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私が生きている世界
***〈カラサディオ視点〉
「これが結界柱……」
私は、そびえ立つ紫がかったピンク色六角柱状の柱を見上げた。
上部は六角錐状になっていて、先端は尖っている。
本で図を見たことはあったが、本物を見るのは初めてだ。
結界柱の後ろには、柱と同じような色の壁が視界いっぱいに広がっていた。
「……結界というのは本当に国の端を囲んでいるのだな……」
チラと斜め後ろを見ると、ダリスは『何を今更』という顔をしている。
ダリスは心が動かないのだろうか?
この国で結界の際まで行けるのは聖女と護衛騎士だけのはずだ。
ダリスも初めて見たのではないかと思うのだが……、聞くと見るでは実感が違うと思わないのか?
この壁の向こうには、一体どんな景色があるのだろうか。
壁は不透明で、その向こう側は全く見えない。
上方は開いているはずだが、それすらもあまりに壁が高くてうかがえそうになかった。
この先は……、誰も知りえない未知の世界は、どうなっているのか……。
思わず一歩二歩と壁に歩を進める私を、優しい声が引き留める。
「カディー、あまり近づかない方がいいよ」
「ケイト様……」
「結界には強力な魔法がかかっているから、下手に近づくとそれだけで弾かれてしまうよ」
ケイト様のお言葉に、私は慌てて元の場所まで引き返す。
「も、申し訳ありません」
そんなもの、少し考えればわかる事だったのに、彼女の……いや、彼の手を煩わせてしまった事が申し訳ない。
「カディーが謝ることはないよ、俺がもっと早く教えておけばよかった事だからね」
そう言って優しく微笑んでくださる彼に、私はまた見惚れてしまう。
どうしてこの方はこうも温かいのだろう。
教師達も両親ですらも、優しい言葉の中にも私をこう動かそうという意思が見えたものだというのに。
彼はただ、なんの駆け引きもなくそう言って、笑ってくださる。
彼は私をどうしようとも思っていない。
その事実が嬉しくて、なのに寂しくもあるなんて、人というのは実に身勝手なものだな……。
不意に彼が細いその肩を揺らして私の後ろを見上げる。
ああ、ダリスがまた粗相をしてしまったのか。
全くダリスは私のことに関してだけは、本当に堪え性がないな。
困ったものだ、と思いながらも、そんなダリスがまた可愛らしいなんて思ってしまう私が一番、困ったものなのだろう。
私はダリスに気付きを促すため、口を開く。
「私はこれまで、本当の世界の広さをずっと知らずに生きていたのですね……」
ダリスは私の言葉にようやくその事実に気付いたのか、改めて結界へと視線を投げているようだ。
ダリスには私の目付け役としても、ダリス自身のためにも、もう少し視野を広く持ってほしい。
そう思ってしまってから、私とダリスの会話は特に、相手にこうなってほしい、こう動いてほしい、という思いが強い物が多いな、と内心で苦笑する。
そんな私にケイト様は、ふふっ、と小さく笑っておっしゃった。
「どれだけ世界の広さを頭で知っていても、本当に世界の広さを実感している人なんて、そう沢山いないよ」
これには私も目を丸くする。
そうか……、彼はここよりもずっと広い世界というものを知っているのだ。
その上で、そうおっしゃっているのか……。
「どこでどんな風に生きていても、ね」
ケイト様は私の目を見て、そう付け足された。
それはつまり私に、どの道に進むにせよ、その数少ない一人であるようにとおっしゃっているのだろうか……。
私は、彼の言葉を深く胸に刻む。
ケイト様がおっしゃるには、これは巡礼に出て6本目となる結界柱だそうだ。
「ここから先はここまでほど瘴気がひどくないはずだから、カディーが見学するにはちょうどよかったね」
「それは……どうしてですか?」
「この柱は6本目なんだけど、5本目……反対から回っていた去年の聖女さんからすれば15本目だね、その結界柱の浄化中に、去年の聖女さんは倒れてしまったんだ」
「倒れた……聖女様が……」
それはつまり、亡くなったという事なのか……。
「うん、巡礼は本当に危ない旅なんだよ。騎士さん達も0の付く年なんかは全員揃って帰れる方が稀だって言われているからね」
「それは一体……?」
尋ねる私に、ケイト様は年号に0が増えるほどに瘴気が増し魔物が強くなるというお話をしてくださる。
「あー、そんで4800年の聖女様が伝説の聖女って呼ばれてるんスね」
ケイト様のお話に気安く割り込んできたのは、若くて細い赤髪の騎士だった。
なんと無礼なと思ったものの、ケイト様はまるで気になさるご様子がない。
「ヒアッカは知らないの? その伝説の聖女様こそがケイト様なんだよ?」
そう言ったのは、ケイト様の馬車にいつも同乗している騎士見習いの少年だった。
途端に、他の騎士達も騒ぎ始める。
「そうだったんですか!?」
「あの4800年前半のみならず、後半までもを残された聖球で守り切ったという伝説の……!?」
「死亡者が1人もなかったという、あの聖女様が……!?」
どうやら、ケイト様は歴代の聖女様の中でも伝説と呼ばれるほどの実力者のようだ。
さすがはケイト様だ。
……しかし、ケイト様のみがずば抜けているのだとすれば、ケイト様以外の聖女様というのは彼が仰ったように聖力を持っただけの我々とそう変わらない存在である、という可能性もあるということか……?
…………そもそも、4800年というと今より45年も前の話だが、彼は今一体おいくつなのだろうか……?
いや、そんな事を考えるのは愚かなのだろう。
やはり彼は、我々とは存在自体が異なっているのだ。
彼に供を許され聖女様の住む異世界へ渡ったという大叔父の姿もそうだ。
本来ならば62歳であるはずなのに、その姿は今の私とほぼ同じ程度の年齢にしか見えない。
書物によれば禁呪の中には肉体の時間を停止するようなものもあるらしいが、その場合は動くこともできないはずなので、それには当てはまらないだろう。
……やはり聖女様という存在は特別なのだ。
そんな彼の傍を許されているという大叔父が、正直羨ましくもある。
「うーん……、死者は確かに出なかったけど……」
いつもよりほんの少し重たいケイト様のお声に、私は顔を上げて彼を窺う。
「……あの頃の俺はまだ治癒が下手でね、シヴァルのお父さんはあの時俺を守って腕を失ってしまったから……、言うほど大したことは出来てないよ」
そう答えて苦々しい笑みを浮かべたケイト様のラズベリー色の瞳には影が差していた。
どうやら彼は、その事を今も悔いているようだ。
「そんでケイト様は今そんなに治癒が上手いんスね。なんか俺、納得したっス」
「沢山……練習なさったんですね……」
騎士達も「ケイト様……」としんみりした様子になる。
ああ、彼ら護衛騎士達は、昨年この辺りで守るべき聖女様を失ったばかりだからか。
ケイト様は湿っぽい空気に気づいたのか、ハッと一度瞬いて、それから悪戯っぽい表情を浮かべてクスッと笑った。
「クロイスのお祖父さんのロイスは何度も俺や弟を助けてくれてね、沢山練習台になってくれたんだよ?」
「ブハッ、そりゃいーっスねっ」
「私も、祖父は怪我ばかりする人だったって聞いた事があります」
「おかげで俺も治癒が上達したんだろうね」
彼がクスクスと悪戯めいた笑みを振りまくと、騎士達もその魅力的な表情に惹き込まれるようにして表情を緩めた。
そんな小悪魔的な、愛らしいお顔をなさることもできるなんて……。
私がついうっとりとケイト様に見惚れていると、私の後ろで今度はダリスが一瞬身を竦めた。
どうやらダリスがケイト様へ悋気の篭った視線を送ってしまうより前に、ケイト様の護衛である大叔父がダリスを威圧し牽制したようだ。
流石は伝説の聖女様であるケイト様の護衛を務めるだけはある。
まさか嫉妬の視線ですら、ケイト様に向けられるのを阻止できるとは。
私が内心感心していると、ケイト様は睨み合う護衛同士を一瞥して『困ったものだね』という視線を私に向けてくださった。
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