11 / 13
10
「こいつだ。今回の襲撃事件で死んだ芙蓉会幹部補佐・花守仁志のひとり息子」
須東が写真を一枚放り出す。擦れた紙がテーブル上を滑り、刑事たちの視線をさらう。そこに写っているのは、まだ幼さの残るひとりの少年だった。張り付けられたメモには『花守望夢(15)』と記されている。
「花守……望夢くん……」
「保護者の花守仁志が死んでから、児相経由で行方不明児童として届出が出てる。表向きには少年課の案件だが、今回は殺人絡みだからな。実質こっちが抱えてるようなもんだ」
須東がボールペンでコツコツと写真を叩く。少年の写真を見ながら、青山はふと、机の隅の冷えたコーヒーに視線を落とした。今日飲んだコーヒーはこれで何杯目だろうか。朝からずっと書類と睨み合っていたので、目の奥が疼くような感覚がする。
「父親の花守仁志は数年前に離婚してガキも手放してるが、母親が死んだと分かった瞬間、何を思ったのか掌返して引き取ってる。母親は秋村香苗──警察の“エス”だった女だ」
「えっ」
資料をめくっていた青山の手が止まり、須東に視線を向ける。エスとはつまり、組の人間でありながら警察に情報を流す内通者のことだ。戸惑いの色を浮かべる青山に、須東は淡々と言葉を続けていった。
「組に深く潜るためにガキまでこさえる覚悟の女だったが、それがバレて”処理”された──そういうことだろうな」
「犯人は捕まったんですか?」
須東の冷たい瞳が青山を見遣る。須東はポケットから煙草を取り出すと、火は点けないまま指の間で転がした。
「自殺ってことになってる」
「自殺……?」
「ああ。拳銃で自分の頭を撃ち抜いたんだと。使用されたのは未登録の密輸品で、頭を一発で撃ち抜き即死。処理は中央鑑識に回されたが、遺体はもう火葬済みだ」
須東は吐き捨てるようにそう言うと、たばこを咥えて火を点ける。青山が絶句するように目を見開くのを、須東は静かに一瞥するだけだった。須東は一度大きくたばこを吸うと、天井を向いて煙を吐きだす。細長く立ち上る紫煙を眺めていると、端に腰掛けていた刑事がそっと声を上げた。
「それと、須東さん。襲撃前、岡部浩一郎は幹部の後藤平八に自分の跡を継がせる話をしていたそうです」
「後藤平八だぁ? 後継は神田組の相模雄三じゃなかったのかよ」
「そうだったはずなんですが、突然変わったと。先ほど暴対のほうから情報が入りました」
刑事が手帳をめくりながらそう告げると、須東はそっと煙を吐いて目を細める。何か考えるような須東を眺めながら、青山はおずおずと口を開いた。
「それじゃあ……後継を奪われると察した神田組が“カラス”を雇い、芙蓉会を潰しに動いた、とか……?」
「そんな単純ならとっくに片付いてんだわ」
そう吐き捨て須東がたばこをもみ消す。灰皿に溜った吸い殻はすっかり山になっていた。青山はそろそろ取り換えたほうが良さそうだと思いながら、書類を捲る須東の横顔をじっと眺める。
「でも須東さん、相模雄三は襲撃事件の日は宴会を欠席しています。十分に怪しいかと」
「あー、知ってる知ってる。インフルエンザだったんだろ?」
「そう言われていますが……やくざがそのくらいで重要な宴会を欠席しますかね?」
「ばっかやろお前、インフルエンザ舐めてんじゃねえぞ。時代を考えろ時代を。昭和じゃねえんだからよ」
須東は呆れたようにそう言うと、ホワイトボードに貼られた芙蓉会の組織図を睨みつけた。赤ペンで引かれた線がいくつも交錯し、神田組の相模雄三から芙蓉会会長の岡部浩一郎へと太い矢印が伸びている。
「今、組の資金流れを暴対が当たってる。金融庁の筋からも情報を引っ張り出してるところだ。そのうち何か出てくんだろ。……で、凶器は判明したんだよな?」
「使われた拳銃はロシア製のマカロフでした。現在、流通経路を照合しています。店の従業員が銃声に気付かなかったとのことなので、サプレッサーを使用していたのではないかと」
須東はパイプ椅子をギシリと慣らすと、行儀悪く脚を組み溜息を洩らした。なんとも言えない気持ちのまま、青山は汚れた灰皿を手に会議室を出る。廊下のゴミ箱に中身を捨て、トイレの洗面台で軽く洗い流して会議室に戻った。須東の前にコトリと灰皿を置き、隅に空いているパイプ椅子へ腰かける。
「とりあえず、神田組のことはひとまず暴対に任せておきゃいい。今は花守望夢を追うぞ」
「そうですね。なるべく早く保護したほうが良いですし……」
「いや、見つけてもしばらくは泳がせる」
当たり前のように吐き出された須東の言葉に、青山はあんぐりと口を開く。
「な、なぜです? もし本当に”カラス”と一緒にいるなら、保護しないと危険じゃないですか」
「だから、まだその一緒にいるやつが”カラス”なのかも、そんで殺しの犯人が本当に”カラス”なのかも確定じゃねえだろ」
「でも須東さん、”カラス”の仕業だって言いましたよね?」
「それはあくまで俺の直感だ。物証がねえ以上、下手に動くと尻尾を切られる」
冷たく言い放つ須東に、青山はそれ以上の反論が出来なかった。納得いかない部分は多いが、確かに須東の言う通りでもある。あの現場から犯人に繋がる痕跡はなに一つ発見されなかったし、カメラで身元を特定できたのは花守望夢だけだ。あの黒い男が”カラス”なのかどうかすら、まだ判明していない。そもそも”カラス”なんて、本当に存在するのかすら怪しい存在なのだ。
微妙な空気が広がったその時、ふと会議室のドアがノックされ、全員の視線がそちらに集まった。返事を待つ前に扉が開き、桐谷が躊躇いがちに身体を滑り込ませる。桐谷はそっと須東の傍によると、耳打ちするように小さく言葉を発した。
「暴対のほうがざわついてます。さっき湾岸署経由で情報が上がったんですが──”スズメバチ”が、出てきたみたいです」
空気が一瞬止まり、誰かのペンが落ちる音が響いた。須東が大きく天井を仰ぎ、深々と溜息をつく。その反応だけで、それが一般的に想像する”蜂”ではないことは明らかだった。青山は必死で記憶を手繰り寄せ、頭の引き出しからぼやけた知識を拾い上げる。
「スズメバチって、確か……」
「はぁ……一生ムショから出て来ないのを願ってたんだがな」
須東は苛立たしげにたばこを取り出すと、口に咥えて火を点ける。細長く上がる紫煙を眺めながら、青山はその緊張感にそっと息を呑んだ。
ともだちにシェアしよう!

