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お茶の約束
馬車で聖女達の帰りを待つカラサディオ達の耳に微かに届いたのは、喜びに湧くような男達の声だった。
ダリスガンドは素早く馬車から降りて森を見る。
森はここについた時よりもずっと明るく生き生きして見えた。
これは、あれからさらに浄化が進んだという事だろうか。
つまり聖女はまだ生きている。
それに、先ほどの声……。
森から微かに聞こえた声は、確かに明るい響きだった。
まだ距離は随分と遠いが、これなら結果は期待できそうだ。
ホッと胸を撫で下ろしたダリスガンドの後ろから、カラサディオも出てきて森を見上げる。
「おお、なにやら森を包む空気が変わったようだな」
カラサディオもこのくらいは感じ取れるのか、とダリスガンドは内心感心する。
カラサディオはしばらく美しい青紫色の瞳で森を眺めた後に、戻ってきたら知らせるようにとダリスガンドに言い残して馬車に戻っていった。
飽きたのだろう。
ダリスガンドがそのままじっと森の中を窺い続けるうち、森の奥からカチャカチャと甲冑の音が鳴り出し、次第にざわざわと明るい話し声が聞こえ始める。
その数は、ダリスガンドが聞く限り、ほとんど減っていないように思えた。
胸に湧く驚きと喜びを堪えながら、ダリスガンドは馬車の戸をノックする。
「カディー様、騎士団が戻りました」
「やっと戻ったか、待ちくたびれたぞ」
呑気な言葉に内心苦笑しつつも、余計な気を揉むよりは良いかと思いながら扉を開け主人の下車を助ける。
姿を表した騎士達は皆生き生きとしていた。
治癒術師達が慌てて駆け寄ったが、驚いたことに1人の負傷者もないという。
これには私やカラサディオだけでなく、この場に残った全員が驚いていた。
しかし、鎧に破損がある者は何人か見受けられる。
しかもあれは……どういうことだ……。
あんなに胸部が大きく抉られたのだとしたら、彼は既に死んでいるはずではないか。
それなのに、傷ひとつない素肌を晒して元気そうに歩いている。
服までは確かに裂かれた形跡があるというのに。
本当に…………、本当に、あの森の中で、聖女があの大怪我を治しきったというのか……?
理解できない状況に戸惑う私を置いて、カラサディオはいそいそと聖女の側へと歩を進める。
一瞬遅れてその後に付き従うと、聖女の周りには何故か6人の騎士がぐるりと控えていた。
なるほど、森の中でもこの陣形で聖女を守っていたのだろうか?
「ミノル様、ご無事で何よりです」
カラサディオの言葉に、聖女は落ち着いた仕草で可憐な礼をしてから口を開く。
「ありがとうございます、カディー様。どうしてこちらにいらしているのですか? あちらでお待ちになるとおっしゃっていましたのに……」
ふわりと微笑んだその表情とは裏腹に、その言葉はカラサディオを責めているようなのだが、当のカラサディオはまるで気づいていないのだろうか。
「ミノル様……おれを心配してくださったんですね。大丈夫ですよ、おれはこの通り怪我一つありません」
それはそうだろう。
カラサディオは馬車で暇を持て余していただけなのだから。
「おれはただ、初めての浄化でミノル様が不安でないかと心配で心配で……。いてもたってもいられず、ここまできてしまいました」
大袈裟な身振りで、カラサディオが眉を寄せ、心配でたまらなかったというアピールをする。
途端、聖女が頬を染め、カラサディオをうっとりと見つめる。
これだ。
この表情が、カラサディオを勘違いさせるのだ。
「まあ……それはご心配をおかけしてしまい、申し訳ありません……。ですが、私もこの通り、怪我ひとつありませんわ。頼もしい騎士の皆様が守ってくださいましたので」
赤く染まった頬と潤んだ瞳で、彼女はたっぷりと信頼を乗せた視線を周囲の騎士達へと向ける。
騎士達は、その信頼を受けて幸せそうに微笑んだ。
おそらくこの場で彼女の言葉がカラサディオの言葉をなぞった皮肉だと気づいたのは私と……彼女の後ろの騎士2名くらいか。
「ですが、貴女の柔らかく澄んだお心にはきっと深い傷が残った事でしょう……。もしよろしければ、おれの馬車でお茶でもいかがですか? おれが必ず貴女の傷を癒してみせると誓います」
カラサディオがスッと聖女の手を取る。
いや、取ったと思ったその瞬間、主人の手は弾かれていた。
「!?」
驚きに目を見開くカラサディオに、聖女が謝罪する。
「ああ……大変申し訳ありません、先程まで危険な森の中でしたので、思わず咄嗟に障壁を……」
咄嗟に……?
あの瞬間に彼女は障壁を展開したというのか。
しかも片手で……?
両手を翳したような仕草は見せなかったはずだ。
まさか、別の場所から別の術者が……? いや、そんな気配はなかった。
力の動きを感じたのは、確かにこの聖女からのみだ。
いや待て。
咄嗟に障壁を張られたということは、カラサディオの今の行動は彼女にとって嫌悪を抱く行為だったという事か……。
「……お手に痛みはございませんか?」
申し訳なさそうにカラサディオの手の具合を尋ねる彼女から、悪意は感じられない。
けれど、カラサディオが好かれていないのはどうやら間違いなさそうだ。
触られたくないと思う程度には。
「いいえ、このくらい何ともありません。ですがミノル様の受けた心の傷はよほど深刻なようですね……」
「ぇ……?」
なるほど?
カラサディオは彼女が森での事で、今も怯えているためにこんな行動を取ったと思ったのか。
そのポジティブさだけは評価できなくもないが……。
「いかがでしょうか、おれの馬車でお茶でもご一緒しませんか? 貴女のお心をおれの全てで優しくお慰めいたしますよ」
カラサディオは気を取り直したのか、手こそ出さないものの、深く澄んだ青紫色の瞳を細めると全力のキメ顔で彼女へ微笑んだ。
聖女はやはり、カラサディオをうっとりと見つめて頬を染める。
耳まで赤くなってしまいそうなその顔を小さな両手で隠しながら、彼女は言った。
「あの……、お……、お誘いは、ありがたいのですが……、騎士団の皆様もお疲れですので、今は一刻も早く宿に戻り、彼らにゆっくり過ごしていただきたいのです……。カディー様とのお茶は、またの機会にさせていただいてもよろしいですか……?」
顔はそんなにも赤くするくせに、カラサディオの誘いにはまるで乗る様子がない。
確かに、これではカラサディオが困惑するのも分からなくはないが、同じ騎士として、疲れた彼らを早く休ませたいという彼女の主張はとても好ましく感じられた。
「では、町に帰ってからではいかがでしょう?」
「私も今日は少し疲れておりますので……」
それは当然だろう。
これだけの範囲の浄化をして、あれだけの人数に加護を施し、さらには怪我人の治癒までこなして。
むしろ聖女が一番疲れていると言っても過言ではないだろうに……。
「……そうですか……。ご無理を言って申し訳ありません……」
カラサディオがしょんぼりと肩を落とす。
青の混ざった赤い三つ編みが悲しげに揺れると、聖女は明らかに狼狽えた。
「あ……あの……、カディー様は明々後日のご都合はいかがでしょうか?」
初めての彼女からの誘いに、カラサディオは破顔する。
ぶわっと大量の花を背負ったような迫力のある王家の笑みに押されてか、聖女は半歩後ずさった。
「明々後日ですね!? 一日中、丸ごと全てミノル様にお使いいただけるようにしておきます」
「い、いえそんな、小1時間もあれば十分です……」
さらに真っ赤になってしまった顔を小さく振って彼女は遠慮してみせたが、ふるふると揺れるふわふわとした髪に、カラサディオは上機嫌で微笑む。
「いいえ、朝から晩まで、貴女がお望みとあらば翌朝までもお供させてください」
途端、先ほどからチリチリとした敵意を放っていた騎士達からの敵意が倍増する。
向けられた敵意の先はカラサディオであるのに、当の本人はまるで気づかず、後ろの私の肌だけが粟立つというのはどういうことだ。
どうやら、あの騎士達の中の少なくとも2人は私と同じほどに戦える者のようだ。
「その、翌日は出立日ですので、遅くならないうちに解散とさせてくださいね……?」
やんわりと断りの言葉を口にしながらも、聖女は丁寧に礼をして「ではまた明々後日に」とふんわり微笑んで立ち去った。
「ああ……明々後日か……。今から待ち遠しいな」
幸せそうな顔をするカラサディオは、遠回しに今日と明日と明後日はお前には会えないと言われたということには気づいていないらしい。
しかしまあ、個人的に会う約束が取り付けられたのは、間違いなく前進だろう。
ダリスガンドは苦笑を飲み込むと、締まらない顔をした主人を馬車へと押し込んだ。
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