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怪我の功名
ああ、この世界は印刷技術が確立されてないから本は書き写すしかないんだよね……。
だから1冊の本がものすごく高いんだ。
一つ前の街になら図書館があったかもしれないけど、この先だと……、キリアダンまではなさそうだなぁ。
俺はまたキリアダンの図書館のお世話になろうと思った。
『疾走』の魔術陣だけは今年護衛騎士に入ったばかりのクロイスが持っているそうなので、後で見せてもらおう。
ヒアッカもクロイスに見せてくれとねだっている。
護衛騎士達の半数ほどが覚えている『鑑定』と、魔術陣がややこしいために護衛騎士のほんの数人しか覚えていないらしい『肉体強化』の魔術陣も、騎士団内の誰かか団長の元にあるらしいので、後で見せてもらおうかな。
俺はそんな事を考えながら、さっき俺を弾き飛ばした結界柱に身を寄せる。
俺の左側にはリンが、右側にはクロイスが、その向こうにはヒアッカが手を繋いでくれている。
「今度は返事してくれるっスかねー?」
「どうだろうね、返事があるといいけど……」
俺は自分の心を整えながら、2人に言う。
「クロイスもヒアッカも、危険を感じたらすぐに離れるんだよ、いいね?」
「はい」「うっス」
1つ前の4本目の柱の髙山さんは、最初から起きていたし落ち着いていたので危険を感じることはなかったけど、その他の柱ではどこも多かれ少なかれ心の危機を感じた。
人の心に直接触れるっていうのは、やっぱり危ない行為なんだと思う。
リンに言わなかったのは、リンは絶対に俺の側を離れないからだ。
俺が結界柱から離れない限りリンも離れないし、俺が離れればリンも離れる。
だから、言う意味も必要もない。
リンの命は俺次第だ、俺がしっかり自分の事もリンの事も守らないと。
俺は静かに息を吸ってから、長く吐く。
「始めるよ」
俺達は4人で心を合わせて、結界柱に意識を移した。
結界柱の中は混沌とした雰囲気に包まれていた。
中の人が目覚めて……、混乱しているのか?
結界柱の中心には、人らしきシルエットが浮かんでいるが、全体に黒いもやのような物が纏わりついていてその姿はハッキリとしない。
『こんにちは、はじめまして』
なるべく落ち着いた心で呼びかけた俺の言葉に、バッと黒い塊が俺を振り返った。
『誰!? ここは何処なの!?』
思ったよりもずっと鋭い感情が戻ってくる。
声からすると、若い女性のようだ。
『ここは……』
『騎士さん達は……っ、エストは!? エストが私を守ろうとして……っ』
相手には俺の言葉を聞く余裕がなさそうだな……。
『落ち着いて、話はちゃんと聞くから、まずはゆっくり、心を落ち着けて……』
俺は優しくゆっくりと、言い聞かせるように伝える。
『……エスト……、っ……!』
まずい、感情がこちらへ向けられる。
そう理解した瞬間、俺は叫んで右手を振り解く。
『クロイスを剥がして!』
クロイスとヒアッカが離れるのと彼女が言葉を発したのは同時だった。
『許せない…………っ、許せない!!』
ビリビリと結界柱中に響きわたる心の叫びに、俺は咄嗟に障壁を張った。
張ってから、障壁が出せたことに自分で驚く。
彼女から発された鋭い感情は、かまいたちのように空間を裂いてガガンッと俺の張った障壁に激突する。
『くっ』
踏ん張りの効かない空間で、俺は衝撃に押されて背から結界柱の内壁にぶつかる。
『っ……』
俺を守った障壁は、次の瞬間にはキラキラと崩れて結界柱の上方へと吸い上げられていった。
『痛……っ』
ズキンと痛みが響いて足元を見る。
……ああ、障壁が間に合わなかったか。
俺の右足の脛は斜めに裂かれて、ポタポタと赤い雫を溢していた。
そうか、心が刻まれると、心も血を流すのか……。
俺は、なんだかとても納得しながら、クロイス達は無事逃げきれただろうかと案じる。
『……あ…………』
結界柱に充満していた怒りや悲しみや後悔の混ざった気配がすううっと引いてゆく。
『ごっ……ごめんなさいっ! け、怪我……その……っ』
あわあわとした声に、俺は彼女の姿を探す。
すっかり黒いもやを落とした彼女は、弟の蒼よりも年下の女の子に見えた。
紺色の長袖セーラー服は中学の制服だろうか。
襟の緑色のラインと同じ緑色のリボンが結ばれている。
『大丈夫だよ。俺こそ急に声をかけてごめんね、びっくりさせちゃったね』
どうやら、彼女は俺に怪我をさせてしまった衝撃で我に返ったようだ。
まさに怪我の功名というところか。
俺は内心苦笑しながら小さく疼く右足に視線を落とす。
足からはまだポタポタと血が流れ続けている。
これって、止血しておくほうがいいのかな?
俺は治癒の魔法を使おうとして、俺の中に魔力がない事に気づく。
ああ、この中では俺は聖力しか使えないのか。
『その、怪我……。い、痛くないの……?』
『痛くない……って事はないけど……。きっと、君の心のほうが痛いと思うから。俺はこのくらい大丈夫だよ』
彼女を少しでも安心させようと微笑むものの、彼女は俺の怪我が気になってしょうがない様子だ。
『でも、……でも血が……』
手で傷を覆ってみるものの、痛みも出血も治まりそうにない。
『血が……ずっと出てるから……、早く、なんとかしないと……』
おろおろした様子でうわ言のように呟く彼女は顔色を青く変えていた。
これじゃ話はできそうにないな。
俺は苦笑して言った。
『じゃあ、少し待っててくれる? 怪我を治してくるよ』
彼女は二つに括った髪を揺らしてコクコク頷いた。
『あの、本当に、怪我させちゃってごめんなさい。しっかり治してきてください』
俺は彼女に微笑んで『うん、待っててね』と答えると、一度意識を体へと戻した。
目を開いた瞬間、俺は左手をぐいっと引かれてリンの腕の中に包み込まれていた。
「…………ぇ?」
戸惑う俺の頭に、リンの額が押し当てられる。
「申し訳……ありません……」
リンの声は酷く苦しげだった。
「私が、浅慮でした……」
「え? あっ! クロイスとヒアッカは無事!?」
俺は慌ててリンの胸から顔を離して辺りを見る。
クロイスは、地面に膝を付くヒアッカに頭を抱えられていた。
「クロイス! 間に合わなかったのか……!」
俺はクロイスに駆け寄るとすぐに治癒をかける。
けれど治癒術の状態チェックでは、治癒の必要な箇所は無いとされてしまった。
これは……心の傷なのか……。
「ケイト様……。俺達はあの攻撃、ギリギリ当たんなかったと思ったんスけど、クロイスはそんでもダメージ食らったっぽくて……」
ヒアッカの話によると、結界柱から離れたクロイスはその場に膝をついた後で、涙を一粒流して倒れてしまったそうだ。
「こいつ『ごめんなさい』っつって目ぇ閉じたんスけど……何に謝ったんスかね……?」
「うーん……、クロイスは、俺よりずっと相手のことが内側まで見えてるのかも知れないね。彼女の記憶や感情に触れてしまったのかな……」
それでも、それは当時の人達がしたことで、クロイスが悪いわけじゃないのにな。
クロイスはこの国に生きる者として、彼女に謝罪したんだろうか……。
「んなの、クロイスがなんかしたわけじゃねーのに……」
「そうだね、俺もそう思うよ。きっと、ヒアッカがそう言ってあげるのが1番クロイスも元気が出るんじゃないかな」
俺が言うのとヒアッカが言うのとでは、また立場が違うからね。
ひとまずクロイスの事は4班の皆に任せて、俺はまた結界柱へと向き直る。
「まだなさるんですか!?」
ドルーグの悲鳴じみた声に、俺は答える。
「待たせてごめんね、まだ話が出来てなくて……、もう1度行ってくるね」
「我々が待つのは一向に構わないんですが、ケイト様がお辛い目に遭われるのではと……」
心配そうなドルーグに、俺は笑ってみせる。
「大丈夫だよ、皆ともう少しだけ待っていてね」
結界柱へと手を伸ばした俺の手を、止めるように掴んだのはリンだった。
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