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お前も褒めろよ

 ダリスガンドは主人の食事を下げた帰りの廊下で立ち止まった。  廊下の窓をそっと開けると、全身黒ずくめの細身の男が音もなく入ってくる。 「ブラウ」  その名を呼ぶと、黒ずくめの男がダリスガンドを半眼でじとりと見た。 「ダリス……お前、オイラの情報で聖女に褒めてもらってたろ。ずりぃぞ」 「だからって殺気を飛ばすな」  私の指摘に、ブラウはガシガシと頭を掻く。 「あー……それはマジで失敗した。だってさ、あんな軽いのお前しか気づかねぇって思ったのにさ、聖女の護衛も気づいてすげーなと思ったのに、まさかあの聖女まで気づくんだもんよ」  それはまあ、私も意外ではあったが。 「なんでだろ。聖女ってそんな殺気向けられることあんの?」 「……さあ、どうしてだろうな」  正直、私の知るところではない。  普通は殺気を向けられた事のない人間では、自分以外に向けられた殺気まで察知することは難しいだろう。  しかし彼女は聖女だ。  我々の理解できないような探知ができるという話も耳にしていたし、不可能ではないのだろう。 「ふーん。まーいーけどさ」 「それで、要件はなんだ」 「ああ、殿下がこの先の町に顔出すから、ダリスに時間作っとけってさ」 「カラサディオ様には……?」 「いやぁ、カラサディオ様にはお会いにならないっぽいぞ?」 「……分かった」  私からの報告だけで十分だと言うことか。  慣れない環境で頑張っている弟には、労いの言葉の一つもないと……? 「だーからお前ぇぇぇぇ。分かったじゃねーだろ。お前も褒めろよ。オイラはお前のためにわざわざここまで教えに来てやったんだぞ」  何を言う、お前はそれが仕事じゃないか。  私はため息とともに褒め言葉を吐き出した。 「はぁ……、えらいえらい、褒めてつかわす」 「だぁぁぁぁぁっっ! これっぽっちも気持ちが篭ってねぇぇぇぇぇぇっっ!」  諜報用の隠密ともあろうものが、こんなに騒がしくていいのか。  私はキリリと痛みそうな頭を片手で押さえた。  ***  シンと静かなテントの中で、ダリスガンドは名を呼ばれたような気がして目を開いた。  テントの外は極々薄い明かりに包まれている。  早朝のようだ。  固い床に布を敷いて寝袋に入っているだけの状態では、とても寝心地が良いとは言えないな。  私は固まった体を少しずつ伸ばす。  私とリサは寝袋だったが、それでも主人だけは寝具を重ねて若干高くしたベッドもどきに寝かせていた。  そちらを見れば、カラサディオの青紫色の瞳が私を覗き込んでいた。 「ダリス、起きたか?」  カラサディオの小さな声に「はい」と答える。 「……起こして悪かったな」  そんなもの、主人に呼ばれた以上、従者はたとえ寝ていても起きるのは当然だというのに。  こんな些細な事で、わざわざ申し訳なさそうにするところが彼らしい。 「いいえ」と私が答えると、主人は小さな声で「話がある」と言った。  どうやら他には聞かれたくない話のようだ。  王家の紋こそ付けられていないが、この王族専用のテントには最初から探知避けや遮音の魔法が組み込まれている。  こういった話をするならば、下手な宿よりも、よほど安心できる場所だ。 「リサは起こさずとも良いのですか?」  私は答えをわかっていながらも尋ねる。 「ああ、リサは朝が弱いからな」  カラサディオは小さく微笑んだ。  カラサディオは今、私だけを頼っている。  そうさせているのは私のくせに、それでも、それを確かめる度に胸が震えた。  彼には現在、私とリサ以外に頼れる相手がいない。  それは、本来ならば、もっと彼に頼れる相手を増やすよう働きかけるべき私が、それを疎かにしているせいだろう。 「ダリスは、騎士達がケイト様と呼ぶ聖女の存在を知っているか?」  青紫色の瞳がゆっくりと瞬いて私を見つめる。  朝焼けの青白く澄んだ光の中で見る青紫色の瞳……正確には瞳の外側は青で、中央にほんの少しの赤が入っているのだろうその不思議な色をした瞳は、とても静謐でいつもよりもさらに美しい。 「……ダリス?」  どこか心配そうに名を呼ばれて、私は我に返った。 「ケイト様、ですか。……一応は」  ああ、騎士達から漏れたのか。火災の折だろうか。  あの日は主人を長い事宿の近くで馬車に待たせていたからな。  たまたま近くで話していた声が聞こえてしまったんだろう。  あの聖女がカラサディオの前でボロを出すとは考えにくいからな。  カラサディオは私の言葉に目を伏せて、少し考えるようにして言った。 「我々が旅を共にしている聖女は……、彼女は、本当は何という名なのだ」  それを知ってどうしようというのか。 「本当の名がどうであれ、我々は彼女をミノル様とお呼びする他ありません」 「……」  カラサディオは、私の言葉に酷く悔しげな顔をした。  私は思わず、その表情に目を奪われる。  これまでずっと、兄が赤だと言えば青い物ですら赤だと答えていた主人が、こんな顔を見せたのはいつぶりだろうか。 「ダリスは知っていたのか」  静かなその声に微かな憤りを感じ取って、私は躊躇いながらも「はい」と答える。 「……どうして私に言わなかったんだ」  問われて、彼から向けられる失望の気配に焦燥を感じつつ、私は問い返した。 「貴方のなさるべきことは何ですか?」  私の問いに、カラサディオは美しい瞳を揺らす。 「……それは、優れた聖女と噂のミノル様を虜にし、私の……、いや、兄の味方とする事だ」 「でしたら、彼女の本当の名がどうであれ、貴方が成すべき事は変わらないのではありませんか?」 「ふむ……。そうか、そうだな……」  これまでなら、この説得で納得するはずの主人が、それでももう一度私を見た。  今までにない反応に、微かな苛立ちを感じる。  カラサディオは、あの聖女と関わるようになってからというもの、時折私の思う通りに動かないことがある。  それが良い事なのか、悪い事なのか、私はまだ判断できないでいた。 「だが、私はそれでも……」  けれど、結局カラサディオはそれ以上言葉を紡ぐ事はなかった。  力なく項垂れたその姿に、私は内心でホッと胸を撫で下ろす。  ご自身の立場を自覚し直してくれたのだろうか。  そうだ。今の貴方にはそれ以上の自由はないはずだ。  貴方がそこに留まり続ける限り、貴方の相手をできるのは永遠に私とリサのみなのだから。  聖女の名など、知っていても知らなくても大差はないはずだろう。  彼女への誘惑が到底上手くゆきそうにもない現状を見る限り、カラサディオが彼女と関わるのは、この巡礼の間だけなのだから……。  まあ、彼女の魔法技術はかなり高い上に、その統率力にも光るものがある。  リヴァルド殿下には私がしっかり報告さえしておけば、あとはあの方がなんとでもするだろう。  我々の仕事としてはそれで十分だ。  私さえリヴァルド殿下に忠実に動いていれば、カラサディオがリヴァルド殿下より叱責を受けるようなことはない。  私はそう思っていた。  ***  瘴気漂う森の端で、褐色肌の男は長い綱を握って目を閉じていた。  男の握る綱の先は、瘴気の充満する森の中へと続いている。  男の周りには背格好もまちまちな男が10人ほど男の周囲を囲んでいた。  男達の数人はそこそこ大きな黒光りする檻に手をかけている。  3つ並べられた檻の内2つには、魔物と呼ばれる黒い獣が入っていた。  近くには荷馬車があり、その中にもいくつもの檻が見える。 「それ何やってんの?」  不意に聞こえた声に、男達が動揺する。  声を発したのは、全身黒ずくめの細身の男だった。  長い紺色の髪は後ろで一つに括られている。 「また来たのか」  褐色肌の男は綱を手繰り寄せながら、銀髪を揺らして振り返った。  黒ずくめの男は、声をかけられて嬉しそうに銀髪の男に近寄る。  足音ひとつ立てずに動く黒ずくめの男を、周りの男達は気味悪そうに眺めた。 「魔物に瘴気を吸わせて瘴気持ちの魔物にしているところだ。あまり吸わせ過ぎるという事を聞かなくなるので加減が難しいんだがな」  銀髪の男の説明に、黒ずくめの男が「へぇー」と気安く頷く。 「お頭ぁ、なんでそんな事バラすんスか」 「見れば分かるような事、黙っていたところで何の得も無いだろう」  お頭と呼ばれた男はなんでもない事のように答える。 「それより黒いの、こないだもお前の情報のおかげで助かったよ」 「へへへ」  嬉しそうに目を細めた黒ずくめの男に、銀髪の男が腕を伸ばす。  すると、黒ずくめの男は嬉々として褐色肌の男の手に頭を撫でられに行った。  ワシワシと紺色の頭を撫でながら、銀髪の男が言う。 「また何か情報があれば、よろしくな」 「あるよ、どれがいい?」  答えて、黒ずくめの男がパッと顔を上げた。

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