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ミンさんが朝食のためにオレを呼びに来てくれた。 けれどその食卓にシュウ殿の姿はなかった。 少しシャワーに時間を取られすぎたか。 でも逆に良かったかもしれない。 今でもふわふわして落ち着かないのに、一緒の朝食だともうどうしていいかわからなかったはずだ。 しかし、本来ならここに宿泊までする予定ではなかった。もう急ぎ帰らなくてはいけない。 ジントウイ殿に逗留の礼を述べ、館から去る旨を伝える。 昨日の豪雨が洗い流したかのように、清々しい空だ。 森の木々も瑞々しく光を反射している。 馬小屋から馬を連れて出口付近に行けば、見送りにはミンさんと、ジントウイ殿。 前回と同じ顔ぶれだ。 「あの、シュウ殿は……」 そう言いながら、ちょっと顔が赤くなってしまった気がする。 いや、それ以前にデレデレとだらしない顔つきになっているにちがいない。 「……シュウ様はご用事あるようで」 そう言うジントウイ殿の様子が少しおかしい。 「ご用事とは?」 思わず聞き返してしまったが、よりいっそう場の空気がおかしくなる。 ドキン! 嫌な空気に心臓が跳ねる。 「所用にて……」 露骨すぎるごまかしの言葉に、ざっと血の気が引く。 頭の中を色々な考えが流れていくようで、なのに真っ白だ。 「しょよう…ですか……」 「はい……」 申し訳なさそうな表情でジントウイ殿はそれだけを言った。 指の一本も動かせない。 なんだか嫌な空気だ。 なぜジントウイ殿はこんな申し訳なさそうな顔をしている? だって…俺はシュウ殿と……ジントウイ殿もそれを認めてくれていた。 こんな空気になるような心当たりはない。 なぜシュウ殿は朝から顔を見せない? 俺はさっきまで、人生で一番幸せだったはずだ。 なのにどうして、今こんな血も凍るような嫌な予感に震えている? 「おれは…なにか…。なにかシュウ殿を怒らせるような事をしたのでしょうか……」 小さな震える声で聞いた。 しかし、ジントウイ殿は首を振る。 「ただ、所用としか」 きっとジントウイ殿もシュウ殿が姿を見せない理由を知らないのだろう。 しかし俺にとってあまり良くない事情なのだろうと推察している。 「なにかお心当たりは?」 逆に聞かれるが、心当たりなどない。 硬い表情で首を振ることしかできない。 「シュウ殿に会わせてください。話をしなければ……」 「館にはおりません。どこかへ出かけられたようです」 「では、本当にご用事が?」 期待を込めて聞いた言葉も、ジントウイ殿の表情に否定される。 「イチハ様との間に、なにか行き違いがあったのかも知れませんが、今は本人が不在のため確認のしようがございません。お二人の事には私も責任を感じております。今後、出来る限り問題解決に尽力致しますので今日のところはご出立を」 ジントウイ殿の言葉に頭は真っ白になり、促されるまま館を発ち、気がつけばクボンの街まで戻って来ていた。 途中の記憶はほとんどない。 また気がつけば仕事場にいて従業員に指示を出し、さらに気づいた時には仕事が終わっていた。 ◇ 矢も楯もたまらず翌日また屋敷に行った。 しかし、やはりシュウ殿には会ってもらえなかった。 ティールームに案内され茶でもてなされるが、それに口を付ける気にもなれない。 「どうしてシュウ殿は会ってくださらないのでしょうか」 途方に暮れ、弱々しい言葉がこぼれる。 「それとなく伺ってみましたが。それらしい答えはなく……」 ジントウイ殿がいたわるような表情を俺に向ける。 生まれて初めて思いをとげられた。心を繋げられたと思ったのに。 ジントウイ殿にはご助力まで頂いた。 なのに、なぜこんなことになったのか。 「ジントウイ殿は……なぜ私に助力をしてくださったのですか」 「私は、イチハ様がシュウ様に誠実な想いを持っておられると感じました。イチハ様との事がシュウ様のためになると思ったのです」 なのに…俺は多分……その期待を裏切った。 どうしてだかわからない。 でも、またシュウ殿に拒まれている。 「シュウ様は武においては剛胆な方。ですが、こと人間関係においては繊細なところがございます」 ジントウイ殿は、過去を振り返るような遠い目をした。 「幼少の頃より他人の悪意にさらされて、それでも人に優しく接する方です。それに付け込んであまりタチの良くない人間に翻弄される事もございました。しかもその内一度は特に心を許していた者だった。ですから人と特に深く交わろうとする時、より警戒心が増してしまうのではないかと」 「そんな…私は…なにも警戒されるような事など…。きっと何か誤解なさっているのです!なんでしたら、私の身元など、身辺の調査をしてくださってもいい。何も偽ったり騙したりなどしていません」 「以前も申しましたとおり、失礼ながらイチハ様の身元の確認は、怪我をされ意識を失っておられる時にいたしております。こちらに非があるとはいえ怪しい者を長く館へ滞在させるわけにはまいりませんので」 まあ、確かにそのとおりだ。 「イチハ様の身元を存じ上げていたからこそ、シュウ様はあなたに興味を持たれた」 「え?」 「登山家や冒険家などを積極的に支援をしている好事家がいるという話が、私どもの耳にまで届いておりました。なかなか支援を得る事の難しい彼らを支えるその人物があなたであると知り、そのような人を負傷させてしまった事を後悔し、精力的に看病をなされました」 「……」 少し複雑な気分だ。実際の俺はそんな奇特な人物じゃない。 途中まででも一人で登るのが嫌で、ついでに商会の宣伝にもなるかもしれないと支援を買って出ただけだ。 そんな大人物ではないとバレて避けられた? ……いや、そんなわけはない。大した人物じゃないなんてことはこんな関係になる前にとっくにわかってただろう。 「目覚めたイチハ様が、そんな新興の商会を率いる人物とは思えないほど気さくで魅力的な人物であったことは、直接顔を合わせぬよう避けていたシュウ様にも伝わっておりました」 過大評価のような気もするが……それは俺にとって良いことだったのかもしれない。 「初めはイチハ様のご様子からご自分を恐れているとお思いになり、目にふれないように避けていらっしゃいました。そこには少なからず貴方様に嫌われたくないという思いがあったのではないかと推測しております。ですが今は……傷つくのを恐れている…そして、イチハ様を諦めようとしているように見えるのでございます」 「そんな……」 「イチハ様のお人柄をシュウ様が大変好ましく思っておられる事は間違いありません。なのにこのような事になってしまい、私も大変残念に思っております」 「私は…どうすれば……」 「イチハ様がこのままシュウ様の元を去ったとしても仕方のない事だと思います」 俺は言葉途中ですでにブンブンと首を振っていた。 「嫌です……そんな…俺はそう簡単に忘れるなんてできない」 初めて好きな人と一つになれた。 ほんの少しの時間かもしれないけどシュウ殿と一緒にいられてあんなに幸せだったんだ。このままわけもわからず離れるなんて出来ない。 そんな俺にジントウイ殿が優しく微笑んだ。 「私はシュウ様とイチハ様の間に何があったかは存じません。しかし、もしイチハ様がシュウ様に本気で接してくださると言うのなら、焦らず互いの誤解を解くよう努めることしか道はないと思います」 「それも……会っていただけなければどうにもならないことです」 「そこは私どもも、出来るだけの協力を致したいと存じます」 「ジントウイ殿は……なぜ俺にそこまで…?」 「それがシュウ様の幸せに通じると信じるからでございます。ですからイチハ様、くれぐれも……」 くれぐれも、シュウ殿を裏切り、傷つける事がないように……そういう事だろう。 ジントウイ殿とひとしきり話した後、俺は屋敷を後にした。 いくら悩み焦ったところでシュウ殿に会えない限りどうにもならない。 その機をただ待つしかない俺のやる事はひとつ。 悶々とした気持ちをひたすら仕事にぶつける。 ワンパターンだが、これしかできない。 ◇ 「クノースレフ、頼んでた件、どうなった?」 「イチハ、お前がわざわざこっちに出向いて来なくても報告は上げる。すっかりほったらかしにしてたと思ったら急にやる気だしやがって」 「俺が放置してたからって、サボってたのか?」 「そんなわけないだろ。流通の迅速化だろ?新ルートの選定は出来てるし、馬車の改良も技術導入の目星を付けてある」 クノースレフは外国野菜やくだものの輸入と流通を担当している。一応子会社の社長という形だ。 商会の事務所から十分くらいのところに事務所と倉庫がある。 ここに一番人員を割いているため、人の扱いに長けていて人脈も広いコイツにはぴったりだと思っている。 長年の友人で仕事仲間としての関係も俺と対等に近い。 「技術は軍に協力を得ようと思っている」 「は?そりゃ軍は馬車製造の技術ではずば抜けてるが、特定の商会に協力なんてしてくれるわけないだろう?」 「そこは…楽しい食事の席で技術者同士で交流を深め『個人的に親しく』なって製造技術の話で盛り上がったりするんだよ。だからそのためにまず最初に、イチハ会長サマにちょろっと軍の備品担当の小将とお食事会でもして、親交を深めてもらうぞ」 「…個人的に…ね?で、俺が少将殿と会った後、こっちは楽しい交流会にどんな人材を連れて行って欲しいって?」 クノースレフ、レフはちょっと気取って意味ありげな視線を投げ掛けてくるが、言うであろう事はだいたいわかっている。 「外国のうわさ話を集めるのが上手いヤツ。いるだろ?」 「お前だな」 「ん〜。オレもまあ、嫌いじゃないけど誰かさんのせいで少し忙しいからな。ザルツに任せる」 レフがいちいち顎に指を添え、キメ顔をするのが煩わしい。 オレ、カッコいいでしょと主張するようなポースを自然に出してくる。 これさえなければ有能で頼りになる仕事仲間なんだけど。 「ザルツね。だったら俺がわざわざ小将殿と会う必要はなくないか?」 「それは信用の問題だ。トップが会わなきゃこの話は通らないよ。人をタラシ込むのは得意だろ?会食は決定事項。すぐに日程を向こうが伝えてくる手はずになってる」 片眉を器用に動かして言う。 皮肉な表情もキメキメだ。 いちいちキメめなくてもお前はイケメンだよ。 気取った仕草が似合いすぎてうんざりするくらいにな。 それにタラシ込むのが得意ってなんだ。 こいつはいつもこんなふうに言ってくるが、俺にそんな特技はない。 もしそんな特技があったら今頃……。 はぁ……。 俺は小さくため息をついた。 事務所から出ようとすれば、エスコートするようにすっと前に出てドアを開け、俺の肩に手を置き促す。 『そんな事しなくてもドアくらい開けられる』当たり前すぎる文句を言いたくてしょうがない。 「なんだイチハ?ご機嫌ナナメだな?」 肩に手を置いたまま顔を覗き込んでくるレフの距離が妙に近い。 何故コイツはこんなに暑苦しいのか。 こいつ無しじゃ俺の仕事はまわらない。 信頼し、頼りにしていて、人としても嫌いじゃない。 嫌いじゃないけど、近くに寄られるとなんだかイヤだ……。 イケメンだから横に並ばれたくないっていうのもある。 だから極力顔を合わせたくないと思ってしまうのは……しょうがないよな。

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