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クロイスの決意

 俺がリンの腕の中から見上げると、リンは兜の向こうから青い瞳で俺をじっと見つめて、小さく微笑んだ。 「貴方と分け合えるのでしたら、それが何であろうと、私は喜んで受け止めます」  うっ……、カッコイイ…………っっっ!!  じゃなくて、えっと、それってつまりリンには感情込みである程度届いてたって事かな?  でもまあ、リンも貴族育ちのおかげか、人と距離を取ったり感情をコントロールしたりするのは上手い方だからなぁ。  そこまでの精神的ダメージにはなってないんだろうか? 「リンは辛くなかった? 正直に教えてね」  じっとリンの瞳を見つめ返すと、リンは少し考えてから「そうですね、お二人ほどではありません」と答えた。 「私は……悔しかったです……」  ポツリと零したのは、クロイスだった。 「私は今まで思いを受け取るばかりで、届けようとした事がなかったんだと、思い知らされました……」  ぎゅっと握り締められたクロイスの拳が、悔しさを宿して小さく震えている。 「あの子に……、コハルちゃんに、私は声を届けられませんでした……」  クロイスはあの子に話しかけようとしていたのか。 「下の妹のミアと同い年の女の子だったのに……。私も、少しでも励ましてあげられたら……よかったのに……」 「クロイス……」  下の妹。って事は、クロイスは下に妹が少なくとも2人はいるんだな。  俺が名付けたアリアちゃんは、少なくとも3児の母って事か。  教会に戻ってから時間が取れたら、アンナとクロイスのママさん達にも一度ご挨拶したいなぁ。  ロイスの娘ちゃん達、最後に会ったのはまだ小さかったけど、俺の事覚えてるかなぁ……。  ……いや、なんか武勇伝を言い伝えてくれてるらしいので俺の存在については把握してくれてるんだろうけど、実際の記憶としてね……? 「ケイト様……私、特訓します!」 「え、うーん……。俺はそれよりも、クロイスが辛い思いを受け止め過ぎないかが心配だな……。それに、俺が今回上手く話しかけられたのはクロイスのおかげだと思うよ? 俺ひとりではあんなに上手くできなかったから。クロイスが手を繋いで、一緒に結界柱に触れてくれたおかげだよ」  もしかしたら、教会裏の森にある一番古い結界柱も、クロイス達とこんな風に触れていたら何か違ったのかもしれない。  あの時は司祭の隙を見て少しの間しか触れなかったから、巡礼が終わったらもう一度じっくり話しかけてみたいな……。  俺の言葉に、クロイスは一応喜んではくれたものの「でもやっぱり、言葉を届ける練習もしたいと思います」とハッキリ言った。 「それを止める気はないけど……、まずは自分の心をしっかり守ってね……?」 「はい」  大丈夫かなぁ……?  この先の結界柱にどんな人が入っていて、どんな想いを抱えているのか。  それが全然分からないだけに、心配なんだけどなぁ……。 「つーか、練習っつーけどお前は何をどーしようっての?」  ヒアッカが、肘でクロイスを突くようにして尋ねる。 「えっ、えーと、想いを伝えられるように……、だから、考えを言葉にして……?」 「それって、練習相手がいるんじゃねーの?」 「あ。そ、そうですね……」  今気付いたという顔をするクロイスに、じゃあ俺が練習台に手を挙げようかなと思った時、ヒアッカがニッと笑った。 「俺、練習付き合ってやろっか?」 「え……?」  クロイスの碧眼が瞬いて、ヒアッカの赤い瞳を見上げる。 「同じ班だし一緒にいる時間長いし、他の奴に頼むより手っ取り早いだろ?」 「で、でも……」 「ん? なんか問題あんの?」  キョトンと首を傾げるヒアッカには、まるで他意がなさそうだ。 「問題…………、ない、です。……っ、ありがとうございますっ」  クロイスは数瞬躊躇ったものの、覚悟を決めたのか、ヒアッカに勢いよく頭を下げた。 「あ、あと俺に敬語使うことないからな? 2コしか歳違わないだろ?」  ヒアッカにぐいっと肩を抱かれて、クロイスがよろめく。 「う、うん……。えっと、ありがとう……」  戸惑いながらもそう答えるクロイスの様子に、俺はクロイスの練習相手はしばらくヒアッカに任せてみようかなと思った。  ***  ダリスガンドはブラウの報告を聞いて、我が耳を疑った。  結界柱を浄化したところで聖女が倒れた。  そこまでは分かる。  力を出し尽くせば倒れるのは聖力だろうと魔力だろうと同じ事だろう。  問題はその後だ。  ブラウの話によると、意識を失った聖女は護衛騎士に抱えられ物陰に連れ込まれたのだという。  目を覚ますまで休ませるのは当然だろうと思いながら聞いていると、なんと意識を戻した聖女を護衛が襲ったと言うではないか。  あまりに信じられない報告に私は思わず尋ねた。 「……それは事実なのか……?」 「はぁ? オイラが嘘つく必要がどこにあるってんだよ。ったく、そーゆーこと言うからダリスはクソなんだよなぁ……」  ブラウは堂々と私の悪口を言った上で、私に聖女の発したという言葉を伝えた。  一字一句違いないというそれは、確かに間違いようもなく、彼女が護衛騎士に行為を迫られている様子だった。  いや、しかし……、それだけでは分からないではないか。  もしかしたら彼女は断ったかも知れないだろう。  私は懐中時計を開いて時刻を確認する。  ブラウが報告した出来事から、もうかなりの時間が経っている。  その時点で討伐と浄化が完了しているのなら、そろそろ我々と合流してもおかしくないというのに、騎士達はいまだ合流地点に姿を見せない。 「もういい、下がれ」 「ぁあん? カラサディオ様には報告しねぇの?」 「不要だ。これはあの方の耳に入れるべき内容ではない」 「……マジか……。もしこれでダリスがカラサディオ様にこの話したら、オイラもうお前にはぜってぇ先に報告しねぇかんな?」 「ああ、好きにしろ」  私の答えに、ブラウは渋々ではあったが姿を消した。  私もリサも、聖女はあの護衛と恋仲ではないかと思ってはいた。  ……思っては……いたのだが……。  なぜだろうか……。  聖女ならば当然その交際は清らかなのだろうと、思い込んでいたのか……?  ダリスガンドは、自身が何に衝撃を受けているのかを掴めないまま、呆然と立ち尽くしていた。  夕暮れの気配が微かに近づく頃、騎士達はようやく合流地点に現れた。  しかし聖女はなぜか護衛の騎士の腕の中にすっぽりと収まっている。  どういうことだ、足でも痛めたのだろうか?  しかし彼女は治癒ができるはずで……。  いや、一度は倒れたのだ、身体には相当疲労が溜まっているだろう。  抱き上げられていても何らおかしくはない。  ダリスガンドはカラサディオの護衛として騎士団長のところへ向かった。  こちらの馬車が襲撃を受けたという情報を共有する必要があったからだ。  そこへ、護衛の腕からおろされた聖女が姿を見せた。  彼女はいつもと変わらぬ様子で背筋を伸ばしていたが、その横顔には疲れが滲んでいる。  よくよく見れば目元には泣き腫らしたかのような赤さを残し、頬にはうっすらと涙の痕まで残っていた。  ……彼女は泣いていたのか……?  そんな痛ましい痕が残ってしまうほどに……?  護衛騎士達には今回も怪我人はなかったと聞いた。  ではなぜ彼女は泣いたのか。  ダリスガンドの耳に、ブラウの言葉が蘇る。  まさか、彼女は泣かされた……のか? 後ろに立つその男に……?  気づいた途端、ダリスガンドの腹の底にヒヤリとした冷たい感情が広がった。  聖女を守るべき護衛が、こんな屋外で何をしているのか。  彼女をこんな姿にしておいて、よく護衛騎士などと言えたものだ。  裏切られたような思いを感じて、ダリスガンドは知らぬ間に自分が護衛騎士を高く評価していたのだと気づいた。  父の言葉と巡礼での様子から、護衛騎士は実力と勇敢さを兼ね備えた尊敬に値する者達だと信じ、期待してしまったのだ……。 「ダリス様……?」  ダリスガンドの葛藤に気づいたのは、聖女だった。 「ご気分がすぐれないのですか? 瘴気に当たったのでしょうか……」  彼女の気遣うような視線に、赤いその唇に、なぜだか追い詰められるような気がして、ダリスガンドは彼女の浄化の申し出を丁重に断る。 「いえ、不調はありません……」 「……それなら良いのですが……。何かございましたらいつでもご遠慮なくお声かけくださいね」  私の表情を探る彼女の赤い瞳は驚くほどに優しい色をしている。  ああ、彼女は私を本当に……心の底から心配しているのか……。  そんな彼女の様子に、何とも言えない感情が胃の底に溜まる。 「カディー様もこの度のご災難で、さぞご心痛のことでしょう。大切なお身体に傷ができてしまっては大変です、どうぞお早めにご決断くださいね」  聖女にふわりと優しい微笑みを向けられて、カラサディオはどぎまぎと青紫色の瞳を彷徨わせてから、恥ずかしそうに苦笑する。  その様子はまるで初めての恋に出会ったばかりの少年のようだ。  私の中で焦燥が膨れ上がる。  どういう事だ。  まさか、本当に彼女に惚れてしまったのではないだろうな。 「ありがとうございます。ミノル様は本当にお優しいですね……。ですがご心配には及びません、おれはこの通り傷一つありませんから」  両手を広げて無事をアピールするカラサディオに、聖女は黙って微笑む。  そうではない。  彼女は貴方に帰れと言っているのだ。  痛い目に遭う前に、さっさと帰ってくれと。  巡礼でカラサディオが攫われたり、取り返しのつかない怪我をすることがあれば、教会がいくらその正体を知らなかったと主張したところで、教会と王家の間にいくらかの溝はできるだろう。  彼女はそう懸念しているのだ。  チラ、とラズベリー色がかった赤い瞳が私を見上げる。 『どうにかなりませんか?』と私をうかがう様子の視線で小首をかしげられる。  たとえカラサディオの身に何かあろうとも、彼女が心配するほど教会に迷惑がかかる事は無いだろう。  王室は放蕩息子の次男が聖女見たさに勝手に行った事だと、王家とは何の関係もないと彼を切り捨てるだろうから。  第一王子のリヴァルド殿下がカラサディオを寄越す形にしたのも、それが可能だと踏んだからだ。  カラサディオはこんなにも一途にリヴァルド殿下を立てようとしているにもかかわらず。  リヴァルド殿下はそんな弟ですら使い勝手の良い駒としか見ていない。  決して口にするわけにはいかないが、私は『ご心配には及びません』と視線で伝える。  そう。聖女に心配されるまでもない。  カラサディオの安全は、私が徹底的に確保している。  今までも、これからもずっと。  聖女は俺の視線を受け止めて『本当に大丈夫なのだろうか……?』と不思議そうに瞬いた。

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