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蒼の電話

 ***  聖女の部屋に戻って、俺はぐったりとソファに身体を預けていた。 「あー……。なんかリヴァルド陛下には勝てそうにないよ……」  ため息を吐くようにして言った俺の傍には、リンが跪いている。 「そのように気弱な事を仰らないでください」  俺の手を大切そうに取ったリンは、濡れた手拭いで俺の手の甲をやたらと念入りに拭っていた。  ……俺の手、いつまで拭いてるつもりなのかな……。  そこは、さっきリヴァルド陛下に唇を落とされていたところだ。  俺が上手くかわせなかったせいで、リンには嫌な思いをさせちゃったな……。 「ごめんね、リン……俺が……不甲斐なくて」 「いいえ、ケイト様が気に病むことなどありません。今回は相手が悪かったのです」  うーん……、リンから見ても、リヴァルド陛下はかなりの手練れかぁ……。 「とりあえず、蒼にメールしておくね」  俺の言葉に、リンは俺の手の甲に唇を3度押し当ててから、名残惜しそうに俺の手を返してくれた。  そっかぁ……、1度じゃ収まらなかったかぁ……。  俺は、少しでもリンを安心させたくて、精一杯の気持ちを込めて伝える。 「リン、俺、浮気はしないからね?」  リンの事が、俺はいつだって一番好きだよ。  俺の言葉にリンは青い瞳を瞬かせて、それから嬉しそうな顔で「心得ております」と応えた。  そうか……そうだよな。  俺を疑う気持ちはリンにはないんだ。  ただ、リヴァルド陛下が俺を狙ってくるのが嫌なだけで……。  でもそれって俺にはどうしようもないんだよなぁ。  諦めてくださいって言っても無駄だろうし……。  俺ではどうしようもないなら、蒼や父さんに相談してみるしかないな。  教会に戻ってからは、俺も父さんと蒼に電話とメールを送るための魔道具をそれぞれもらっていて、スマホには2種の魔術陣が込められた魔道具が2人分、ストラップ状にぶら下がっている。  えーと……。  俺は蒼にメッセージを書く。  けどこれ一度に全角70文字までしか入らないんだよな。 『リヴァルド陛下が教会に来た、元聖女を6人城の地下から連れてきたらしい。リヴァルド陛下は俺の心を狙ってるみたいだ。今日は負けた、相手が強過ぎる』  ……最後、句読点入ってないけど、まあいいか。  メッセージを送ったところで、昼食の支度を済ませて待っていてくれたアンナが「お昼食の支度が整いました」と声をかけてくれる。 「ありがとう、アンナ。助かるよ」  ちゃんと相手の様子を見て、ばっちりなタイミングで声をかけられるようになっていて本当に偉いと思う。  じゃあ、食べそびれていた昼食を食べようか、と思ったところで俺のスマホが鳴った。  蒼から電話だ。 「もしも……」 『兄ちゃん!? 負けたってどーゆーことだ!? 無事なのか!? ディアは何してた!?』 「あ、いや、負けたのは舌戦でだから、大丈夫だよ」 『大丈夫って……、けど、兄ちゃんが負けたと思った何かがあったってことだろ?』  うっ、蒼は相変わらず鋭いな……。 『……ちょっと、ディアと代わってくれ』  言われて、俺はリンにスマホを渡す。  おっかなびっくりスマホを受け取るリンがなんだか可愛い。 「こんな風に耳に添えて、話をしたらいいよ」  俺の言葉に、リンは「やってみます」と真面目な声で答えた。  電話を代わったリンは、蒼に促されるままに、さっきのリヴァルド陛下とのやり取りを事細かに報告している。  うう……、ちょっと……いや、かなり、恥ずかしいんだけど……。  時々、蒼の言葉がいくつか聞き取れる。 『マジか……』 『そりゃ本気で落としに来てんな……』 『ディアは現状で兄ちゃんを守り切れそうか?』  リンがいつも以上に背筋を伸ばして、毅然と答える。 「たとえ相手が誰であろうと、ケイト様を譲る気などありません」 『そこは疑ってねーんだよ。助けがいるかって話しだ。ディアが下手な意地張って兄ちゃんを攫われるようじゃ困んだろ』  何か叱られたのか、ちょっとしょんぼりしながらリンは言った。 「……精神魔法への対策は、しておく方が良いかと思われます」  ぇ……。  そういう方向で来られる可能性もあるのか……。 『あー……、なるほど。こっちにゃ人を洗脳する魔法とかもあんだな? まぁ幻術もある意味人の知覚を操ってるわけだしな……。そりゃ忌避されるってわけだ。シルヴィンが隠すのも納得だな……』  蒼がボソボソと喋っているけど、リンは「はい」「はい」と繰り返すばかりで内容までは拾えない。 『頼むぜ、そこで兄ちゃんを守れんのはお前だけなんだからな』 「命に代えても」 『代えんな。兄ちゃん泣かしたら許さねーぞ』  蒼の言葉にリンが小さく苦笑する。 「肝に銘じておきます」  蒼とリンは互いを信頼し合っている。  それはとても嬉しい事なのに、ちょっとだけ胸がモヤッとしてしまうのは、俺の心が狭いからかなぁ……? 『兄ちゃんに代わってくれ。大きな発見があった』  リンから「ケイト様、ありがとうございます」とスマホが返される。  俺が「代わったよ」と伝えると、蒼は声を潜めて言った。 『裏山に、結界柱に似たようなもんが埋まってんのが分かった』 「え……」 『セリクの見立てじゃ、どーも中に人が入ってるっぽいんだよな』  それって、まさか……。 『今こっちの皆で掘り返してっから、数日あれば出せると思う。なんか分かったら連絡する。兄ちゃんはスマホ持っててくれな』 「分かった。気をつけてね」 『おう、んじゃまたな。兄ちゃんも、今度は負けんじゃねーぞ』 「そうだね、頑張るよ」  スマホを仕舞って、俺とアンナとリンで昼食をとりながら考える。  地中に埋めてあったなら、元聖女である可能性は低いよな……。  だってそれじゃあ勿体無いもんな。  だとしたら、そこには聖女や元聖女以外の人が入ってるって事か。  そこへ、ノックと共に部屋番の昼休憩のための交代騎士達が顔を出す。  おや、ブラウがいるな? 「ブラウ、どうしたの?」 「ケイト様!」  俺が声をかけると、嬉しそうに俺の名を呼んだブラウが慌ててスッと膝をついた。 「何か報告?」 「いえ、あの、騎士様達がケイト様のところに行くって言うので……ついてきちゃいました……」  申し訳なさそうに言うブラウの表情は、出会った当初に比べると随分人間らしくなってきたように思う。  ああ、今日の昼休憩の担当は5班だったのか。  俺の視線に、5班のエカリオが短い灰色の髪を揺らして「申し訳ありません」と頭を下げる。  近頃ブラウはこのエカリオを気に入っているようで、よく一緒にいるのを見かけるんだよな。 「何も謝るところじゃないよ。こちらこそブラウを構ってくれてありがとう。もしブラウが仕事の邪魔になるようなら、遠慮なく教えてね」 「邪魔だなんて、とんでもございません」  エカリオの返事に、引継ぎをしていた5班と2班の皆がうんうんと頷いている。 「ブラウはとても可愛いですよ、ケイト様」 「撫でているとこちらが癒されます」 「気まぐれな様子は猫のようでいて、人懐こい様子は犬のようでもあり、皆ブラウに癒されております」  ……アニマルセラピーかな?  2班の班長のブレアルさんがにっこり微笑んで言ってくれるので、俺は「それならよかったよ」と笑顔を返した。  巡礼中から、昼の騎士達にはそこそこ構われていたブラウだったけど、先日の渓谷で夜番の騎士達を助けるために決死の囮を引き受けた一件以降は、あまり接点のなかった夜番の騎士達からもよく構われているようだ。  これなら来年以降の巡礼でも、ブラウは俺の傍に置いておけそうだな。  父さんの研究は順調に進んでいるようだったけど、まだ数年はかかるらしいので、少なくとも来年と再来年のあと2年は俺が巡礼を担当することになっている。  その間に、ブラウにも俺以外に頼れる人……、何でも相談できる人を作ってほしいなと思う。  2班の皆が出て行って、5班がそれぞれ配置につく中で、ブラウも大人しく部屋の隅に控える。  大きめの丸いクッションの上にちょこんと座る姿は、確かに犬か猫のようだ。  俺は教会に戻ってすぐに、追加で侍従用のベッドを聖女の部屋に入れようとしたんだけど、ブラウはベッドで寝たことがないから必要ないと固辞した。  巡礼の間は宿の隅に毛布を抱えて丸まって寝ていたブラウだけど、教会では4か月もの間を過ごすんだから、せめて寝床らしいところを用意してあげたいんだけどな……。  そう思った結果が、この大きめの丸いクッションだ。  薄紫色のクッションにはたっぷりの羽毛が入っていて、今ではここが聖女の部屋にブラウがいる際の定位置となっている。 「ああ、そうだ。ブラウに仕事を頼んでいいかな?」 「はい、なんなりと」  俺の言葉にブラウが頭を下げる。 「何日後になるかは分からないんだけど、蒼から連絡が来たら、俺は一度4班を連れて裏山に行きたいと思ってるんだ」  俺は一回言葉を切って、リンを見る。 「4班は今日って教会にいるかな?」  非番じゃないといいんだけど……と思った俺に、リンが「はい」と答えてくれる。  リンは護衛騎士の甲冑こそ着ているものの、毎日24時間休まず俺の専属護衛をしているので、騎士達のローテーションには入っていない。  にもかかわらず、こうして騎士達の当番表はしっかり把握しているのが、本当に頼りになるなぁ……。  いつも助けてくれてありがとう。  そんな気持ちで微笑むと、リンがふっと目を細めて微笑みを返してくれる。  役に立てて嬉しいって喜んでいる様子のリンに、俺は何度でもほわほわと胸を温められてしまう。  俺は、溢れてしまう幸せな気持ちをそっとブレスレットに注ぎながら、ブラウに視線を戻して言葉を続けた。 「俺が声をかけたら、4班を厩舎前に連れてきてほしい。えーと、声をかけてから10分後までに連れて来れるかな? 4班全員が難しければ、クロイスとヒアッカの2人を優先して」 「かしこまりました。4班の騎士様の位置は常に確認しておきます」  すごいなぁ、ブラウの耳ならこの広い教会内でも位置を確認し続けられるのか。  俺の後ろからリンが離れて、窓をそっと開く。 「ありがとう、頼むね。それと、今のうちに、この話を騎士団長さんと4班の皆に通しておいてもらえるかな」  ブラウは「はい、すぐに」と答えると、深く頭を下げてから、窓からするりと出て行った。  俺の目に、ブラウが出て行きざまにチラとエカリオを見たのがギリギリ分かった。  やっぱり最近ブラウは食べ過ぎで動きが鈍ってるのかな……?  こないだも見えてたもんな……。  以前はまるで瞬間移動みたいに見えてたのに。  俺はまだ、この時、この変化をそんな風にしか捉えていなかった。

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