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おかえりラドム
……おい待て。
ラドムというのは、さっきの死にかけの男の名ではないか……?
「あ、貴族サマの護衛さん、さっきは手伝ってくれてありがとうございましたっ! じゃ、俺はこれで!」
焦茶色の髪をした軽い男は、元気よく頭を下げると私に背を向けた。
そうだ。
思い出した。
こいつは学習院で聖女に叱られて正座をさせられていたアホではないか。
しかしその時は確か聖女にはアークと呼ばれていたような……?
いや、今はそれどころではない。
私は振り返ることなく去ろうとする男の肩を逃すまいと掴む。
「救護テントに向かうのか? 私も同行していいだろうか」
どうやらこの男は本当にあの男が治ると思っているようだ。
そう気づいた時、私の脳裏に、巡礼の初めの頃森から大怪我をした痕跡を残した騎士が平気な顔で歩いて戻ってきた姿が蘇った。
一度この目で聖女の治癒を見たいと思っていた。
今がまさに、その最高の機会だろう。
これを逃すわけにはいかない。
おそらく聖女は特殊な治癒術を使っているに違いない。
そう簡単に外部に漏らしてはならない魔法なのだろうが、そこは何とか言いくるめて……。
アークだかアホークだかは、私の問いにろくに考えもしない様子で答えた。
「んー、まあ手伝ってもらったし、いいんじゃないですかね?」
ああ分かった。
こいつの名前はアークだ。
そして私だけでなく周囲の騎士もこいつをアホな奴だと思っている。
私は、自身の導き出した結論に深く納得しながら、彼の後に続いて足早にテントへと向かった。
***
「聖女様! 治癒をお願いします!」
運び込まれた担架には背面を盛大に焦げ溶かした人が乗せられていた。
「え、ラドム……!?」
俺はすぐに両手を広げて治癒の魔術陣を展開する。
幸い減ったのは聖力だけで、魔力はまだ十分にあった。
驚くほどの数が並ぶ治療箇所のリストを確認しながら、俺は内臓を先に治癒する。
一つずつ確実に、でも少しでも早く。
外皮の損傷も範囲が広い。
間違いなく致命傷だ。
ああでも、服も髪も燃え溶けてはいたけれど、彼は事前に水を被っていたのか、あの炎の中に居た割には全体的に生焼け程度で済んでいるな。
しかし、それはつまり自分からあそこに向かった、もしくは残る覚悟をしたという事なんだろうか……。
周囲の皆は俺の集中を削ぐまいとしてか、じっと押し黙っている。
俺はラドムの全身の表皮までを全て治してから、息を吐き出した。
「ふぅ。終わったよ」
「おおおっ!」「やっぱすげーっス!」「こんなにあっという間に……」「奇跡の技ですね……」「ああ、よかったぁ」
わあわあと歓声が上がる中で、モリーとビルドが彼の火傷の理由を説明し始める。
うわぁ……すごいなぁ。
ラドムは宿にいた親子を、その身1つで守り抜いたんだ……。
俺は2人の話をうんうんと聞きながら、ラドムに疲労回復スペシャルをかける。
浄化も追加でかけてみたけど、治癒の際の出血痕や救助の時の汚れが消えただけだった。
さっきの高濃度浄化でラドムの一酸化炭素中毒も消せてたみたいだな。
ラドムの息がまだ残ってたのはそのおかげだろうか。
ちょっと無理してでも高濃度版にしておいてよかった。
呼吸が整ったラドムは、すうすうと規則正しい寝息を立てている。
俺は、やり遂げた男の、その燻んだ緑の髪をそっと撫でた。
ああ、やっと分かったよ。
あの森で巨大な魔物が出た時、俺より後方にいたはずの6班のラドムが怪我をしていた理由が。
ラドムはあの時も、こんな風に1人で俺と魔物の間に飛び込んでくれたんだね。
ゲートの前で俺の手を掴んだあの時も、聖女を守ろうと思っての行動だったわけで……。
この人は、誰かを“守ろう”って気持ちの強い人なんだなぁ……。
「ありがとう、ラドム」
俺が思わず零した感謝の言葉に、ラドムのまつ毛が小さく震えた。
静かに開かれた瞼の下から、榛色の瞳が姿を見せる。
「……っ……」
「ラドム、目が覚めた? どこも痛いところやおかしいところはない?」
驚かさないように、そっと声をかけると、ラドムはむくりと音もなく体を起こして自身の状態を確認する。
それから、顔のサイズの割には小さめな榛色の瞳を瞬かせて、俺を見下ろした。
地面にシートを敷いただけのテントの中には椅子もなく、俺もラドムも床に座っている。
ラドムの服がほとんど機能していない事に気づいて、慌てて毛布を取りに行こうとしたクロイスに、ビルドがサッと手を上げて代わりに毛布を取りに行く。
2人の素早い連携のおかげで、全裸に近かったラドムの体はあっという間に薄手の毛布に包まれた。
「聖女様……」
「おかえりラドム。よく頑張ったね、本当にすごいよ。ラドムが守った人達は無事だったってモリーとビルドが教えてくれたよ」
心からの称賛と労いを込めて俺は微笑む。
「……っ」
息を詰めたラドムの、榛色の瞳が滲んだ。
「……勿体無い、お言葉です……」
両膝の上でラドムの両拳がギュッと握り締められる。
俯いたラドムの頬から透明な雫が落ちて、拳の上で弾けた。
俺は失礼でない事を願いながら、膝立ちすると腕を伸ばしてリンよりもう少し年上のラドムの頭をよしよしと撫でた。
「よく生きていてくれたね。本当にありがとう」
「……っ」
他の騎士達はどうだろうか。
皆無事だといいんだけど……。
俺はまだ姿を見ていない騎士達の面々を思い浮かべる。
「あ、俺ラドムの服取ってくるな」
そう言ってテントを出ようとするモリーをシヴァルが止める。
シヴァルはここまで一言もなかったけど、担架を運んできた3人のうちの1人だ。
「私が行こう。しばらく付いていてやれ」
「はいっ」
おお、ちゃんと班長らしく指示をしている……。
相変わらずシヴァルは口数こそ少ないけれど、皆の事をよく見て動いてくれる人だよなぁ。
目の前で、ラドムが深く長く息を吐く。
心を鎮めようとしているようだ。
俺は彼の呼吸が落ち着くのを確認しながら、彼の燻んだ緑色の髪を撫でていた手を引っ込めた。
ラドムが最敬礼の姿勢をとる。
「大変申し訳ありません。聖女様のお手を……煩わせてしまいました」
「いいよいいよ、こっちこそごめんね、俺が泣かせたようなものだし……」
「いいえ。私はあの時、死を覚悟していました。聖女様に救っていただいたこの命、尽きる時まで聖女様の為に尽くすと誓います」
「ラドム……。ありがとう。あ、でも俺は大丈夫だから、次からの聖女さん達を守ってあげてね」
この人、すぐに身を挺して守りに来ちゃいそうだからな……。
それに俺はどうにもトラブル体質みたいだから、ラドムのやり方じゃラドムの命がいくつあっても足りなくなっちゃうよ。
ラドムはなにやら複雑そうな顔で榛色の瞳を瞬かせた。
「……私では、ケイト様の御身をお守りするに値しないと……」
「い、いやいや、そういう事じゃなくてね!?」
慌てて首を振る俺の後ろ側からラドムに声をかけたのはドルーグだった。
「ラドム、聖女様はお前の身を案じてくださってるんだよ」
「私の、身を……?」
「お前の守り方じゃ命がいくつあっても足りねぇって、聖女様は分かってらっしゃるんだ」
「……」
ドルーグの指摘にラドムが黙り込む。
どうやら薄々自覚はあったようだ。
「お前はまず、自分も聖女様も全部守れるくらい強くなれ。そうすりゃ聖女様もお前に許してくださるだろうよ」
ラドムはドルーグの言葉にしばし黙った後「分かりました」と答えて、もう一度俺を見つめた。
その榛色の瞳には、やっぱりどこか既視感がある。
「ケイト様、私は必ず強くなります。貴女を守り、自身も守れるだけの力を身につけます。そうすれば、私に貴女のお側を許していただけますか……?」
……ん?
側に付きたいの? 俺の?
なんて答えたものかと思ったその時、救護テントに駆け込んできたのはアークだった。
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