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◇
「何か目的があるだろうとは思っておりましたが、少々…意外でございました」
シュウ殿の目を避けるためだろう。
俺は客室に連れて行かれた。
「…………」
きっと気持ち悪いと思われてるんだろう。
このままシュウ殿に会わずに帰れと言われるにちがいない。
ジントウイ殿にアホな叫びを見られてしまったために、動揺メーターは振り切れ、今は逆に落ち着いていた。
「イチハ様の身元は既に調べがついております。政治や貴族の派閥とは縁のない、新興の商会の会長がこの屋敷に自ら入り込んでくるとは、私どもの調査力では及ばないほどの力が働いているのではないかと懸念しておりましたが」
じっと、俺の表情を伺う。
「まさかこんな大きな力にあの方が巻き込まれようとは。全く思いもしませんでしたね」
「………え?大きな力?」
意味ありげな言葉に少し驚く。
ジントウイ殿は何か勘違いをしているのか?
「これからどうされるおつもりですか?」
どうと聞かれても……。
もともと顔を見て帰るだけのつもりだった。
いやそれよりも……。
「ジントウイ殿、あの、大きな力とは?何か思い違いをされているのでは?俺は何も陰謀などに加担は……」
言葉途中の俺にジントウイ殿がニコリと笑って言った。
「大きな力でございましょう?恋のちからと申しますのは?」
コイノチカラ……。
恋のちから…。こ、こい。
俺はきっと全身真っ赤になっているだろう。
気付いているとは思っていたけれど、こんな事を真っ正面から言われるとは思ってもみなかった。
改めて言葉にされるとなんとも恥ずかしい。
「で、これからどうされるおつもりですか?」
「そ、その…どうといわれても。今までお会いすることもかなわなかったので、やっとお顔を見ることができて、俺はそれだけでほんとに幸せなので…。その、ご迷惑をおかけするつもりはありません。もし可能でしたら…これからもちょっとだけでも姿を見れたら嬉しいです」
ジントウイ殿は、さらに言葉を促すように微笑んだままこちらを見ている。
しょうがなしに俺は続けた。
「あー。その、今日みたいに、お菓子を食べてると事かも見れると…嬉しいです。すごく…かわいく…あ、いや、かっこよくて……」
俺は言葉を促されても、こんな間の抜けた受け答えしか出来ない。
でも、これが俺の真実だ。
あの可愛い表情をもっと見たいんだ。
「ですがあの方は、イチハ様に恐れられていると思ってらっしゃいます」
「えっ?」
俺がシュウ殿を恐れてる?なぜ?恐れる要素などない。
シュウ殿はかっこ良くって、可愛くって。……セクシーだ。
「ですから、また怯えさせるのではないかと思い、礼をおっしゃりたいというイチハ様をずっと避けていらしたのです」
「そんなばかな。怯えさせるなんて全く思い違いです。なぜそんな思い違いをしたのかわからない」
ジントウイ殿は小さくため息をついた。
「意識が戻らず客室で寝ていたはずのイチハ様が、扉のところで倒れていた。シュウ様はそんなあなたを見つけ、またベッドへお連れしました。そしてその後、イチハ様が目覚めるまでずっと付き添われたのです。しかし、目覚めたあなたはシュウ様のお顔を見るなりそのまま気を失ってしまわれた」
確かにその通りだ。
しかしシュウ殿は、ずっと俺に付き添ってくれていたのか。うれしい。
いやしかし…?
「気を失ったのは確かですが、なぜ恐れているなどと」
「気を失ったからでございますよ。顔を見て、気を失った。それほど怖がらせたのだと、シュウ様はそう思われたのです」
「違います!気を失ったのは急に起き上がったため激しい痛みが襲って来たからです。顔が怖くて気を失うなどありえません」
猛獣でも居たのならともかく。顔を見て倒れるなんてそんな思い違い…いや、まぁ、顔を見て倒れたのは確かに間違いじゃないかもしれないけど。
「イチハ様はあの方のお顔をどう思われますか?」
意外な問いに驚いた。
しかも答えづらい。
「その…かっこいいなぁと…。目元のほくろもセクシーで。微笑まれると(…とても可愛らしいです)」
真っ赤になって答える。でも、最後のはさすがに言えなかった。
「本当にそうお思いで?」
「も、もちろんです!」
念を押されて驚く。
どうしてだ。恥ずかしいのを押して言ったのに。
ジントウイ殿は何が言いたい?
「なぜ、シュウ様がここまでイチハ様を避けていらっしゃったのか。それを理解していただくために、少し聞いていただきたい話がございます」
ジントウイ殿は俺に椅子を勧め、自らも洗練された所作で腰を下ろした。
「あの方のご家族はみな特に優美なお顔立ちで、その中にあってシュウ様お一人が力強いお顔立ちでした。小さい頃からご兄弟には鬼子とからかわれ、それはまだ無邪気な子供の残酷さではありましたが、少し関係の良くないご親戚からは悪鬼の相だなどと言われ。ただ悪く言われるだけでも幼い心にはつらかったでしょうが、さらに顔だちの違いによって本当に父の子かと母君まで悪し様に言われるに至りました」
ジントウイ殿は細い眉を小さく潜めた。
自分のみならず母親まで貶められ、それが幼い子供の心をどれだけ傷つけたのか、語るジントウイ殿の表情からも察せられた。
それにお二人がそんな昔からの縁だったという事にも驚いた。
「確かに強い顔立ちではありますが、父君と母君どちらにもよく似ており、親子であることは疑いようがありません。ですが、10歳を過ぎた頃からは精悍な顔つきがさらにきわだち、並び見比べればよく似ている兄弟たちも、ぱっと見の印象では血のつながりを感じにくいほどに印象が違ってしまっていたのです。ご家族のまわりにはそういった事をことさら面白おかしく言い立てて、執拗に悪意を向けてくる者も少なくありませんでした」
優しい言い方をしてはいるが、執拗な悪意という部分に穏やかではない空気が滲んでいた。
ジントウイ殿は寂しそうに言葉続ける。
「シュウ様は精悍な顔つきではありますが、ご兄弟の中でもとりわけお優しい気質で、酷い言葉に言い返したこともございません。
そんなシュウ様を思いやって、父君と母君が相談し悪意を向けて来る者たちとなるだけ顔を合わせずに、のびのび過ごして欲しいと、十代の半ばにさしかかった頃に別の環境を用意してそこへ住まうように手配をしたのです。
シュウ様はそのご両親のお心を理解しながらも、恐ろしい悪人顔の鬼子であるため身内に要らぬ苦労をかけ、放逐されるに至ったのだと心を傷めていらっしゃいます」
ジントウイ殿の話で、酷い噂にシュウ殿がとても心を痛めている、そして自分の顔を非常に気にしている……というのは理解できた。
そして昔から縁のあるシュウ殿とジントウイ殿が共にここで暮らしているという事は、おそらくシュウ殿はただの護衛などではなく、チーバイ家の縁者であり、かなり良い家柄なのだろうと推測できる。
しかし、俺には鬼子だの、悪人顔だの言われても全くピンとこず、ジントウイ殿がシュウ殿の悪口を言っているようにすら感じられた。
あのシュウ殿の顔を見て、本当にそんな事思う奴がいるのか?
「ジントウイ殿はシュウ殿のお顔をどう思われているのです?」
「私にとっては長らく見慣れたお顔。幼い頃は愛らしく、今は凛々しく精悍だと思っております。しかし、初めてシュウ様に会った者が一目見て恐ろしいと思ってしまうことがある…というのは理解できます。そしてシュウ様も日頃からそういった方を気遣い行動をされています」
俺には理解が出来ない。
ジントウイ殿の言葉に俺は困り顔を晒してしまった。
「『人間は顔ではない』そう思って恋されたのかもしれませんが、ことあるごとにビクビク怯えられては、想われる方も傷つくというもの。イチハ様がそこを乗り越えられないのであれば、シュウ様には近づかないでいただきたい」
「ジントウイ殿!?」
そのきっぱりとした口調に俺は驚いた。
「それじゃ……問題は顔ってことですか?」
ジントウイ殿はゆっくりと頷いた。
問題は顔……もんだいは……かお…?
普通、男同士だとか、そこら辺もう少し気にするんじゃないのか?
貴族の間では男同士というのも、そう珍しくないことだとは聞いていたが、やはり庶民の俺とはだいぶ感覚が違うようだ。
そもそも市井にはシュウ殿よりも凶悪な面相の者なんてゴロゴロいる。
俺から見れば美しい部類に入るシュウ殿に、鬼子だの悪鬼だの……その感覚が全く理解できない。
そもそも両親が心配して手放さざるをえなくなるほど執拗に少年を攻撃するなんて尋常じゃない。
シュウ殿とジントウイ殿が俺を警戒していた様子からすると、これまでに何度も陰謀めいた事に巻き込まれていたのだろう。
『顔』という言葉には、俺に詳細に説明できない貴族間の問題やシュウ殿の生い立ちなど様々な内容を含んでいるんだろう。
そしてジントウイ殿は俺のビクビクと怯えて見える態度のせいで、シュウ殿が不要に自らを責めることを心配している……。
けどジントウイ殿の言うことが本当なら、シュウ殿が俺を避けるのは、俺を怯えさせたくないからという、驚くほど単純かつ見当違いな優しさからだということになる。
そして、シュウ殿が素敵すぎて顔を直視できないという俺のダメさが、まさかシュウ殿を傷つけるものだったなんて……。
とにかく俺にとっての問題はシュウ殿の顔じゃない。
一番の問題はつきまとい気質なのに近づけない、ヘタレ童貞の俺の度胸の無さだ。
ジントウイ殿が俺をじっと見つめる。
「夕方には水が引いた後の道もなんとか通れるようになっていると思います。まだ少し早いですがご出立を……」
その言葉に俺はプルプルと首を振る。
ジントウイ殿がわざわざあんな話までしたのは、腹をくくれないならシュウ殿に近付くなってことなんだろう。
だったら……。
「イチハ様?」
「俺…シュウ殿を怖いとか思ったことないです。俺がちょっと…いや、だいぶ挙動不審なのは…そのトキメイてしまって。見た目は気にしない…とは言いません。でもそれは、俺が見た目も含めて…シュウ殿が、す、好きという事です。ですから俺に機会をいただけないでしょうか」
真っ赤になっている俺を見つめ、ジントウイ殿は嬉しそうに頷いた。
「わかりました。それでは今宵はここにお泊りになられるとよろしいでしょう」
お、お泊り!?
ジントウイ殿の言葉に動揺したが、いや、怪我をしてしばらく滞在していたのだから…それと同じだ。
決して、決して夜這いOKとかそんなことではない。
動揺しまくって少し涙目になっている俺におかまいなしに、ジントウイ殿は一礼して部屋を出て行ってしまった。
落ち着け俺。
なぜだかジントウイ殿にはシュウ殿を口説く許可をいただいてしまった。
きっと俺が腹をくくったと認めてくれたんだ。
このワンチャンスにかけろ。
男になれ。
夜這いの許可を貰ったわけじゃないけど……ダメでもないよな。
いや、夜這いに行ったところで、あっさり返り討ちにされて放り出されるのがオチだ。
シュウ殿のようなまっすぐな方にはやはり正攻法だ。
しかし正攻法ってなんだ。
どうすればいいんだ。
好きな人ができても遠巻きにウロウロしたことしかない。
まずはお茶に誘って……いや、さっき飲んだ。
散歩デートに誘って……道が雨でべちゃべちゃだ。
あと何がある?
晩ご飯を一緒に……いや、多分みんな一緒だ。
やっぱりもう、夜這いしかないじゃないか。
そして返り討ち。
……終わった。だめだ俺。
せっかくお泊り許可を頂いたが、何もなく朝を迎えてきっと夢精に涙するんだ。
考えすぎて頭が煮えていた。
せっかく機会はいただけたが、活かせそうにない。
今はただ、シュウ殿と同じ空間に居られる幸せを堪能しよう。
そう思って俺はフラフラと居間に戻った。
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