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 園芸用品のコーナーを歩いていると、ふと見覚えのある背中が目に入った。培養土の小袋を抱えながら、真剣に苗を選んでいるようだ。望夢は咄嗟に踵を返すと、足音を殺して静かに立ち去ろうとする。しかしその直後、背後から「ヒカルちゃん!」と声を掛けられ、望夢の心臓は竦み上がった。 「あ……アキさん、こんにちは」 「あら~、ヒカルちゃんももしかして園芸好きなの?」  にこやかに駈け寄ってくるアキに、望夢はぎこちなく笑みを返す。アキの視線が向かったのは、望夢の手に握られた農薬のボトルだ。望夢ははっとしてそれを背に隠し、飛び上がる心臓を誤魔化すように息を呑む。顔には引き攣った笑みを張り付け、「まあ、はい」と曖昧な言葉を返した。 「やだ~気が合うじゃないの~! ね、今は何を育ててるの?」 「あ~……えっと……ぱ、パセリ、とか……」 「いいわねぇ! 冬のパセリは香りが立つのよ〜! それで、どれくらい植えたの?」 「え、ええと……」  しまった、完全に捕まってしまった。苦し紛れにパセリなんて答えてしまったが、もちろん望夢には園芸の経験も知識もない。こんなことなら見つかる前に走って逃げるべきだったが、今更後悔してももう遅い。この手の中年女性は、一度火が点くと止まらないのだ。 「ちゃんと日当たりで育ててるの? 日陰でも育つけど、日が当たると全然違うのよ~。葉っぱがね、こう、大喜びするの。分かる?」 「まあ……はい……」 「ていうかヒカルちゃん、あなたソレだいぶ強い農薬選んじゃったみたいだけど、そんなのじゃなくて『カダンマモール』とかで十分よ~! 農薬なんて子供には危ないし、そっちにしときなさい!」 「あ、えっと……」  アキは近くの陳列棚からスプレータイプの園芸用殺虫剤を手に取ると、望夢から農薬を引っ手繰り、代わりにそれを押し付けてきた。望夢が選んだものよりもずっと毒性が低い、家庭菜園向けの商品だ。あまりの勢いに望夢も呆気にとられ、されるがままその殺虫剤を受け取る。まさか本当の用途など言えるはずもないので、今は違和感を抱かれないよう従うしかなかった。 「いい? 肥料は控えめにするのよ? あんまりあげすぎちゃうとね、ひょろ~って伸びて倒れちゃうから。人間と同じでね、甘やかすとダメなのよ。でもしっかり愛情込めるのは大切よ!」 「は、はあ……」 「ヒカルちゃんはちゃんと話しかけてる? 植物ってね、声を掛ければ応えてくれるの。うちのパンジーなんてね、もう返事しそうなくらいよ!」  一体いつまで続くのかと、望夢は遠い目をして殺虫剤を握りしめる。アキが立ち去ったら、これはまたこっそりと交換しよう。しかし園芸をしていると勘違いされたのはさすがに困った。この調子だと、今後会った時にも話題を振られてしまうだろう。 「あっ、いけない! もうすぐドラマの再放送あるんだったわ! じゃあねヒカルちゃん、分からないことがあったらいつでも聞いてね?」 「あ、ありがとうございます……」  嵐のごとく去っていったアキの背中を見送り、望夢はようやく強張っていた肩の力を抜く。アキの姿が見えなくなったのを確認してから、望夢は園芸用の薬品が並ぶ棚へと歩み寄った。押し付けられた殺虫剤を戻し、最初に選んだ農薬を手に取る。そそくさとその場から立ち去ろうとしたところで、ふと、望夢は足を止めた。  もしまたアキから園芸の話を振られたら、いよいよ誤魔化せなくなるかもしれない。それならいっそのこと、本当に園芸をはじめてみるのもひとつの手だろう。なるべく怪しまれるような行動は控えたい。それもこれも、確実に蓮を葬るために必要な準備だ。 「……はぁ」  望夢は深々と溜息を吐くと、先程の園芸用殺虫剤を再び手に取る。ついでにパセリの栽培キットも探し出し、それらを抱えてレジを目指した。

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