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堪えきれない怒り (11巻 入るスイッチ、集う歯車)
***〈ダリスガンド視点〉
2つ目の野営地を早朝に出て、日が沈む頃ようやく町へ辿り着いた。
久々に入った町に、馬車のカーテンの隙間から外を覗くカラサディオの口元が緩んでいる。
「おお、こんなに大勢の民を見るのも久しぶりだな」
私は、そんな主人の姿に鋭い灰色の瞳をほんの僅かに細めた。
随分と揺れるだろうに、カラサディオはすっかり馬車の中での読書にも慣れ、移動中に暇だなどと駄々をこねることもなくなった。
喜ばしい事ではあるのだが、その反面、同じ馬車にこんなに長くいたというのにほとんど会話をしなかったというのが、私には少し寂しくもあった。
巡礼の初めの頃、私と彼は馬車の中でなんの実もないくだらない会話を延々繰り広げていた。
その中身のなさにうんざりする事は多々あったが、それでも彼の声を聞ける事は私にとって喜びだったようだ。
最近のカラサディオには、時折出会った頃のような聡明さを感じてしまう。
それが良い事なのか悪い事なのか、私はいまだに分からないでいる。
久々の広い宿で部屋に通され荷解きをしていると、不意にブラウの気配がした。
これはどうやら私宛の伝言のようだ。
リサに「少し外すぞ」と伝えて部屋から出ると、廊下の窓に黒い影が姿を見せた。
ブラウは、リヴァルド殿下より指示された時間と場所を私に伝える。
そこでふと、私は最近気になっていた事を尋ねた。
「お前は近頃全然聖女の情報を持ってこないが、どうした。あの護衛に追い払われるのか?」
ブラウは嫌そうな顔をして答える。
「だぁって、オイラがカラサディオ様に情報流したらさぁ、ケイト様にバレるんだもんよ……」
確かに、少し前に村で聖女とカラサディオがそんな会話をしていたようだったが……。
……いや、待ってくれ……。
それが本当なんだとしたら、こいつはまさかたったあれだけで、我々に聖女の情報を流さなくなったのか……!?
「おいブラウ、お前の主人は誰だ」
「カラサディオ様だけど?」
なんだその軽い返事は。
まるでカラサディオ様じゃなくても良いような言い草じゃないか。
「お前……。もし聖女がこちらを裏切って配下になれと言ってきたらどうする気だ」
「ぇえ~~?」
おい待て、なんだその嬉しそうな顔は。
大喜びで寝返りそうな顔をしたブラウに、どうしようもなく怒りが湧く。
「おいブラウ!」
「チッ、ダリスはうるせーなぁー。とにかく伝えたかんな、殿下待たすなよ」
「待て!」
私が腕を掴もうとした時には、ブラウは両手で耳を塞いでくるりと窓の外に姿を消した。
くそっ、叱り損ねた……!
だが、アイツなら本当に寝返りかねないのではないか……?
何せアイツは三度の飯より褒められるのが好きだ。
そこへ、あんな息でもするかのように自然に誰も彼もを褒める聖女が現れてみろ。
しかもあの聖女の褒めには厄介なことに全部心が篭っている。
……むしろ、ここまで寝返らなかった方がおかしかったのではないか……?
そこまでで、私はようやく一週間ほど前のカラサディオの言葉の意味に気づいた。
まさかそんな……。
だが、しかし……、そうとしか……考えられないのではないか…………?
聖女に寝返るのならまだよかったのだ。
彼女には悪意がないのだから。
……だが、そうではなかったのだ。
待ち伏せといい、襲撃といい、荷物の場所の把握まで。
俺達の情報が漏れていたと考える方が余程納得がゆく。
ブラウがまさか……。
我々の情報を、敵にも流している……というのか……。
そんな……。
なぜ……そんな事ができる……?
アイツが孤児院の隅でずっと耳を覆って震えていたのを、私と父が拾って、一人前に仕事ができるようになるまでせっせと育ててやったというのに。
これまで私達が、やる気のない不真面目なアイツに、どれだけ面倒をかけさせられてきたと思ってるんだ!
それなのに……。
これまでの恩を忘れて、こんな事が……許されるとでも思うのか……!!
「……くそっ!」
堪えきれない怒りに、私は拳を宿の壁へと叩きつけていた。
***〈カラサディオ視点〉
私は3人の私兵と侍女のリサを連れて、ラウンジで人を待っていた。
本から顔を上げて時計を見れば、もう随分と遅い時間になっている。
ダリスは今頃兄とどんな話をしているだろうか。
帰りは何時になるだろうか。
兄に強引に飲まされていなければいいのだが……。
近づく足音に、私は廊下へと視線を向ける。
そこには待ち人であるケイト様のお姿があった。
「あれ? 今日はダリスと一緒じゃないんだ、珍しいね」
ケイト様は立ちあがろうとする私を手で押し留めると「そのままでいいよ」と、ふわりと微笑んでくださる。
けれど、私は彼に謝罪するため、ここで待っていたのだ。
立ち上がることが叶わないならばと、私はその場に膝をついた。
「大変申し訳ありません……」
私は深く謝罪する。
ケイト様と視線を交わすだけで、大叔父様はすぐに私とケイト様を包む小さな遮音の空間を生み出した。
私は、ダリスがブラウの裏切りに気づいてしまった事と、ダリスがリサに探知でブラウを探させようとしてしまい、それによってブラウに気づかれてしまっただろう事をお伝えする。
「そっかぁ……。まあ気づいてしまったものは仕方ないね。ブラウもその辺ずさんだったみたいだし」
ケイト様はそうおっしゃって小さく苦笑なさると、小さな御手で私の頭を優しく撫でてくださった。
突然の親しげな接触に、思わず心臓が跳ねる。
「あ、ごめん、うっかり撫でちゃった」
そんなお言葉と共に引っ込められてしまった御手がなんだか酷く残念で、私はぎこちなく苦笑した。
おそらく膝をついた私の頭が、ケイト様にとってちょうど良い位置にあったのだろう。
「ダリスがいなくて助かったぁ。見られたらまた睨まれるとこだったよ」
そう言って苦笑なさるケイト様に「座って座って」と促されて、私は椅子に戻る。
ケイト様は、くれぐれもブラウがダリスに殺されないよう気をつけるようにと注意をなさった後「ダリスも落ち込むと思う?」と尋ねられた。
「そうですね……、先程は激昂していたようでしたが、時が経てばダリスも悔やむと思います。彼は私よりもブラウと関わる時間が長かったので……」
「そっかぁ……。ダリスの事、慰めてあげてね」
ケイト様のお言葉に、私は心からの笑みを返す。
「はい、もちろんです」
私の時はダリスに慰めてもらいましたから、という気持ちを込めた返事は彼に伝わったのか、彼は僅かに頬を染めてふわりと微笑んだ。
「ふふ、よかった」
優しいピンクの髪を揺らして微笑むケイト様は天使のように愛らしい。
私は自然とその微笑みに、先日一度目にしたきりのケイト様の本当の……男のお姿を重ねてしまっていた。
この巡礼が終わったら、あのお姿にまたお目にかかれるだろうか。
私はあの宿を焼け出された日に耳にした騎士達の会話を、もう一度頭の中で繰り返す。
そう、確かに男のケイト様のお姿は特別に体格が良いわけでも、細く繊細なわけでもない。
それなのにどうしてか、あの優し気な顔立ちと表情に、思わず胸がキュンとしてしまうのだ。
そして、彼を……どうしても守りたいと強く願ってしまう。
ああ……本当に、騎士達の言う通りだ。
彼は弱いわけでもなければ、私に彼を守れるほどの何かがあるわけでもないのに。
それでも、分不相応にそんな気持ちを抱いてしまうのだ。
巡礼が終わり、7月になれば……ケイト様はご自分の世界へ帰ってしまわれるのだろうか。
どうしてこんなに、彼と離れたくないと、彼に帰ってほしくないと思ってしまうのだろうか。
私には、ダリスもリサもいてくれるというのに……。
おそらくこれは恋ではないと思う。
彼に抱いている思いは尊敬や畏敬が主で、言うなれば敬愛である。
それでも、母に縋る幼子のように、彼に帰ってほしくないと切実に願ってしまう心が私にはあった。
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