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フロウリア
「あの国……そんな名前を……名乗っているわけ……?」
七凪さんが滲ませているのはどう見ても怒りだった。
彼女は一体、向こうでどんな目に遭ったというんだろうか。
立ち止まったまま俯いている七凪さんを、リンに抱き抱えられている実玖ちゃんが不思議そうに見下ろしている。
「ママ……? おえってなぅ?」
実玖ちゃんの言葉に、彼女は滲ませていた怒りを霧散させて「大丈夫よ」と答える。
七凪さんは、はぁ。と大きくため息を吐いてから、リンを見上げた。
「ディアリンド君は『フロウリア』の意味が分かる?」
「確か旧時代の古語だと聞いたことがあります」
「旧時代……って事は、今はそれとは別の言語を使ってるわけ?」
「はい」と頷いたリンに、七凪さんは「なるほど、徹底してるわ……」と呻く。
「父には聖女の加護ある我が国を指していると学びました」
いつでもピンと背筋を伸ばして立っているリンが、そのままの姿勢で答える。
「聖女の加護……ね。その頃の言葉で『フロウ』が『側に』、『リア』が『聖なる力……聖女』よ。聖女の側に、なんてよく言ったものだわ。勝手に呼び出して、強引に縛っておいてね」
吐き捨てるような彼女の言葉に、怪訝な顔をしたのはリンだ。
「それは……どういう事ですか……?」
「君にとってはずーーーっと昔の話よ。私にとってはそうでもないけど」
そう言って、彼女はまた歩き出した。
何千年も昔のフロウリアでは、聖女はどんな存在だったんだろう……。
「芦谷君は直接結界柱の浄化をしたのよね?」
「はい」
「何か言ってた?」
言ってた……?
それは、誰が……?
勝手に呼び出されて、強引に縛られたのは……ずっと昔の聖女で……。
縛られたのは、何に……?
それは今、どこに……。
……ああ、マズイ。
なんだかよくない結論に辿り着いてしまいそうだ……。
答えきれない俺に、彼女は続けて問う。
「何も……聞こえなかった?」
俺は精一杯当時の事を鮮明に思い出して、それから答えた。
「はい、俺には何も……」
「そう……。もうあれから何千年と経ってるんだものね……あんなところで1人ぼっちじゃ、心が耐えられるはずないわ」
憎々しげに呟かれた彼女の言葉は、俺の予想を裏付けるには十分だった。
「もう全部壊れたっておかしくないほどの時間が経ったのに……」
壊れる……?
「それは、結界柱がですか?」
「結界柱も、あの国もね。むしろここまで持ったのが奇跡だわ。あそこが今も生き延びているのは、芦谷君みたいな子達が……。命がけで、頑張ったから、なのね……」
それは悔しそうで、とても悲しそうな声だった。
やっぱりそうなのか……。
彼女はフロウリアを憎んでいるし、その崩壊を願っている……。
どうやら俺の努力は、彼女を悲しませてしまったようだ。
けれど彼女の予想によれば、それでもその日はもう近い、という事か……。
それは一体、何年後なのだろうか。
俺の胸に、昨日別れたばかりのエミーやロイス達の顔が過ぎる。
「あ、あれー! みくのおうちー!」
後ろから可愛い声が懸命に主張しはじめる。
「そうか、立派なものだな」
リンがそう答えて頷いている。
実玖ちゃんが指差しているのは大きなマンションだ。
多分リンはこれ全部が実玖ちゃんの家だと思ったんだろうけど、実際の実玖ちゃんの家はこの中の一室だと思うよ。
「ここまででいいわ。今日はありがとう」
七凪さんはそう言ってマンションの入り口で足を止めた。
リンが実玖ちゃんを下ろそうとする。が、実玖ちゃんはイヤイヤと頭を振って離れようとしない。
「あの、七凪さん。もし良ければ今度また当時のお話を聞かせてもらえませんか?」
俺の言葉に七凪さんは怪訝な顔をする。
「聞いてどうするの? あなた達はもう向こうへは行けないし、私達も行けない。できる事は何もないでしょう?」
俺は彼女にコミュニティの事を伝えていない。
だから、彼女は俺にまだ向こうに行ける仲間がいるとは思っていないんだ。
「それでも、俺は過去にあの国で何があったのか、知りたいんです」
七凪さんは目を伏せると、自分のお腹をそっと撫でた。
「私は……あの頃のことは話したくないわ。お腹の子の情操教育にも悪いと思うから」
「あっ、そうですよね。ごめんなさいっ」
俺は慌てて頭を下げる。
そうだ。彼女は妊娠中だというのに。
今日は俺のせいで随分と嫌な気分にさせてしまったようだし……。
「具合は悪くないですか? もう一度浄化してから帰りましょうか?」
「芦谷君が謝る事じゃないわよ。君は本当に優しい人なのね……」
「いえ、今日は本当に……すみませんでした」
俺は心からの謝罪を伝える。
コロッケで気持ち悪くさせてしまったことも、フロウリアの話で嫌な気分にさせてしまったことも、俺のせいで間違いないから。
七凪さんは、小さく苦笑して言う。
「君達が条件を潜って向こうに行けるかどうかについては夫にも相談してみるけど、多分無理だと思うから期待しないで。今度またあの公園で見かけた時に声をかけてくれればいいわ。天気の良い日の午前中は、高確率で実玖とあそこにいるから」
「「ありがとうございますっ」!」
俺とリンの礼が重なる。
つい大きくなってしまった声に、実玖ちゃんが驚いて小さく飛び上がった。
その隙に、七凪さんがサッと実玖ちゃんの手を引いて歩き出す。
「また公園でね」
「はい」
彼女に聞きたい事は、まだまだ沢山あった。
でも、その前に一度蒼や咲希ちゃん達に相談したい。
玲菜なら、俺よりずっとフロウリアの歴史にも詳しいはずだし……。
後ろ髪を引かれる思いで立ち尽くす俺に、リンが顔を寄せて囁く。
「私達も参りましょう」
ああそっか、実玖ちゃんがさっきから何度もこっちを振り返ってるもんな。
ここはサッサと姿を消す方が良さそうだ。
「分かったよ」
答えて、俺達は素早くマンションのエントランスから見えない場所まで移動した。
***
オレのセリクはマジですげぇ。
魔力は多いし、基本をしっかり勉強した上で応用もできて、機転もきくってのが最高だ。
正直有能すぎてヤバイ。
オレ、こいつがいれば一生金の心配しなくていーんじゃねーかな。
まあ、ずっとセリクに頼って生きるってのはオレのプライド的にはアウトだが。
どちらかといえば、大事な奴はしっかり懐に閉じ込めておいて、オレが稼いで養ってやりたい。
……しかし、それはそれとして、セリクは天才だと思う。
セリクは完成品を手に、オレの隣で小首を傾げた。
「うーん……? どうかな、こんな感じ?」
セリクの手には、ディアの剣……だったものが握られている。
柄までは今まで通りだが、その先の剣身はまるで違う。
「もうちょっとお洒落になんないかなぁ……」
セリクはオレの手よりほんの少し小さな白い手で、鈍い銀色に光る鎖をチャリチャリと弄んでいる。
「むぅ」と難しそうに眉間に皺を寄せて考え込むセリクは、たまらなく可愛い。
「もう十分だろ」
オレは横から腕を伸ばしてセリクの腰に巻きつけると、ぐいと引っ張る。
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