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ダリスとお呼びください

 俺が学習院で子ども達と遊んだり勉強したりしたその翌日。  カディーとのお茶会は、意外なことに中止となった。  彼は体調が優れないらしい。  俺の部屋にそれを伝えに来たのは、いつもカディーの後ろにいる護衛の人だった。  俺は精一杯丁寧に、カディーへの労りの言葉を伝える。  護衛の人は一礼をして去ろうとしてから、ふと、足を止めて振り返った。 「昨日の訓練は対人戦を想定していたようですが、護衛騎士達は魔物と戦うのが主ではないのですか?」  その言葉に、俺は一歩横へ動いてリンを前に出す。  リンは「聖女様の命により、僭越ながら私からご説明いたします」と前置きをしてから話した。 「聖女様は様々な者にその聖なるお力を狙われています。また元聖女を狙っての犯行も後を断ちません。馬車の数が増えれば、その分狙われる機会も増えるのです。どうぞ貴殿も安全には十分ご配慮ください」  いぶし銀のようなダークアッシュの髪と鋭い灰色の瞳を持った強そうな印象の護衛の人は、ここまであまり表情筋が動いたところを見ていなかったのだけれど、リンの話にほんの少し瞠目したように見えた。  もしかして、この話は初めて聞いたんだろうか……?  司祭さん、ちゃんと仕事してください……。 「そう……なのですか……」 「ええ、特に元聖女を狙う者が多いので、二台目の馬車は狙われやすいのです。護衛の方も…………」  名を呼ぼうとしたけれど、俺はこの人の名前をまだ聞いていなかった。 「失礼ですが、貴方のお名前をおうかがいしてもよろしいですか?」  何というか、正直カディーよりもこの護衛の人の方がしっかりした印象を受けるんだよな。前にカディーがこの人と侍女さんに叱られていたところを見てしまったせいかも知れないけど、この人の名前は知っておいた方が良い気がする。 「私は……、ダリスとお呼びください」 「ダリス様ですね」  強くて鋭い感じが彼によく似合っている。  美しい名だなと思うと、自然と笑みがこぼれた。  彼は灰色の瞳を少しだけ驚いたように瞬かせる。  俺は心の底からダリスが彼を守ってくれる事を祈って言った。 「ダリス様も、カディー様をどうぞお守りくださいね……」  巡礼中にお忍びの王族が攫われでもしたらたまらないからな。  予定だって大幅に狂うだろうし、教会の責任問題にでもなったら本当に困る。  ダリスの灰色の瞳がどこか戸惑うように俺をじっと見つめる。  ん? 俺なんか変なこと言ったっけ?  悩むうち、彼は姿勢を正して「当然です」と返事をした。  ***  翌日、町の人達の見送りを受けて町を出た俺達は、最初の巨大結界柱の立つ場所へと向かう。  結界の端であるそこは、今回の旅でもっとも瘴気の濃いであろう場所なので、カディー達とは別行動だ。  カディーに、待ち合わせ場所で大人しく待っていてくれるよう伝えると、渋るカディーの代わりにダリスと侍女さんが『任せろ』という顔で頷いてくれた。  うん。やっぱりカディーよりもこの2人の方が頼もしいな。  機会があれば、侍女さんのお名前も聞いてみよう。  結界柱に近づくほどに濃くなる瘴気に、俺は騎士達へ加護を繰り返し重ねがける。  視界を埋め尽くすほどに濃い瘴気が身を包む中で、こんなに普段通りに動けるなんて、と騎士さん達はとても驚いていた。  え、待って?  今までどうしてたの?  聞けば、瘴気の濃い場所に向かうときは、決死の潜水のつもりで向かっていたそうだ。  死にかける度に聖球を砕いて、ほんの少しの間呼吸を取り戻すんだとか。  いやいやいやいや、そんなの危なすぎるでしょ。  俺に聖女教育を施してくださった司祭様は、加護はいくらでも重ね掛けしてあげてくださいっておっしゃっていたのに。  今の司祭はそんな事すらもう何年も教えてないって事……!?  騎士さんの命に直結するようなことすら蔑ろにしているなんて、流石にちょっと腹が立ってきたな……。 「……聖女様……?」  クロイスが心配そうに声をかけてきた。  どうやら俺の怒りに気づいたらしい。 「ああ、心配しないで。教会に戻ったらちょっとマルコメロ司祭に抗議したいなって思っただけだよ。騎士の人達はフロウリアの平和のためにこんなに毎日頑張ってるのにさ、司祭さんには教会の人達をもっと大切にしてほしいよね」  俺の言葉は自分が思うよりも刺々しかったのか、騎士達はシンと静まり返ってしまった。 「っ……、ありがとう、ございます」  上の方から聞こえた震える声は、騎士団長のヴィクトルさんの声だった。  彼だけ馬上の人なので高さがあるんだよね。  この辺りは馬で進むには向かない道のりだけど、全体を見渡すには高さが必要なんだろうな。  見上げたヴィクトルさんはなにやら感極まった顔をしていて、もしかして騎士の皆が黙ったのは嫌だったんじゃなくて、言葉に詰まってたのか……? とようやく気づく。  でもなんか俺、そんな感動するようなこと言ったっけ?  当然の事しか言ってないよね?  えっ、これで感動しちゃうって、本当に、今の騎士団の人達の労働環境は大丈夫!?  かなりブラックなんじゃないの!?  俺は、教会に帰ったらケヴィンスさんにその辺の事をよく聞いてみようと、密かに決意する。  俺達は陣形を大きく崩す事なく、浄化しては進み、進んではまた浄化した。 「ヒアッカ、2歩右に」 「うぃっス!」 「クロイス、もう一歩分前に出てね」 「はいっ」 「いやぁ聖女様がいらっしゃると楽でいいですなぁ」  ドルーグが楽しそうに笑って言う。  ドルーグは4班の隊長で5人の中では中央の一番前にいるから、後ろの4人の位置を確認し続けるのって大変だよね。  その点俺はドルーグの後ろで5人の真ん中にいるから、皆の位置が分かりやすいし。  陣形を崩しがちな新人2人に、ほんのこれくらいの助言は朝飯前だよ。  それで言うと、左右の端を務めるカイルとフォーンは時々軽口を叩きながらも全く陣形を崩さないんだからすごいよなぁ。  長く続いた森は、突然現れた紫がかったピンク色の壁に阻まれるようにして途切れる。その壁の手前にポツンとあるのが大きな結界柱だった。  俺は両手を胸の前に組んで目を閉じると、心を込めて浄化する。  どうか綺麗になりますように。  この柱が、この場所が、この国が……。  できる事なら、ここに囚われた人の心まで。  全ての穢れが落ちますように……。  目を開こうとした俺は、しかしうまく動けないままにゆっくりと倒れてゆく。  息もほんの少しずつしか吸いきれなくて、声は出せそうにもない。  あ、まずい、……手を解いて、前に出さなきゃ……。  どうやら久しぶりに全力で行った広範囲浄化に、聖力をごっそり持っていかれてしまったようだ。 「「「聖女様!」」」「「ケイト様っ!」」  傍にいるはずの4班の皆の声が遠くに聞こえて、これはマズいなと思う。  けれど俺の身体は地面に届くより随分前に、リンの腕に優しく抱き上げられた。 「ケイト様」  あ……。リン、ありがとう……。  お礼を言いたいのに、まだ声が出せそうにないや……。  俺の身体はそのままふわりと持ち上げられて、リンの腕の中にすっぽり収められる。  甲冑ごしにリンの心臓の音が聞こえてくると、すごくホッとした。  いつもよりちょっと早いリンの心音は、俺が心配かけちゃったせいかな……。  俺は暗く狭くなっていた視界に逆らわず、リンの腕の中で目を閉じた。  気がついたら、俺は毛布に包まれていた。  あれから眠ってしまったのか、それとも意識を飛ばしてしまっていたのか……。  場所もさっきの場所とは違う。  けれど、視界を巡らせれば紫がかったピンク色の壁が見えたので、まだ結界前ではあるみたいだ。  俺はホッとした。  まだ結界柱に触れていなかったから、そのまま引き返されたら困るところだった。 「ケイト……。具合はどうだろうか」  敬語ではないリンの言葉に、俺はもう一度辺りを見る。  リンは俺を抱いたまま木陰に座り込んでいた。  森の中ではいつも常に側には何人もの騎士がいるのに、今は少し離れたところにシヴァルらしい銀髪の背中が見えるだけで他には誰の姿もなかった。 「他の皆は?」  まさか離れたところで戦闘になってるとか……。  嫌な想像に顔色を変えた俺の頬を、リンは優しく撫でた。 「全員無事だ。今は少しだけ席を外してもらっている」  兜を外していたリンの綺麗な微笑みが俺を包む。 「え、なんで…………ぁ……」  疑問を口にしてから、俺はその理由に気づいた。

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