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宿の夜(*)
明かりの落とされたシンと静かな寝室で、ディアリンドは瞬きもせずにケイトの姿を見つめていた。
小さな両手で水晶球を支え、白く輝く美しい聖力を少しずつ水晶球へと注ぎ続けるその姿は清らかで神々しい。
彼女の腰掛けたベッドに広がる淡いピンク色の髪も、そっと伏せられた睫毛も、白い聖力の輝きに淡く照らし出される全てがまるで完璧な絵画のようで、ディアリンドはその神秘的な光景から一瞬も目を逸らすことができずにいた。
永遠に続くかのように思えたその光景も、水晶球に白い輝きが満ちると同時に終わりを迎える。
「……あれ? リンまだ起きてたの?」
私に気づいたケイトが、私へ視線を向けて大きなラズベリー色の瞳を瞬かせて問う。
「聖力が眩しかった? ごめんね、俺向こう向いてやるね。リンは明日もあるんだから早めに寝てね?」
明日があるのは貴方も同じだというのに、ケイトは「ほんの1分くらい寝なくても大丈夫だから」と今夜は寝ずに聖球を作るのだと言う。
騎士達に言うと心配させてしまうかもしれないから、と私にだけ打ち明けてくださったそれを、私は誰にも言わず握り締めた。
私も貴方と同じ時を生きる体のままでいられたなら。
貴方に一人きりで夜を過ごさせることなどなかったのに……。
悔しい思いを飲み込んで、私は「私が向こうを向いて寝るので大丈夫です、おやすみなさい」と伝えて彼に背を向けた。
彼を守る為にも、自身の体調は万全に整えておかねばならない。
昨夜は彼の求めに応じたため睡眠時間が不足していたのは確かだ。
今夜こそしっかり休んでおかなくては……。
目を閉じると、眼裏に昨夜の彼の姿が蘇る。
私の腕の中で悶え、悦びに震える彼は、本当に愛らしく美しかった。
急激に襲う睡魔と裏腹に熱く滾る胸の内で、できるならば夢の中でもう一度、愛しい彼を抱けますようにと願いながら、私は自然と昨夜の事を思い返していた。
そう、昨夜は、おやすみの挨拶を交わしてしばらく後に、彼が布団の中から声をかけてくださった。
「リン、まだ起きてる……?」
彼の発した小さな声に、私は「はい」と答えた。
彼が眠りについていない事は、その寝返りの数から気づいてはいた。
今日は森で激しい戦闘があった後だ、すんなり眠れないのも無理はないだろう。
「……少しの間だけ、元の姿で話したいんだけど、いいかな?」
彼の問いに「はい」と答えてしまいそうな自分を律して「ああ」と答えた。
彼が求めているのは、おそらくこちらの答えだろうから。
私は部屋の隅に寄せられた侍従用のベッドから出て、彼の隣に立つ。
彼はコンパクトを手に変身を解除すると、久々に戻った自身の姿にホッとしたような顔を見せた。
聖女の姿で過ごすのは、ケイトにとって辛い事なのだろうか。
だとしたら、部屋で過ごす間だけでも……それが無理でも、せめて寝室でだけは元の姿で過ごしてもらいたい。
私の懸念に気づいたのか、ケイトは首を振った。
「ああ、違うんだ。聖女の姿が嫌ってわけじゃないんだけど、その……」
聖女の時よりも、彼の頭はずっと私に近い距離にある。
少し俯いた彼の頬を、私の指は自然と撫でていた。
ケイトが私の手に自身の指を絡ませる。
「ちょっとだけ、リンに甘えてもいいかな?」
そう言ってケイトに見上げられると、私の心臓は大いに跳ねた。
ああ、なんということだろう。
彼が私を求めてくれているなんて……。
私の全身を喩えようのない強烈な喜びが駆け巡る。
「ああ、いくらでもケイトを受け止めよう。存分に甘えてほしい」
精一杯優しく微笑みかけると、彼も嬉しそうにとろりと瞬いた。
私は早速彼を抱き上げると、彼の求めにどれほどの時間でも耐えられるよう、ベッドボードを背にして座り、自身の足で囲った内側に彼をそっと下ろす。
不意に抱き上げられてか「わぁ」と小さな声を上げたケイトがたまらなく愛しい。
彼の身体を両腕で優しく包み込むと、ケイトは私の胸に頬を擦り寄せた。
ああ、その仕草は可愛らし過ぎていけない。
話があると言われているのに、不謹慎にも体が熱を帯びてしまいそうだ……。
しかし、どうしてだろうか。
あのカディーという男が言ったような心の傷を、彼が今日負ったとは思いにくいのだが……。
ケイトは私にぎゅっとしがみつくと小さな声で囁いた。
「明日は……、俺のそばに、ずっといてね……?」
明日……。
そういう事か!
ようやく分かった。
ああ、私はなんて迂闊だったのか。
ここは、サキ様との巡礼の際に、彼が攫われ囚われていた建物があった町ではないか!!
エミーと共に連れ去られ、セリクを含む奴隷達を助けたあの地下牢に、彼も囚われていた。
そこで彼がどんな目に遭ったのか、当時サキ様付きだった私は詳細を知らないままだった。
暴発した魔道具を、彼が全ての力を振り絞って止めた。
その時、私の身体で彼を一瞬潰してしまった。
身動きの取れない彼の目に入った汗を、私が拭った。
私がわかっているのは、ほんのそれだけだった。
「ああ、もちろんだ。私は片時もケイトのそばを離れたりしない」
私は固く誓う。
自身の気の回らなさを胸の内で痛烈に叱責しながら。
するとケイトはクスッと笑った。
「リンがトイレの時は?」
悪戯っぽい瞳で見つめられると、思わず心が弾む。
「浄化をかけてもらおう」
「ええっ、じゃあ俺の時は?」
「もちろんトイレの中まで付き添うとも」
「ぇえ~? リンまで入るかなぁ……?」
私の答えにクスクス笑う彼がたまらなく可愛い。
聖女の姿をしていても、今の姿でも、彼である事に変わりはない。
それでも、本当の彼の姿を知ってからは、やはり彼はこのままの姿が一番美しいのだと感じるようになっていた。
目を細めた時の目尻にほんの少し寄る皺も、彼が今までたくさんの人々に微笑みを向けてきた証拠なのだと思うと、たまらなく愛しく思える。
ああ、愛しい。
彼が愛しくてたまらない……。
私の腕の中で微笑む彼が、私にはどうしようもなく愛しくて、気づけば私は彼の唇へ吸い寄せられていた。
柔らかな感触。
ハッと我に返り、慌てて顔を離す。
「リン……」
頬を染めた彼の視線が、私の唇を追う。
もっと口づけて欲しいと、彼の瞳がねだっていた。
「ケイト……」
愛しい人の名は息をするよりも自然に私の唇から漏れて、彼の唇の中へと吸い込まれた。
深く深く唇を重ねて、彼の背をゆっくり撫でる。
彼がこの夜を心安らかに眠れるように。
明日の任務に、安心して向かえるように。
願いを込めて、真心を伝える。
けれど、そっと離した時、揺れた彼の黒い瞳の奥には、彼が隠していた不安の色がのぞいていた。
ああ、私はどうしたらいいのか。
分からないままに、彼の身体を強く掻き抱く。
ケイト……。
彼を安心させたい。
今すぐに。
常に周りに気を遣い、愛を隔てなく分け与えてくださる優しいこの方を。
彼の心を慰めて差し上げたい。
彼は、心をすり減らす状況の中でも私の腕の中にいる時だけは、ホッと安らいだ顔を見せてくださる。
それが私にはどうしようもなく嬉しい。
……けれど、まだ足りないのだ。
私の言葉では、彼を芯から安堵させるにはまだ不十分だ。
では、一体どうすればいいのか。
もっと……。
もっともっと……彼の心の全てを私の愛で満たして差し上げたいのに……。
「ん、リン、ちょっ、と、苦し……」
彼の声に私は慌てて身体を離す。
彼は潰されていた肺に息を吸い込むと、ゆっくり整えた。
「申し訳……、っ、いや、すまない……」
自身のあまりの不甲斐なさに項垂れる私の頭を、彼は「よしよし」と優しく撫でてくださる。
彼はそのまま私の頭に顔を寄せると、甘えるような仕草をする。
「あのね……、リンも疲れてるって分かってるんだけど……ちょっと、わがまま言ってもいいかな……?」
おずおずと告げた彼の言葉に、私は飛びついた。
「もちろんだ。ケイトのわがままならいくらでも聞かせてほしい」
そもそも『我儘』だという彼の求めが我儘だったことなど今まで一度もない。
恥ずかしそうに俯いていたケイトは、ほんのりと色づいた頬を上げると、上目遣いに私を見上げた。
潤んだ黒い瞳が私をじっと見つめたままゆっくりと瞬く。
「俺を……抱いてくれる?」
瞬間、ドッと身体中の血液が沸き立った。
心臓が壊れそうなほどにバクバクと音を立てる。
「喜んで」と答えた私の声は、震えてはいなかっただろうか。
ああ……そうか。
こんな時は、こうすればよかったのか……。
彼を私の愛で満たしたいと願う私に、それを叶える方法を教えてくださったのは、愛しい彼自身だった。
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