう言ってうんざりとした顔をするセリクの唇を強引に奪う。
「……んっ……ぅ……」
そのまま深く口づければ、セリクがオレの口の中で小さく喘いだ。
「……っ……」
セリクの口内を舌でたっぷり撫で回してから、セリクの頬を優しく撫でて、ようやくオレは唇を離した。
「……アオイ……?」
「……あいつまだ牢にいたよな」
「うん……? ああ、うん。逃げた奴の情報もってるかもって言われてたからね」
「殺してくる」
勢いよく立ち上がったオレの腰に、セリクが慌ててしがみついた。
「ちょっ、ちょっと待ってよ! 聖女様が人殺しは流石にダメだって!」
「るっせーな! 離せよ!」
「ええ!? なんで急に怒って…………――」
その時、セリクの身体が震えたのが、腰を掴まれていたオレには分かった。
「…………ぼ……僕のために……?」
信じられないものを見るような目で、セリクはオレの顔を見上げた。
その頬が見る間に赤く染まり、鮮やかな黄緑色が滲んでゆく。
「……それ以外何があるってんだよ」
「っ……」
セリクはオレの腰に抱きついたまま、ぼろぼろと泣き出した。
オレはため息をひとつ吐いて、ベッドに座り直す。
「泣くなよ」
ふわふわの頭を撫でながら呟けば、セリクは「だって……」とだけ答えた。
オレはしゃくりあげるセリクの背をゆっくり撫でてやる。
元々オレは兄貴みたいに体格は良くないけど、せめてこんな細っこい手じゃなくていつものオレの手なら、オレの腕なら、……こいつをもっとしっかり支えてやれんのにな。
どうにもならない歯痒さに、オレは奥歯を噛み締める。
もういっその事、セリクの記憶を消してしまおうか。
そんな思いもよぎったが、13歳で兄貴に拾われたセリクは物心ついた時にはすでにそうだったと言うんだから、そんなものを全部消してしまってはセリクがセリクでいられなくなるだろう。
……オレはどうしてこんな面倒な奴を気に入っちまったんだろうな……。
こいつに対して最初に抱いた感情は、殺意と憎悪だった。
その後も度々同族嫌悪を抱いていた、そんな相手を。
まさかこんなに手放し難く思う日がくるなんて……。
ったく、こんなバカな話があってたまるかよ。
オレはようやく落ち着いてきたセリクの顔を覗き込む。
セリクはオレの視線に気づいて、おずおずと濡れた瞳を絡めてきた。
んでそんなに可愛い顔すんだよ……。
「いいか、セリク。お前は今後一切、オレ以外の奴に抱かれんなよ?」
オレの一方的な要求に、セリクは驚くほど素直に頷いた。
「う、うん」
オレをじっと見つめ返す従順な瞳に、オレの背が熱くなる。
「絶対だぞ」
「うん。この名に誓うよ」
セリクは自身の胸に手を当ててそう誓った。
「ふぅん? 何だそれ」
「絶対破らないよっていう誓い。僕にとっては最上級の約束だよ」
「へぇ」
最上級という言葉はなんだか凄く特別な気がして、オレの口端が上がる。
「僕の名前は、ケイ様につけていただいた僕にとって1番大事な物だから」
「はぁ!?」
驚いたオレの声に、セリクの方がびっくりした顔をする。
「お前の名前って兄ちゃんがつけたのかよ! んじゃあそれまでなんて呼ばれてたんだよ!」
「え、えーと……おいとか、お前とか、ガキとか?」
「名前じゃねーだろ!」
「……僕は、ケイ様に拾われるまで名前は無かったんだよ。だからケイ様がつけてくれたんだ」
セリクはその時の事を思い出すようにして、瞳を細めて大切そうに話した。
「名前が要るねって、言ってくださって。僕、その時は名前なんているのかなって思ったけど、ケイ様と一緒に旅して、たくさんの人がいるとこで過ごすには名前がいるんだなって思った」
ああ……。きっとこれだ。
オレは直感した。
セリクが絶対無くしたくなかった、セリクの一番大事な記憶は……、この、兄貴に名前をもらった時の記憶なんだ……。
「それにね……、大切な人に名前を呼んでもらえたら、それだけで嬉しいって分かったんだ」
セリクはまだ滲んだままの瞳で、嬉しそうに微笑んだ。
「ふぅん。セリク……って、兄ちゃんが付けた名前だったのか」
オレはその名前を胸の中で反芻する。
「いい響きだよな。……セリク」
うっかり、オレがその名に込めてしまったのは愛しさだった。
途端に、セリクはその頬を真っ赤に染めた。
……んだよ。
お前、ほんと良くこーゆーのに気づくよな。
名前呼んだだけだっつの。
イチイチ赤くなんじゃねーよ。
今夜も寝なくていいってんならいーけどさ、お前……明日は仕事あんだろ?
オレはさっきのセリクの言葉を振り返る。
大切な人に名前を呼ばれたら、それだけで嬉しいとセリクは言った。
……オレはお前にとって、大切な相手だと思っていいってのかよ?
いつの間にかセリクは、オレの事を期待を滲ませた瞳で見つめていた。
「ったく、しゃーねーな。可愛がってやるよ。セリク……」
オレは、今後一切オレ以外の奴に抱かれないと誓った男を、愛しく抱き寄せた。
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