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結界柱の中の人
「な…………中の、人……?」
「人がいるんスか? こん中に……!?」
「結界柱の中に……人が……?」
まずはそこだよねぇ。
「ごめん、俺も正直よく分かってなくて……。ただ、できればその人を励ましたいと思うし、少しでも助けになれればって思ってるんだ」
困惑の表情で視線を交わし合う騎士達に、俺は言う。
「だって、この人はここでずっと一人きり、皆の暮らすフロウリアを守り続けてるんだよ……?」
皆の顔色が変わった。
まあ中の人の本意ではないかも知れないけど、この結果柱の存在が皆を守ってくれているのは間違いない。
同じ国を守る者として、それぞれに思うところはあるんだろうな。
「クロイスが先に聞いてくれた感じでは、寂しくて悲しい思いをしてるみたいなんだ。それはそうだよね。こんな話し相手もいないような場所にずっとひとりなんだから」
さらには勝手に攫われた上で閉じ込められたって可能性を考えると、その悲しみや憤りは計り知れない。
「辛い気持ちを向けられるかもしれないけど……俺に付き合ってもらってもいいかな?」
「喜んで」「はい」「いーっスよ」
3人からそれぞれ返事をもらって、俺は目を閉じた。
結界柱に身体をくっつけて、額もくっつけて。
気持ちを整えて、慎重に心で話しかける。
『こんにちは、初めまして。俺の声が聞こえますか……?』
『あなたの声を聞かせてもらえたら、嬉しいです』
返ってきたのは、言葉にならないほどの意志だった。
水の中にふわふわと漂うようなそれを丁寧にすくいながら、なるべく優しく……両手で包み込むようにして少しずつひとつの塊になるように集めていく。
『……』
『…………っ…………?』
集まるにつれて、それが人らしい輪郭にまとまってくる。
よかった……まだ人の形を忘れないでいてくれたんだね……。
『……な……に…………』
『…………だれ……?』
ああ、言葉だ。
ようやく返ってきたそれが、嬉しくてたまらない。
『初めまして、俺は芦谷 圭斗(あしや けいと)と言います』
『…………?……』
『あなたのお名前を教えてもらえますか?』
『……なま、え………………』
『……………………わかんない…………』
『……わすれちゃった……』
『わたしの、なまえ…………』
そうか……。
誰にも呼ばれない自分の名前を、人は覚えていられないのか……。
途端に、不安と悲しみが結界柱に満ちてゆく。
柱のくすみの正体はこれだったのか。
俺はなるべく優しく浄化をかけながら声をかける。
『大丈夫だよ、君の名前は消えてないから。少しずつ、思い出せばいいだけだからね』
『……わたし………………』
『君は女の子なのかな?』
『……わたし…………、おんなのこ…………』
『わたし、おんなのこ、だよ!』
ピカッと何かが繋がったような閃きが、一筋の光になって結界柱の内側を走った。
『わたし、じょしといれ、はいるもん』
ああ、言葉が大分ハッキリしてきたな。
『歳は覚えてる? 君は何歳かな?』
『とし……、わたし…………』
考え込むような彼女の様子に呼応するように、結界柱の内側も緩やかに渦を巻く気配がする。
『あ、よねんせい』
『四年生か、小学生かな? じゃあ9歳か10歳だね』
『うん! しょうがくせい! おたんじょうび、もうすぐねって。ままが、あいすのけーき、かってくれるって……』
『………………』
結界柱の内側に立った小さな細波は、冷たい色をした大きな波となって、悲しみの感情を撒き散らしながら荒れ狂う。
『ママに、会いたい……!』
自我を取り戻した彼女の言葉は、よりハッキリと、哀しく響いた。
強い悲しみの波は俺の心までもを凍り付かせるほどに冷たくて、本能が、ここからすぐに逃げ出すべきだとうったえる。
『……っ』
『ここは私ひとりだけなの……ずっと、私だけ……』
『どうしてなの……?』
『寂しいよ……!』
『……ひとりぼっちは……もう嫌だよ……!!』
悲しみの嵐に飲み込まれ、俺は身動きが取れない。
ダメだ、しっかりしろ!
俺が呑まれてどうする!!
一刻も早く彼女に優しい声をかけてあげたいのに……!!
ぎゅっと痛いほど強く握られた左手に、俺は半ば強引に意識を身体へと引き戻される。
あ……。
目を開くと、リンの青い瞳がじっと俺を見つめていた。
俺を案じるその視線に、心が温められる。
リン、ありがとう!
俺は浅く早くなっていた呼吸を意識的にゆっくり深くととのえてから、もう一度目を閉じる。
『お兄ちゃん……? どこ……?』
『お名前、教えてもらったのに……、私、覚えてない……』
『…………かなしいよ……』
俺がもう一度潜った時、彼女は俺を探していた。
『っ! ここだよ!』
思わず俺は叫んでいた。
『ごめん、ちょっと溺れかけちゃって、出直してきたんだ』
『さっきのお兄ちゃん!』
『急にいなくなってごめんね』
『ううん、またきてくれて嬉しい!』
ほわ、と喜びの気配が結界柱に広がる。
それはスルスルと上方へ吸い上げられると、聖力として結界へと流された。
……え?
うわ……。
こういう仕組みなのか……。
これじゃあせっかくの幸せも喜びもすぐに奪われるばかりだ。
それなのに、辛い思いだけがここに留まり続けるなんて、そんなの……。
俺はふつふつと湧き上がる怒りを少しも零さないように封じ込めて、彼女のために精一杯優しく、心で微笑む。
『俺の名前はね、あしや、けいとって言うんだ。覚えられそう?』
『うんっ、私覚えるよ、お兄ちゃんの名前!』
彼女の懸命さに縋るような思いが透けて見えてしまって、俺は胸が絞られる。
『えっと、あし……』
『あしや』
『あしや?』
『そう、芦谷。けいと、だよ』
『芦谷、けいと、お兄ちゃん』
『うん、上手だよ。芦谷圭斗、覚えておいてね』
『芦谷圭斗お兄ちゃん! 覚えたっ』
俺は、彼女の中に少しでも新しい物を入れてあげたくて、俺の名前をフルネームで教えた。
これまでに持っていなかった物なら、もうあと少しだけでも、彼女を支えてあげられるんじゃないかと……、それを願って。
彼女は何度も何度も俺の名前を唱えて、嬉しそうに結界柱の内側を震わせる。
その度に、聖力が結界を補強し続ける様を、俺はたまらない思いで見つめた。
俺はなるべくゆっくり彼女から話を聞き出して、彼女に輪郭を取り戻してもらう。
それと同時に、彼女の知らない俺達の話も沢山聞かせて、彼女の精神容量を少しでも増やすように努めた。
心晴(こはる)という自分の名前を取り戻して、心晴ちゃんはぼんやりとした輪郭をようやくハッキリさせた。
『じゃあ……、俺はそろそろ戻るね』
嫌だ寂しいもっと一緒にいて、と泣き出しそうな心晴ちゃんを何とか宥めすかして、必ずまた来るから、俺の名前を忘れないで待っていてね、と約束をして別れる。
意識を自分の身体に引っ張り戻して、何とか気合でよいしょと目を開いたら、情けないくらいに膝が笑って、そのまま膝から崩れた。
途端に、俺は左手をぐいと引かれて、あっという間にリンの腕の中へ抱き抱えられた。
あ。クロイスは……?
右手を離してしまった方を見れば、クロイスがゆっくりとその場に膝をつくところだった。
「ケイト様。おかえりなさいませ」
リンが耳元で優しく囁く。
そうか……、俺は帰ってきたんだ。
リンの腕の中に……。
安堵した瞬間、さっきまで蓋をしていた怒りと悲しみがドッと溢れてしまって、瞬く間に涙が零れた。
「……ぁ……」
リンが素早くマントを前に回して俺を隠すように包む。
俺はリンのマントに頭まですっぽり包まれたまま、震える声で尋ねた。
「ごめん……。あの、クロイスの様子を教えてくれる?」
「クロイスは……放心しているようです」
放心って……、大丈夫なのかな。
「班の者がフォローしておりますので心配はないと思われます」
「ヒアッカは?」
「彼は、そう変わりなく見えます」
「そっか……」
「体感では長く感じましたが、日の角度から見てさほど時は経っていないようです。経過時間は長くとも30分以内でしょう。周囲にも問題はなさそうです」
リンは俺が気になっていた事に全て答えると「人目のない所へ移動します」と言って動き出した。
移動のささやかな揺れは、俺の胸に渦巻く激しい感情をぐらぐらと揺らす。
俺はリンに甘えて、彼の優しい腕の中で声を殺して泣いた。
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