102 / 122

他の国

「他国……」と呟いたリンの、信じられない。みたいなその顔はどういうことなんだろう。  うん……?  そういえば、フロウリアは結界柱に囲まれた国で、結界の外には魔物がたくさんいて……。  フロウリアで5年を過ごした俺だけど、他の国の名前なんて、一度も聞いたことがない。  そもそもフロウリア自体が国名というよりも、世界の名前みたいに言われていた気がする。  結界の外は、一体どうなっているんだろう。  あんな状態では結界の外に出ようなんて人もいないだろうけど、あの結界の外には、他にもフロウリアのように自国を結界で包んでいる国が存在するんだろうか。 「えっと、リン、フロウリアには、他の国って……」  俺の言葉に、リンは静かに首を振った。 「少なくとも、私はフロウリア以外を知りません……」  3大貴族のリンが知らないって事は、ほとんどの国民が知らないんだろう。  国王様だとかなら何か知ってるのかもしれないけど……。  ん?  そういえば、国の王様だとか王子様だとかって、俺一度も会ったことないな。  俺って……聖女や元聖女として見える範囲の、ほんの限られた事しか知らなかったんだな……。  でも、聖女はフロウリアの存亡に関わる存在なわけだし、式典ともなれば王族も見に来たり……しないんだろうか?  それとも教会と王族は仲が悪いとか……?  いや、そもそもフロウリアが王政ではない場合もあるか。  それでも大統領だとか総理大臣だとかそんな肩書も耳にした事はないな……。 「ケイト……?」  気遣うような声に顔をあげれば、リンが青みがかった黒い瞳で俺を見つめていた。  心配そうな表情に、思わず謝罪する。 「ああ、ごめん。俺はフロウリアの事を全然知らないんだなって思って……。5年もお世話になったのにな。自分が恥ずかしいよ……」  俺の言葉にリンは一瞬息を詰めてから「いいえ」と首を振った。 「貴方様は聖女様として十二分に学ばれ、その務めをこれ以上ないほどに果たしていらっしゃいました。それ以外に関して知る時間が無かった事は、我々の不徳の致すところです」  リンの言葉は優しくて、俺の心にまっすぐ届く。  俺は、目の前の彼に大切にされているその事実に、どうしようもなく笑みをこぼしてしまう。 「ありがとう。リンは優しいね」 「っ」  途端にリンは口元を覆って、視線をそろりと進行方向へと向けた。  横顔を見上げれば、耳が少しだけ赤く見える。  あ、もしかして、照れてる……?  それに気づくと、何だか俺まで恥ずかしくなってきてしまう。  しばらく無言で歩くうちに、公園の入り口が見えてきた。  桜の花びらも、風に乗ってひらひらと公園の外まで舞い飛んでいるようだ。  ここらで一番広い公園にはずらりと桜の木が並んでいて、風が吹くたびに花びらが舞っている。もう散り始めの時期なんだな。思ったよりも花が減っている木が多い。開花は卒業式に間に合わなかったようだったのに、このままでは入学式よりも先に散ってしまうんじゃないだろうか。  公園にはそれなりに人影があったけれど、平日の昼間ということもあってか、レジャーシートを敷いている人達の数はそこまででもなく、主に子連れが多い印象だ。  俺達は敷物もないし、東屋はもちろん外のベンチも埋まってるから……。  あ。あそこの半分になったタイヤが並んでるとこが良さそうだな。 「リン、あそこに座ろうか」  振り返れば、リンは舞い散る桜を見上げていた。  うわぁ……。  イケメンは立ってるだけで絵になるなぁ……。  サラサラしたリンの髪が風になびいて、周囲を舞う花びらまでもが何だかキラキラして見える。  そんなリンが俺を見て「はい」と爽やかに微笑む。  うっ。顔が良すぎて……心臓が、痛い……っ。  俺達は陽の当たる公園で、ほんのり温まったタイヤに並んで腰掛ける。  まだアツアツのコロッケを「火傷に気をつけてね」と差し出すと、リンは嬉しそうな顔で「はい」と受け取った。  2人並んで、牛肉コロッケをハフハフ齧りながら桜を眺めて過ごす。  リンはひらりと舞う桜の花びらを空中でひとひら受け止めると、手のひらを覗き込んで言った。 「あの頃のケイト様のようですね……」  様が戻ってるよ、とか、そこまで淡い色じゃなかったでしょ、とか、色々言いたい事はあったけど、俺は言葉にできなかった。  淡いピンクの花びらを見つめるリンの瞳が、あまりに愛しげに細められていて。  その瞳が熱を持ったまま、スッとこちらに向けられたから。 「っ……」  俺は、口に残っていたコロッケの最後のひと口を何とかごくりと飲み込む。  リンは俺をまっすぐ見つめたまま、うっとりと目を細めた。  あ、これはアレだ。  俺の直感が、間違いないと言っている。  俺は、俺に対して何やら賛辞を紡ごうと開かれたに違いないリンの口に、すかさず2つ目のコロッケを詰め込んだ。 「ですが、ケイ」まで言いかけていたリンの口が、むぐ。とコロッケに塞がれる。  ふう。危ないところだった。  おそらく、リンの愛のこもったまっすぐな賛辞は、こんな日中のお子様の多い公園で、男性が男性に向かって垂れ流していい熱量ではない。 「ええと、外で……というか、人目のあるところで、俺のことを褒めるのは極力避けてもらえるかな」  俺の言葉に口をコロッケで塞がれたままのリンがコクコクと頷く。 「そのコロッケはコーンクリーム味だよ。甘くて美味しいよね。小さい頃から好きなんだ」  リンは口に押し込まれたコロッケを齧り取って「とても美味しいです」と答えた。  その反応にホッとしながら、俺も自分用のコーンクリームコロッケを取り出してサクッと齧る。  うん、やっぱり美味しいなぁ。  サクサクの衣に、甘くてクリーミーなコーンクリームと、その中でプチプチ弾けるシャキッとしたコーン。  ホクホクの気持ちでそれを食べ進めながら、リンにフロウリアの政治の仕組みについて聞いてみようかな、なんて思っていたところで、背後から小さな呻き声が聞こえた。  俺とほとんど同時に、リンも声がした方を振り返る。  そこには2台のブランコがあった。 「うぅ……」と苦しげな声を漏らした女性は、口元を押さえて前屈みになろうとしていた。  そこへ、その女性が押していたのか、小さな女児の乗った揺れるブランコが戻ってくる。 「危ない!」  思わず上げた俺の声は自分が思うよりずっと大きかったらしく、公園中の視線が集まるのを肌に感じる。  反射的に駆け出した俺は、咄嗟に女性とブランコとの間に入った。

ともだちにシェアしよう!