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目先の問題は、まずどうやって薬を手に入れるかだ。
前回は組の人間をうまく使って睡眠薬を入手したが、今の状況ではそこに頼ることは不可能だ。睡眠薬が使えないとなると、無難なのは園芸用の農薬などの類だろう。少量では効果が出づらいとしても、毎日継続して投与すれば人体への影響は避けられないはずだ。少なくとも体調は崩すことになるだろうし、弱っているところを狙えば仕留められる可能性は高い。
となると相手に自分の手料理を食べさせる口実が必要だ。仮にも殺意を見せている人物の手料理など、普通の感覚がある人間なら口にしないだろう。そう思いつつ、断られる前提で家事を請け負うことを提案したのが今朝のこと。蓮からの返答は、「じゃ、よろしく」の短い一言だった。
「……本当に任せるつもりなんだな」
じゅうじゅうと音を立てる鍋を見つめ、望夢はぼんやりと呟く。まさかあんなにもあっさりと了承されるとは思わなかったので、せっかくひとりで買い物に出たというのに普通の食材だけ買ってきてしまった。仕方がないので薬の入手はまた別の機会にして、今夜は毒も何も入っていない、普通の肉じゃがを食べてもらうしかない。
実のところ望夢はあまり料理が得意ではなかった。父親の元に引き取られてからは、ほとんどインスタント食品やコンビニ弁当で賄ってばかりだったのだ。家庭科の授業で習ったぼんやりとした知識を引っ張り出しながら、少々時間はかかったもののなんとか肉じゃがは完成出来た。味噌汁はどの味噌を買えばいいか分からなかったのでインスタントだ。ついでに白菜の漬物も買ってきたので、パックのままテーブルに並べた。一人暮らし用の小さなローテーブルに、二人分の食事を並べるのはずいぶんと狭苦しい。家にはろくな食器がなかったので、食材と一緒に買ってきた新品の茶碗がなんだか居心地悪かった。
「ほら、できたよ」
「ん」
蓮は寝そべっていたソファから身体を起こすと、テーブルの前にゆったりとあぐらをかく。寝ぼけたような顔で箸を手に取る蓮を横目に、望夢も小さく「いただきます」と手を合わせた。しんと静まり返った室内に、食器を動かす軽い音だけが響く。肉をひと切れ口に放り込むと、思ったよりも味が薄いことに気付いた。
「これは療養食か?」
「は?」
蓮は短くそう口にするとキッチンに向かい、醤油を片手に戻ってきた。かと思えば自分の肉じゃがにこれでもかというほど流しかけ、用済みの醤油ボトルを床に置く。その一連の動作を呆気にとられながら見送り、ようやく望夢は蓮が何をしたのかを把握した。一瞬にして頭に血が昇っていく。人がせっかく作ってやったというのに、なんだこの男は。
「不味いなら食うな!」
「べつに不味くはない。美味くもないけど」
「もういい!」
咄嗟に蓮の影から醤油を引っ手繰り、残っていた中身をすべて蓮の肉じゃがにぶちまける。一瞬にして醤油浸しになったそれを見て、蓮の眉がほんのわずかに跳ねるのが見えた。
「塩分過多で死ね!」
そういって自分の茶碗を掴み、蓮に背を向けて米を掻きこむ。そもそもどうして殺すべき仇と一緒に食事なんかしているのだろうか。そう思うとまた急激に居心地が悪くなって、望夢は急いで食事を平らげた。醤油に浸った肉じゃがを無表情でつつく男を置き、食器を片付けるためキッチンに駆け込む。
「なんで僕がこんなこと……」
乱暴気味に食器を洗いながら、望夢は小さく溜息を吐く。この洗剤とスポンジも望夢が今日買ってきたものだ。蓮の部屋には最低限寝泊まりするためのものしかなく、冷蔵庫の中には缶ビールしか入っていない有様だった。男の一人暮らしなんてこんなものかもしれないが、それにしても妙なほど生活感がなくて不気味に思ったものだ。
「……っわ!?」
水を流したまま少しの間ぼうっとしていると、突然背後から手が伸びてきて身体が飛び上がった。どうやら蓮はあの醤油漬けになった肉じゃがを食べきったらしい。空になった器が流しに置かれるのを見て、望夢は思わず戦慄した。
「まさか……醤油、飲んだ……?」
「しょっぱかったな」
「し、死ぬだろ!?」
いいや、死んでくれて構わないのだが。是非とも死んでくれたら嬉しいのだがそうではない。あくまでもこの手で息の根を止めたいのであって、醤油の多量摂取で勝手に死なれるのは少し違う。そんな間抜けな死に方じゃあ、きっと母も浮かばれない。
蓮は望夢に洗い物を押し付けると、部屋に戻って再びソファに寝そべった。狭いワンルームのキッチンに、食器を洗い流す水音が静かに響く。蓮は早くも眠ったのか、時折小さないびきが聞こえてきた。
自分に殺意を向ける相手の手料理を食べて、同じ空間で平然と眠る。この男が一体何を考えているのか分からず、ただただ不気味だった。今すぐに包丁を持ち出して襲い掛かる可能性だってあるというのに。それとも望夢のような子供ひとり、どうとでも出来ると思っているのか。
「……」
洗い物を終え、流しの下の扉を開ける。そこに収納された包丁を手に取ると、やけにずっしりとした重みを感じた。蛍光灯を浴びた刃先が鈍い輝きを反射させる。そこに映り込んだ自分の顔は、やけに子供じみて見えた。望夢はしばし無言で見つめたあと、重いそれを元の位置にそっと戻した。
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