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元侍女長

 ***  俺はお茶のカップを細い指先でつまんで持ち上げる。  ふわふわと漂う湯気ですら、既に美味しい香りを漂わせていた。  お茶をひとくち口に含むと、ふわりと鼻まで香りが抜ける。  俺は驚きに思わず目を見開いた。 「うわぁ、美味しい……」  いつもアンナが入れているのと同じ茶葉なのに。  リーアが入れるとこんなに違うなんて……。 「すごいねリーア。さすが侍女長さんだねっ」  俺が笑顔を向けると、リーアは綺麗な所作で頭を下げた。 「お褒めに預かり光栄です。侍女長は、元ですが……」 「うっ、ごめん……」 「い、いいえ、そのような意味ではございませんっ」 「でも、リーアは俺の世話はしなくていいんだよ? 俺にはアンナがいるしね」  チラとアンナの様子をうかがえば、やっぱり所在なさげな困った顔をしている。 「ですが彼女は聖女様のお側を任されるには、あまりにも不出来です」  うわぁ。そんな本人の目の前で言っちゃう?  これでも最初に比べたら随分侍女らしくなったんだけどなぁ……。 「だけど、俺はリーアにお給料とか出せないからさ……」 「そのようなものは望みません。一度ならず二度までもケイト様に救われたこの命。この身が動く限り、ケイト様のお役に立ちたいのです」  えええええ……。  そう言われても、アンナがしょんぼりしてるからなぁ……。 「私は今までずっと侍女として生きておりました。それ以外でケイト様のお役に立てる事が思い浮かばないのです」  うーん……、と言われても……。  あ。そうか。  俺の役に立ちたいって言ってくれるなら、むしろリーアにお願いしたらいいのか。 「じゃあ、いきなりで申し訳ないんだけど、リーアにはアンナの侍女教育を任せてもいいかな?」  俺の言葉に、52歳のリーアの小さな瞳がぎらりと光った。 「かしこまりました。アンナさんの事は私にお任せください」  アンナから「ひぇっ」と小さな悲鳴が聞こえたのは、聞かなかった事にしよう。  どうみても、リーアの指導って厳しそうだもんね……。  リーアは俺に一礼して下がると、早速メモを片手にアンナから聞き取りを始めようとしている。  やっぱりできる人達って取り掛かりが早いんだよなぁ……。  アンナは俺の頼み事も「また明日」って言うタイプだからなぁ。  でも、自分に甘くて無理をしないのって、アンナのいいところなんだよ。  自分の機嫌をちゃんと自分で取れるアンナはいつでもご機嫌だし、無理しない分体を壊すこともなくて、いつでも元気だ。  それって、有能でもずっとイライラしてるような人より、素敵だと俺は思う。  ……今思わずダリスの顔が浮かんでしまったけど。  別にダリスのことを指すつもりじゃなかったけどね?  ダリスガンドは……、巡礼中は安心できる時がないだろうからなぁ。  お城にいても、カラサディオの話を聞く限り暗殺未遂は数知れずって感じだし。  そんな敵だらけの人を守ろうって思ったら、あんな風に目つきが悪くなってしまうのも、イライラしっぱなしになってしまうのも、ある程度は仕方ない気がする。  カラサディオがもっとダリスガンドを安心させてあげられたらいいんだろうけどね。  立場上それも難しいだろうからなぁ……。  俺は、リーアの矢継ぎ早の質問にアワアワと答えるアンナに視線を戻すと、口を開いた。 「リーア、難しいことを言ってしまうんだけど、俺はアンナの天真爛漫なところとか元気で素直なところが好きなんだ。だから、アンナを萎縮させないであげてね。俺は元気なアンナがそばにいてくれると、元気が出るから」  リーアが驚いたように口をぽかんと開けて、慌てて閉じた。 「かしこまりました」  頭を下げるリーアの向こうで、アンナがドヤ顔を決めている。  いや、主人に褒められたとしても、その反応はどうかと思うよ……?  早速、リーアに指摘されて「ひぇぇ」と小さな悲鳴が上がっている。  俺は苦笑を浮かべつつも、なんだか幸せな気分でお茶の続きを口へと運んだ。  あの日、リーアが壁から落ちた時。  駆け付ける俺達の前で、気を失ったリーアの身体に飛びついたのはブラウだった。  ブラウがパラシュート状に布を広げて減速する。  俺はその間に、ありったけの魔力を集めて水魔法を放つべく魔術陣を展開していた。  だけど、解いてしまった『疾走』のせいで、魔法の射程距離がもう少し足りそうにない。  リンに抱えてもらおうにも、リンは俺より向こうにいて、でもリンではまだ届きそうになくて。  そんな俺を抱き上げて『疾走』で壁まで走ってくれたのはソーンだった。  いつも眠そうなのに、走るのすら面倒そうなのに。  夜番の8班の皆さんは、班員同士で縦に並び『疾走』を順に使ってソーンを押し出したのだと後から聞いて、俺は感嘆した。  なるほど、競輪とかスピードスケートのチーム戦で見かけるあれか。  そんな8班のチームプレイのおかげで、俺は無事ブラウとリーアを魔法の水のクッションで受け止めることができた。  リーアを狙ったということは、敵の狙いはあの毒か……?  もうあの毒はリーアの手元には残っていないのに。  あの時、リーアがこっそり玲菜のノートを届けてくれた時に、聖なる毒も解毒剤もありったけ全てを俺に渡してくれたから。  このままではまた同じことが起きないとも限らないな。  リーアがいくら「持っていない」と言ったところで、信じてはもらえないだろう。  むしろ全部俺に渡したと言ってくれれば良かったのに……。  いや、それでも命を狙われることには変わりないか。  ブラウに聞けば、壁の上ではまだこちらの様子を伺っているという。  リーアの無事を確認したソーンが「良かったぁ」と言いかけたその口を両手で塞ぐと、俺は「リーア!」と叫んだ。  なるべく悲痛な声で。 「酷い……、どうしてこんな……。これじゃあもう助からない……」  俺の演技にリンはピンと来たらしく、後ろから駆け込んでくる8班の全員に俺の意図をひそひそと伝えてくれる。  高い壁の陰は薄暗く、壁上からではよく見えないだろう。  俺の出したクッションがわりの水が飛び散っているのは、リーアの血のようにも見えるはずだ。 「ケイト様、あいつら帰りました」  ブラウの声に、俺はホッと息を吐く。 「そっかあ、教えてくれてありがとうブラウ。それに、リーアを助けてくれて本当にありがとうね」  俺は褒めて欲しくてしょうがない顔をしていたブラウをこれでもかと撫でまくり褒めちぎる。 「ブラウが教えてくれなかったらリーアは本当に死んでるとこだったよ。落ちてる時も、ブラウが速度を落としてくれなかったら間に合わないところだったからね」 「えへへ……」 「本当によくやったよブラウ、えらいえらい、いい子だねぇ」  なでなでなでなでとブラウを撫でまくる俺達に、なんだか冷ややかな視線が集まっていることはわかっているんだけど、もうしばらく許してもらえるかな?  なにせ、後から褒めるよりも、良い行動の直後に褒める方が、行動が強く強化されるからね? 「ブラウさんいーなぁ。俺も聖女様になでなでして欲しいですよぉ」  うん、気づいてた。  ほとんどの人がブラウに対して『いつまで撫でられてんだ』って目をしてる中で、もさもさ紫髪のソーンだけは羨ましそうな顔してるなって……。 「えっと……、じゃあ撫でようか? 俺のこと抱えて走ってくれて、本当に助かったよ」  俺の言葉にソーンはぱあっと破顔して、ブラウの隣にちょこんと座った。  ブラウはソーンをチラリとみたけど、興味無さそうにまたうっとりと目を細めてしまう。  どうやらブラウにはまだ『自分だけが撫でられたい』という感情は無いようだな。  俺はそこを確認すると、ブラウを片手で撫でつつもう片方の手でソーンを撫でる。 「わーい、嬉しいなぁ。ケイト様の御手はケイト様のお心みたいに、とってもあったかいんですねぇ。お布団の中みたいで、眠くなってきますねぇ……」  ソーンの素直な言葉に、ごくり。と8班の皆さんが唾を飲む音が重なる。  え、いや、他の皆も撫でて欲しいなら、いくらでも撫でるよ……?  結局この夜、俺はリーア以外の現場の全員を感謝の言葉と共に撫でた。  リンは、褒賞を得る資格がないと、俺の役に立てなかったと凹んでいたけれど、俺が「俺の意図を皆に知らせてくれて、本当に助かったよ。流石リンだね」と褒めると、嬉しそうに青い瞳を細めていた。  リンは俺の恋人なんだから、何もしなくても、俺に撫でられていいのにね。  でも、そんな真面目で不器用な所も、俺は好きだよ。  俺は、短い回想から戻ると、飲み終えたお茶のカップをおろしてリーアに目を向ける。  リーアはいつの間にか部屋の隅でアンナに礼の作法を教えていたけど、俺のカップが空いたのに気づいてすぐ側にやってきた。  しっかりとアンナを連れて。  アンナがリーアの指導を受けて「おかわりはいかがですか?」と尋ねる。 「もういいよ、ありがとう」  普段は「下げてくれるかな」と俺が続けるところだったけど、今日からはリーアがいるのできっと大丈夫だろう。  思った通り、アンナはリーアに耳打ちされて『あ、そっか』という顔をしてから食器を下げ始めた。 「アンナ、指導が辛いなって思った時は俺に言ってね。いつでも休憩を入れていいからね」 「はいっ! でも頑張りたいので頑張ってみますっ!」  うんうん、アンナはそのガッツも素敵だね。 「頑張ってね、応援してるよ」  俺の応援に、アンナは弾けるような笑顔で「はいっ!」と答えてくれた。  ……直後に指導が入ってたけどね。 「リーア、色々ごめんね」  俺が囁くように謝ると、リーアはじっと俺を見つめた。  あの日の夜、リーアの命を優先させた俺の判断が、社会的にリーアを殺した。  キリアダンの大教会に長く勤めた、優秀な侍女長としてのリーアを殺してしまったのは俺だ。  向こうの世界に帰ったら、リーアは侍女長さんになってたよって、玲菜に伝えようと思ってたのに……。  そう伝えたら、玲菜はきっとすごく喜んだだろうに……。  立場あるリーアを死んだ事にするとなると、葬儀をあげないわけにもいかず、結局あれだけ沢山の人を騙して、偽の葬儀も行った。  俺は、ひとまずリーアは重症ってことにして教会外に匿ってもらうのはどうかと提案したんだけど、リーア自身がそろそろ引退を考えていたので、死んだことにする方が都合が良いと言った。  おそらく他の親族に被害が及ぶ事を恐れたんだろうな……。  リーアの親族の皆さんには、リーア自身が選んだ数名にのみリーアが直接事情を説明して、式の間はずっとリーアには玲菜の作った禁忌魔法である時間停止魔法をかけて、死んだふりをしてもらっていた。  俺の睡眠魔法では呼吸を確認されるとバレてしまうけど、玲菜の時間停止魔法は心臓までもが止まってしまうので、大教会の参列者全てを完璧に騙すことができた。  正直、最初にかけた時は「本当に大丈夫なんだろうか」とハラハラしたけどね。 「ケイト様」  名を呼ばれて、俺はリーアを見つめ返す。 「私は、ケイト様に謝罪をするべき事は数ありますが、ケイト様から謝罪を受けるような事は何一つありません」  そう……だよな……。  せっかくリーアが振り切ろうとしてるのに、俺がいつまでも後悔を見せてちゃリーアも辛くなっちゃうよな。 「リーア、ありがとう。もう言わないよ」 「いいえ、ケイト様のお心が晴れるのならば、いくらでもおっしゃってくださって構いません。ですが私は心から、ケイト様のご判断に感謝しているのです」  心から……?  ……本当に……?  だって、俺がここに来なければ、父がここに来なければ。  いつもと同じ巡礼なら、リーアがこんな思いをする事なんて……。  俺がなにも言えずにいる間に、リーアは続けた。 「私と、私の大切な家族と、この大教会の皆を、残らず守ってくださって、本当にありがとうございます」  深々と下げられたその頭を見つめて、そうだろうか、と思う。  残らず救えたなら、本当にそうなら良かったのに。  俺は……リーアを犠牲にしてしまった……。  これがもし父さんなら、もし蒼だったなら、もっと良いやり方があったんじゃないだろうか。  そんな思いを、俺はぬぐい切れないまま抱えている。 「リーア、頭を上げて。俺はそんな、大層なことはできてないよ……」 「ケイト様……」 「でも、そう思ってもらえたなら嬉しい。これから向こうの教会に戻るまで、改めてよろしく頼むね」  俺が笑顔を繕って微笑むと、リーアも少しだけ痛そうな顔で微笑んでくれた。

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