104 / 122

簡単な条件

 どうしてだろう。  彼女の眼差しは昔楽しく過ごしたフロウリアの今を知りたいという明るいものではなく、何かに苦しんでいるような責任を感じているような、どこか暗い影を宿しているように見えた。  どこからどこまで話そうか、と思案しつつ口を開いた時、実玖ちゃんが駆け寄ってきた。 「ママーっ。おうちいこーっ」  ぎゅっと足元にしがみついてくる娘の頭を、七凪さんは優しく撫でる。 「あらら? いつもは帰らないって駄々こねるのに、今日はもういいの?」  実玖ちゃんはガバッと顔を上げると両手で広げてうったえる。 「おうちで、ピピちゃんをみせてあげぅのっ」  うん?  首を傾げた俺に、実玖ちゃんが熱量たっぷりに説明してくれる。 「ピピちゃんはとりさんなのよ、みくがおせわしてぅのっ」 「実玖、誰に見せるの?」  ママさんもちょっと引き攣った顔で尋ねている。 「おにーちゃんに!」  言って、実玖ちゃんは後ろから来ていたリンを振り返り、リンの手をぐいっと引っ張る。  どうやら、実玖ちゃんはリンを家に招待したいらしい。  ブランコの後は隣の砂場で2人で遊んでいたようだったけど、いつの間にかリンは実玖ちゃんとずいぶん仲良くなったんだなぁ。  リンは実玖ちゃんの前にスッとしゃがむと優しく微笑んで言った。 「お誘いありがとうレディ、しかし急な訪問はマナーに反してしまう。またの機会に、書面で互いの都合を合わせるべきだ」  なるほど、貴族育ちのリン的には急な訪問はマナー違反なんだなぁ。  でも小さな子どもの誘いなんて基本は急なものだしなぁ。 「?」  よく分からないという様子で首を傾げる実玖ちゃんの小さな手を取って、リンは言葉を変える。 「また別の日に、誘ってもらえたら嬉しい」  リンの言葉にようやく断られたことを知って、実玖ちゃんがくしゃっと顔を顰める。 「えーーーっ! ダメ! いますぐ! いくの!」  間近で叫ばれたリンは、それでもクスクスと笑うだけだった。 「なんかリンって意外と小さい子に慣れてる……?」  俺の声にリンは俺を見て「弟がおりましたので」と答える。  そういえばリンの弟くんはリンの24歳を祝うあのパーティーの時、13歳だったっけ。  リンとは11歳離れてるのか。リンが11歳の時に生まれたのなら、確かに弟の幼い頃の姿を覚えているのも頷ける。 「弟くんにもこんな時期があった?」 「はい、リックは末っ子でやんちゃでしたから、このくらいの時期はひっくり返って暴れていましたよ」 「ええ? 意外だなぁ……」  リンが、当時の弟を思い浮かべて懐かしそうに目を細める。  ……でも、リンはそんな大事な弟にもお兄さん達にも、もう会えないんだよね……。 「いっしょに、くぅの! こっち!」  実玖ちゃんはぐいぐいとリンの手を引っ張って行こうとする。  しかしリンは実玖ちゃんの全力でもビクともしない。  これは、ここで強引に別れてもママさんの帰りが大変そうだなぁ……。 「ご自宅はお近くですか? 良ければお送りしますよ」  俺は何気なく口にしてしまってから、慌てて口を覆う。 「あ。急にこんなこと言ったら不審者です、よね……」 「あはは、普通はそうね」  七凪さんは明るく笑って、それから俺をじっと見た。 「でも、あんなに綺麗な聖力を扱う人を疑うなんてできないでしょ」  七凪さんはそう言って、実玖ちゃんに「良かったわね、お兄ちゃん達、実玖の家まで送ってくれるって」と笑いかける。 「リン、いいかな?」  俺の言葉に、リンは大きく頷く。 「もちろんです」  抱っこを要求する実玖ちゃんに応えて、リンが実玖ちゃんを軽々と抱いて歩く。  リンの腕にはエコバッグも下がっていたが「俺が持つよ」と声をかけるも却下されてしまった。  まあ確かにいつも鎧を着て剣を携えていたリンにとっては、荷物に実玖ちゃんくらい軽いものか。  フル甲冑に帯剣した状態で、俺を抱えて軽々走れる人だもんなぁ。  俺はリンたちの前を七凪さんと並んで歩きながら、ここ最近のフロウリアの様子をなるべく簡潔に話した。  七凪さんは俺の話をどこか硬い表情で聞いていたけれど、俺が再度フロウリアに向かった話をした時、彼女は顔色を変えた。 「もう一度……まさか、生身で行ったっていうの!? あそこで死んだら本当に死んでしまうのよ!?」 「ママ? どーしたの?」  背にかけられた実玖ちゃんの声に、七凪さんは慌てて振り返る。 「ああごめんね、お喋りがもりあがっちゃった」  えへへ、と安心させるように笑って見せる彼女に合わせて、俺も振り返って「うんうん」と笑顔を見せる。  リンは少し心配そうな顔をしていたけど、実玖ちゃんは「そっかー」とニッコリ笑って納得してくれたようだ。  俺は前に向き直ると、静かに伝えた。 「分かっていました」 「分かっていて……わざわざ巡礼に行ったの? 何か圧力をかけられた?」  圧力……。七凪さんの頃はそんな圧があったんだろうか。 「いえ、司祭様は良くしてくださったので、大丈夫ですよ」 「だとしても、許せないわ……。ゲートは一度帰った人はもう入れない仕様にしていたのに……誰かが強引に書き換えたのね……」  思いもよらないその言葉に、俺は息を呑む。  いや、待てよ。さっき彼女はこちらに来て何年と……そう7年だと言っていた。  こちらの1年でフロウリアの730年……という事は彼女はかなり初期の頃の聖女で、しかもゲートの設計にまで関わっていた……? 「けど、条件箇所を消そうとすれば、ゲートごとダメになるはずよ。だとしたら何か……そう、ゲートをくぐることに条件が付いていなかった?」 「条件……」  というとあれだ。清い心と身体でないとダメってやつか。 「あ、ありました……」  何とは言わないけれど。 「やっぱりね。条件箇所そのものは消せなかったから、別の条件にすり替えたのね……」  よかった。  七凪さんは条件の内容までは聞かないでいてくれそうだ。 「どんな条件? 何か簡単な条件だったんでしょ?」  と思ったけど違った。しっかり聞かれた。  俺は顔が熱くなるのを感じつつ「すみません、ちょっと……」と口元を手で覆うようにして内緒話を要求する。  だって、なんとなく、実玖ちゃんに聞かせたらいけない気がして……。  俺の説明を聞いて、七凪さんは爆笑した。 「あはははは! 確かに聖女っぽい! その条件なら不自然じゃないね! ていうか内緒にするような事でもないじゃない?」  ううう……。ダメだ。  なるべく平静を装おうとはしてるんだけど、恥ずかしさと情けなさから顔が赤くなるのが止められない。  だって俺達は、彼女が笑い飛ばすようなそんな簡単な条件に、全員しっかり引っかかってしまっているんだよな……。  不意にピタ。と七凪さんが笑いを止める。 「その反応……。もしかして君達、この条件に引っかかっちゃってるわけ?」  もうここで否定したところで意味がなさそうなので、俺は黙って頷いた。  彼女がもう一度笑い出す中で、俺は自分の正直な気持ちを伝えてみる。 「彼のご家族は、彼が二度と向こうに帰れないと分かった上で彼を送り出してくれました。……けれど、もし彼が向こうに帰り、またこちらにくる術があるなら、俺は彼にもまた家族に会う機会を与えてあげたいんです。何か方法をご存知でしたら、どうか教えてください」 「うーん、そっかぁ……。あそこは君達にとって、大切な人がいる場所なのね……」  七凪さんは微妙に眉を顰めながら、空を見上げてそう言った。  どうも、七凪さんはフロウリアをあまり好きではないみたいだけど……、俺にとっては……。 「俺にとってフロウリアは、大事な仲間の暮らす守りたい場所です」  突然、七凪さんが足を止めた。  ん? この辺が家なんだろうか?  俺がキョロキョロしていると、七凪さんは小さく肩を震わせて言った。 「……フロウ、リア……?」  そういえば、七凪さんは一度もフロウリアの名を口にしていなかった。  もしかして、当時は違う名前だったんだろうか……?

ともだちにシェアしよう!