290 / 304

香水

 ん?  俺って今、手紙を処分するかしないか尋ねられてたんじゃなかったっけ?  いつの間に処分決定になってるんだ? 「手紙は俺が持っておくから、処分しなくていいよ?」  そう言うと、リンの眉がぴくりと跳ねた。 「……どうして、ですか……?」 「え? いい匂いがするから、俺の鞄に入れておこうかと思って……」  そしたら、鞄からほんのりいい匂いがしそうで、いいんじゃないかなって……思うんだけど……。  俺の言葉に、リンの顔からスッと表情が消えた。  え、何? なんで? リン怒ってる……?  首を傾げかけてから、俺はやっと気づく。  これがカラサディオの香水だからか!  俺にとってはただの『香水のついた紙』でも、リンから見たら『自分以外の男の匂いがする手紙』だったのか! 「わ、わかった、その、処分して、ください……」  おずおずとリンに手紙を差し出すと、リンは魔法の炎を掌に出して手紙をその場で燃やす。  突然の炎に「うわっ」と声を上げたのは、部屋番をしていたアークだ。  部屋の中にはシヴァルとラドムもいたけど、こちらはちょっと驚いた顔ではあるが、黙って炎を見つめている。  リンの炎魔法って、普段は野営の際の火種だったり、ランプに火をつけたりと、ライターみたいなイメージしかなかったけど、そこそこ大きな火も出せるんだね……。  そんな中で、灰が落ちたらどうするんだと言わんばかりに素早く大きな皿を持ってきてくれたリーアは流石だ。  うん。確かに、借りている宿の室内でいきなり火をつけるのはいただけない。  聖女の俺の部屋は宿で一番良い部屋で、下には絨毯が敷かれている。  灰が落ちたら高そうな絨毯が焦げてしまうよ。  俺は灰が降る可能性のある範囲を、広く範囲浄化で包んだ。  これで灰が降ってきても、絨毯を焦がす前に消せるだろう。 「……申し訳ありません……」  少し頭が冷えたのか、自身の暴挙に気づいたリンが謝罪する。  すると、すっと肩の高さに手を挙げたシヴァルが珍しく口を開いた。 「よろしいですか」 「うん、何でも言って」 「お二人で、香水を買いに行かれてはいかがでしょうか」  ……なるほど?  でも別に俺が香水をつけたいわけじゃないし、ないならないで構わないけどな。  わざわざ買いに行かなくても……。  そう思いながらリンを見上げると、リンは青い瞳に期待を浮かべて俺を見つめていた。  あれ? 行きたいの?  そういえばリンは普段から香水をつかう人だったな。  もしかして、最近使っていなかったのは、急にフロウリアに来たせいで手持ちがなかったから……なのか……?  それは……今まで気づかなくて悪かったな。  言ってくれればよかったのに、とは思うものの、リンは俺が尋ねない事は、俺に必要な内容以外口にしないからなぁ……。  どうやらリンは俺と香水を買いに行きたいようだと悟って、俺は頷いた。 「じゃあ明日、町の浄化が終わったら一緒に買い物に行こうか」  俺の言葉に、リンは嬉しそうに微笑んで「はい」と答えた。  ***  翌日、町中の浄化を巡礼計画の5分の1以下の時間で終えた俺は、まだ日も高いうちから、リンと一緒に香水屋さんに向かっていた。  今日の護衛は偶数班の15人で、俺はいつもの4班の真ん中を歩いている。 「聖女様、そんなに早く兄サンとデートに行きたかったんスか~?」  人通りのない道に入ると、ヒアッカがケラケラ笑いながら言った。 「別に、そういうわけじゃないけど……」  揶揄われてしまうと、つい頬が熱くなってしまう。  まあ、ちょっと……早く終わらせたいと思っていたのは……あるけど……。  本来ならこの町の中央と東西南北の5箇所を回って、5回に分けて浄化をするはずだったのに、俺はスタート地点の町の中央から、町全部を一度の広範囲浄化で一気に浄化し切ってしまった。  そのせいで、浄化予定の5箇所に3人ずつ配備されていた奇数班のメンバーのほとんどに無駄足を踏ませてしまった。 「その、奇数班の皆には申し訳なかったなと思ってるよ……」  ボソボソと呟く俺に、ドルーグが明るく笑って言う。 「ハハハ、そんなことを気に病む必要はありませんよ。むしろ奇数班の奴らはさっさと仕事を上がれて喜んでるでしょうから」  ……そうだといいんだけど、多分違う。  昨日、団長さんに「明日の浄化が終わったら、町で買い物をしたいんですが」とお願いに行ったら「分かりました。護衛には浄化移動時の編成で偶数班をそのままお使いください。お夕食までにお帰りくだされば十分ですので、たまにはケイト様もゆっくりお過ごしください」とにこやかに答えてくれた。  けど、俺が部屋を出る直前、団長さんがすぐ後ろにいた副官さんに「明日用の特訓メニューを準備しておけ」と言っていたのが聞こえちゃったんだよな。  団長さんには、俺が久々のデートに浮かれて町の浄化を手早く済ませるだろうと読まれてたのかと思うと、ちょっと恥ずかしいんだけど……。  今頃、奇数班の皆は町の外に集められて、特訓の指示にがっかりしてるだろうな。  そんなことを考えながら空を見上げていると、クロイスがおずおずと声をかけてくる。 「あの、今日は香水のお店に行かれるんですよね?」 「そうだよ、俺の買い物に付き合わせちゃってごめんね」  苦笑して言うと、クロイスが慌てて首を振って「いえそんなっ、お供できて光栄ですっ」と答えてくれる。 「ふふ、ありがとう」 「聖女様はどんな香水が好きなんスか?」 「うーん……? 香水ってつけた事ないからよくわかんないな。あんまり強い匂いは苦手かなってくらいしか……」  俺の言葉に4班の皆が驚いたような顔をする。  あれ、香水つけたことないのってそんなに珍しい……? 「つけたことないんスか!?」 「そうだったのですか?」 「いつも優しい花のような香りがするので、てっきり……」  ヒアッカにクロイス、カイルにフォーンが口々に言う。 「じゃあ、それは……聖女様ご自身の香りなのですか……?」  戸惑うようなドルーグの言葉に、俺は腕に鼻を寄せて自分の香りを嗅いでみる。  自分じゃよくわからないな。  香水をつけてないリンも、お風呂上がりはすごくいい匂いがするし、そういう石鹸の匂いの事だろうか?  結局俺は、初めて入った香水屋さんでその種類の多さに圧倒されて、リンの物だけ買うつもりが店員さんの熱烈なセールストークに負け、自分の分まで買わされてしまった。  こんなはずじゃなかったんだけどなぁ……。  聖女姿の俺に合わせて選ばれたのはいかにも女の子らしい甘い花の香りで、こんなの持って帰ったってどうしたらいいんだろう……。  お土産にしたところで、この匂いはキリッとしたスーツを着こなすクールな見た目の母さんには似合わないだろうし、アンナかマリーにでもあげようかな。  散々色んな匂いを嗅ぎ過ぎて馬鹿になった鼻を町の空気でリセットしながら、俺はトボトボと通りを歩く。  チラと斜め前を見ると、クロイスとヒアッカはどちらも満足そうな顔をして歩いている。  あの2人はお互いの香りを選びあっていて、仲睦まじい様子が微笑ましかったな。  フォーンとドルーグは奥さんや娘さんにとお土産を買っていたし、カイルも男を磨いて次の巡礼までには彼女を作りたいと自分用の香水を選んでいた。  町人向けのお店だからか、お値段も思ったほど高くなくて、だから皆も手が伸びたんだろうけど……。  そんな風に皆が買う中で、俺にべったり接客してくれる店員さんの圧に、俺だけ買わないのも悪い気がして、つい「じゃあそれで……」と答えてしまった。 「はぁ……」  思わずため息を吐くと、すぐ後ろからリンが「聖女様……?」と心配そうに尋ねてくる。 「ああごめん、何でもないよ。押しに弱い自分に自己嫌悪してるだけ……」  俺の言葉にリンは意外そうに瞬いた。 「そちらの香水はお嫌でしたか?」 「嫌って言うか……俺にはこんな可愛い匂いは似合わないし、使いようがないなと思って……」  驚いたようにリンの青い瞳が大きく開かれる。  リンが口を開きかけた途端、4班の皆の声が重なる。 「「「よくお似合いでした」っスよ!」」 「え……? いや、この姿じゃなくて、男の姿にだよ……?」  心の姿にはなるべく手を加えない方が良いだろうから、俺は試し付けも遠慮して、紙に垂らしたり扇いでもらったりして匂いを嗅いでいた。  だから香水を使う場合、男の姿で使うしかない。 「はい。本来の貴方様のお姿によくお似合いだと、私も思います」  優しいリンの声が聞こえて、俺はリンを見上げた。  リンは本当にそう思っているのか、俺を愛しげに見つめている。  えええ……? 「本当に? だって甘い感じの、女の子みたいな香りなのに……?」  納得できずに首を傾げると、リンと4班の皆はなぜか揃って力強く頷きを返した。  …………なんで……?

ともだちにシェアしよう!