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二階のゲストスペースにはソファセットや遊戯テーブルなどがあり、二十人くらいならゆったり寛げるようになっている。
重要な客人をもてなしたり、社員との交流会が行われたりなど人が来る時だけ利用して、普段は素通りだ。
あまり自宅という感じではないけど、一応自分の家の一部。
そう今、自分の家にシュウ殿が居るのだ。
もうそれだけで俺は舞い上がってしまっていた。
「頭の傷はもうかなり良くなっているようですね。跡が残らなければ良いですが」
「ええ、もう普段は傷のことは全く気になりません。痕は残ったところで目立たないと思いますし」
シュウ殿があの時の怪我を気遣ってくれたことが嬉しい。
傷跡は髪で隠れるし、少しくらいならばシュウ殿と俺を繋いだ思い出として痕が残って欲しいと願っているくらいだ。
「イチハ殿、手を……」
そう言われて、反射的に空いている左手を差し出した。
脳裏に浮かんだのはコウガラン少将がいつもする挨拶のキス。
「手を……離していただけませんか?」
引き止めるために腕を掴んだままだった事に気付き、少し恥ずかしくなった。けど……。
「放しません。シュウ殿がきちんと俺と話をしてくれるまで絶対放しません」
シュウ殿は困った顔をする。
「なぜ、また俺を避けるのですか?理由を教えてください。それがわからないと俺は……。辛いんです。シュウ殿に避けられて辛くて、悲しくて……どうしていいかわからない」
「あなたには、他にも大切にしてくれる方がいらっしゃるでしょう?」
「他に?」
「例えば、先ほどの……」
「レフ?いや、たしかに大切にしてもらっているとは思いますが……シュウ殿とは違います」
「………」
シュウ殿が痛みに耐えるような顔をする。
なぜそんな顔をするのか。
「どうしてそんな…レフがいたからといってなぜ……だいたいシュウ殿は先ほどまで彼のことを知らなかったはずだ。理由はそんな事じゃない。そうでしょう?」
「確かに彼に会ったのは初めてですが……イチハ殿と非常に親密で、彼が貴方を特に大切に想っているということは充分伝わりました」
そんなの仕事仲間なのだから当たり前。レフが居なきゃチハ商会はまわらないし、レフにとって俺は商会の看板であり仕事の行き先を決める方位磁針なんだ。
俺はビジネスパートナーのように必要な時に頼れる相手としてシュウ殿に選ばれたいわけじゃない。
「やっぱり俺じゃ……ダメですか?俺じゃ貴族のシュウ殿に釣り合わないから?」
「違います。……そうじゃない」
シュウ殿がちらりとドアに視線を送る。
先ほどから隣の会長室から呼び出しの音が微かに聞こえてきていた。
無視を決め込むつもりだったが、とうとう滅多に鳴らされることの無い自宅の呼び出しまで鳴りだしてしまった。
「行った方が良いのではないですか?」
シュウ殿にそう言われても、こんな状態じゃなかなか踏ん切りがつかない。
けど、この呼び出し音は重要度の高い来客に間違いない。
「少し、外します。すぐに戻りますので、必ず……必ず待っていてください」
俺は不意打ちのようにシュウ殿に強引なキスをして、心をここに残したまま事務所へと降りて行った。
来客はコウガラン少将の補佐官のキリク殿だった。
確かに来客の重要度としてはトップクラスだ。
情報の扱いに関する話で、内容の重要度もトップクラス。
でも、今の俺はそれどころじゃなかった。
やや強引に話をまとめる。
「コウガラン少将から言伝を預かっております」
カードが入っていると思われる封筒を手渡される。
それを受け取ると、礼を失しない範囲でとにかく早くキリク補佐官に帰ってもらった。
そして急いで自室へ戻る。
しかしシュウ殿はもう部屋から去ってしまっていた。
◇
その晩また、コウガラン少将と食事を共にした。
もらったカードはその知らせだった。
いくら頻繁とはいえ、今までは連続で呼び出されるようなことはなかった。
場所は劇場などがあり、高級な店の建ち並ぶ賑やかな街の一角で、あまり庶民が足を踏み入れるようなところではない。
さらに言えばこれまで二人で食事をした店の中ではハイグレードな店だった。
とはいえ個室のテーブルなのでそこまで肩肘張る必要もない。
そして料理も酒も文句のつけようがない。
しかし……。
「今日、シュウ殿が事務所へ来てくださいました」
来てくれたはいいが、コウガラン少将の補佐官のせいでろくに話もしないまま帰られてしまった。
どうしても沈んだ口調になる。
「シュウランが自らイチハを訪ねたのか!?」
少将がひどく驚いている。
「訪ねるよう、勧めてくださったのではないのですか?」
「いや、私はまだイチハの事をシュウランに話していない。そうか…シュウランが自ら……」
「とはいえ、俺が贈りもののつもりで持って行き、きちんと渡せず置き去りになっていた手綱を返しに来てくださっただけ。俺に会うこと無く帰るつもりのようでした」
「そんなもの…本当にただ返すだけなら人に頼んで届けさせればいい。イチハとの間に縁があれば顔をあわせることがあるかもしれない、そう願う気持ちがあったに違いない」
「そう……でしょうか?」
コウガラン少将の言葉に、少し希望を見いだす。
「では、シュウランとは話が出来たのか?」
「……いえ。ちょうど補佐官殿がいらして、その間にシュウ殿は帰ってしまわれました……」
どうしても声に恨みがましい音がこもってしまう。
「それは……何とも間の悪い。キリク補佐官が申し訳ないことをした。しかし全く話さなかったわけではないだろう?シュウランは何と?」
「俺には他にも大切にしてくれる方がいるだろうと言われました。例えばレフとか……。でも、なぜそんな事を言うのかがわかりません。たしかにみんな俺のことを大切にしてくれます。けど、それとシュウ殿は違う。そういってもあまり通じてないみたいで……。俺とシュウ殿の身分差のせいかとも思いましたが、それは違うと言ってくださいました」
「レフ……クノースレフか。たしかにシュウランは気にするだろうな」
「なぜです?レフは優秀で仕事仲間としてはなくてはならない存在ですが、シュウ殿とは比べようも無い。今日初めて会ったはずだし、彼が原因で俺が避けられるなんてありえない」
「本当にそれだけ?二人の間には何も?」
「あるわけないじゃないですか。少将はレフと何度かお会いになったでしょう?俺たちは仕事仲間です」
俺がそう断言すると、少将は困ったように苦く笑った。
「……まあ、そうは見えなかったんだろう。イチハは自分が周囲ににどうみられているか、あまりわかっていないね?」
そう言われて困惑する。
シュウ殿には少し変な奴と思われているかもしれないが、それ以外となるとよくわからない。
「気さくで話しやすく、こういう仕事をしている割に素朴だとは言われます」
「それも、たしかにそうだね。イチハは多くの人の協力を得てここまで来た。その中には普通ならなかなか協力を得難い人もいただろう?」
「はい、たしかに。縁あって多くの方に助けていただきました」
「イチハは自分が『思わせぶりな人垂らし』と呼ばれているのを知っているかい?」
「お…思わせぶり??人垂らし…と言われることはたしかにありますが、自分ではそうは思いません。縁と互いの利益が重なって得られた協力だと思っています」
「なるほどそうかもしれない。でも、イチハは間違いなく人垂らしだ。それも一種の才能だが、成功を妬む人たちは、イチハが身体を使って様々な人を籠絡していると噂するものも居る。皆そんな話は信じていない。それでも、もしかすると自分には……と期待させるようなところがあるんだよ」
話を聞いている最中、驚きすぎて口をあんぐり開けてしまっていた。
「あ…あ…ありえません!!そんな…誰がそんな!そもそも俺なんかとそんな……身体…からだ?そんな事で協力してくれる人が居るとも思えません」
「そうか?私は誰もがイチハを欲しがると思うよ」
「そんな…からかわないでください。でも…ということは、シュウ殿はその噂を信じて?」
「シュウランは噂を鵜呑みにするような人間じゃない。イチハが潔白ならそんな噂は一蹴するだろう。けど、何か思い違いをしているというのなら、イチハが誤解させるような態度を取ったんだろうね」
「そんな……」
「レフとの事は…誤解させるような態度を取ったのはきっとレフのほうだろう。そこは私が誤解を解くために口添えをしよう。他に誤解されてるような相手は?たとえば昔の恋人との繋がりを感じさせるようなことを言ったりだとか、複数の人間との関係を想像させるような発言をしただとか」
「……ないです。あるわけない」
「うっかりということもある。良く思い出して」
その時、ふと頭をよぎった。
「あ…………『いつもは』と…。見栄をはってしまいました」
「見栄?どんな?」
つい口をついてしまったが、こんなこと少将に言えるわけがない。
言いよどんでいると、少将が酒を勧めてきた。
言いにくいという気持ちをくんでくれたのだろう。
「少し……強いですね」
香りが良く飲みやすいが、度数はかなり高そうだ。
「チェイサーも一緒に取るといい」
勧められたグラスの水に口をつける。
「で、『いつもは』なんて見栄をはって、イチハはシュウランにどう思われたかったんだ?」
俺が言いよどんだだけで、もうすべてわかっているというようにコウガラン少将が聞いてきた。
「あ…それは…。恥ずかしくて」
「恥ずかしいかもしれないが、それは嘘だったんだろう?」
「はい…。『いつも』なんてそんな…俺、初めてなのに…。でも、初めてなんて知られたら、引かれちゃうんじゃないかって思って……」
「……………。初めて?それも嘘か?」
「え?そんな……今さら嘘なんかつくわけないじゃないですか」
「いや、嘘だろう?」
「嘘じゃないです!俺、シュウ殿がはじめてで…でもそれがバレるのが嫌で『いつもは』こんなじゃないです…なんて見栄をはって……」
少尉が驚いた顔をしている。
どうしてだ?
「…いや……まさかそんな事だとは」
事情をわかった風に話してたのに……。
……これは…噂に聞く誘導尋問とか言うやつか!
かっと顔が赤くなる。
「騙しましたね!」
「騙してなどいない。イチハが話しやすいように会話をリードしただけだ」
詰め寄る俺に、当然の事のように言う。だからエリートというのはタチが悪い。
「しかし本当か?シュウランが初めてというのは」
「もう……そこはどうでもいいじゃないですか!」
さらに聞かれて、むくれてしまう。
「男は初めてという意味か?」
「………どうでもいいでしょ」
「童貞か」
「もう!ほんとにどうでもいいじゃないですか!ほっといてください!」
ややキレぎみの俺に、少将は冷静に言葉を続ける。
「良くない。むしろそこが一番重要だ。シュウランはイチハには他にも恋人がいると誤解してる可能性が高い。イチハの『いつも』の相手だ。けど、イチハは全く初めてだったんだろう?つまり『いつも』の相手など居ない。そのことをシュウランに証明すればいい。そうすれば誤解もとけて問題解決だ」
「そんなこと……出来るわけないじゃないですか。俺は女じゃない。初めての証なんてない」
「初めての証は無理かもしれないが、不特定多数と関係を持っていないことは調査で証明できるだろう。そこは任せてくれていい」
「本当ですか!?」
「ああ。しかしイチハ、本当に調べても大丈夫か?」
少将が強い調子で確認する。
「もちろんです!是非お願いします」
俺は一も二もなくその言葉にすがった。
「私が調査することをシュウランに話すといい。王都を離れるまでに結果をシュウランに直接渡す。そうすれば必ず疑いは晴れる。それでいいね?」
心強い言葉に俺は大きく頷いた。
「では、行こう。今日呼んだのは、この近くで母とシュウランが観劇の後に食事に行くことになっていたからだ。そろそろ店から出てくる頃だろう」
そう言って少将は俺を店から連れ出した。
まだ疑いは晴れていないのに、今シュウ殿に会っても大丈夫だろうか?
シュウ殿が避ける理由に目星がついたせいで、逆に俺は気弱になっていた。
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