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予定にはなかったが、また館に一泊することになった。 いまだに慣れない行為のせいで、やっぱりわけの分からないところがこわばって、体中がうっすら筋肉痛みたいになっている。 ジントウイ殿はシュウ殿の部屋に宿泊の用意をしてくれたが、それは断って客室に泊めてもらった。 そのせいで、また何事か問題が発生したのではないかと心配されたが、そういうことじゃない。 ヤることヤっておいてこんな事を言うのもなんだが、好きな人の部屋に泊るというのは俺にはまだちょっと無理だ。 ドキドキして寝られる気がしない。 それはもうちょっとだけ慣れてから。 経験値の低い俺は、一緒のベッドでイチャイチャからの朝ちゅん…なんてものにかなり憧れてたりする。 『シュウ殿、おはよう…』とか言って、ほっぺにチュってして起こすのだ……。 うひゃー!やってみたい! それで『私のかわいい小鳥さんは早起きだね』とか言われて、ほっぺにチュチュっって! ああ…高ぶるー! ……まあ、それはいいとして、シュウ殿の部屋に通してもらって、気付いたことがある。 館の部屋の配置を考えると、どう考えてもシュウ殿の部屋が主寝室だった。 きっと、シュウ殿はこの屋敷を管理するチーバイ家に連なる人物で、俺が探していた『姫』の母とされるユイファ様の縁者だ。 そして、そのシュウ殿が主寝室を使っているという事は…つまり『隠された姫』などここにはいないということになる。 まあ、これだけ見かけないんだから、居ないだろうとは思っていたけど、これで決定的になった。 今となっては『姫』にこだわりは無かったけど、はっきりとしたことで、胸のつかえがとれた気分だった。 それで、何の気なしにシュウ殿に、隠された姫の噂を知っているかと聞いてみた。 すると優しく微笑むシュウ殿に 「イチハ殿もその噂をご存知でしたか」 と、何でもない事のように言われてしまった。 こんなに簡単に話してもらえるなら、もっと早く看病してもらっている時にでも聞いてみれば良かったのだ。 翌日、シュウ殿に森へと連れ出された。 川沿いに細い道があって、そこを十五分ほど辿ると、木々の隙間からの光にきらめく泉があった。そしてその奥の岩壁は浅く洞窟状になっている。 山から屋敷を探した時には、川のそばにこんな泉がある事はわからなかった。 清浄な空気に満たされて、とても穏やかな気持ちになる場所だ。 ミネラル分が多いのか、部分的に青く、深いところは美しいみどりに見える。 シュウ殿が俺の手を引いて洞窟の入口へ連れて行ってくれる。 「中は決められたものしか入る事が許されていません。ですから、近づけるのはここまでです」 中に誰かが居るように見えた。 洞窟内の岩は光を反射しやすいらしく、木々の間から漏れる明かりを充分に受けて、神秘的な淡い明るさを保っていた。 人に見えたのは乳白色の鍾乳石だった。 自然に出来たもののようだが、まるで少女がしゃがみ手を合わせて祈るような姿が美しい。 その自然美に見惚れる俺の肩を抱いてシュウ殿が言った。 「深淵の森の姫です」 「えっ……」 シュウ殿の言葉に驚いて振り返る。 「私の住む屋敷を管理するチーバイ家は古くより神職の家系。  今の王家よりもさらに古くからこの深淵の森の姫を守り、祈りを捧げています。  この国をいくつかの王家が治めてきた。その全てはこの深淵の森の姫に認められ、初めて王家として建つ事が出来るのです。  この地を治めようとして成せなかった者たちが、ことごとく水によって害されたのはイチハ殿もご存知ですね?  その者たちが滅んだのはこの姫に認められなかったためだと伝えられています」 建国神話だ。 いくつもの国が建ち、滅ぶ。そこには神の意思と神に遣わされた精霊の許しが必要だという。 その精霊がこの姫なのか……。 という事は、ここは代々の王家とチーバイ家によって守られてきた聖地……。 「なぜ、この場所に俺を?」 洞窟内部どころか、泉のまわり全てが禁足地だろう。俺なんかが近づいていい場所ではない。 「そもそも、この場所は姫に許された者しかたどり着けない。つまりイチハ殿は姫に認められ今ここに居るのです」 「いや……姫に認められたなんて。シュウ殿に案内していただいたから来れたのであって、一人ではたどり着けなかった」 シュウ殿が少し気まずそうにフッと笑った。 「イチハ殿は川に流されかけたでしょう?」 「え?はい」 急に話を変えられて戸惑う。 「あのとき私が川から引き上げることが出来たということ自体、姫に認められた証のようなものだ。あの川は精霊の影響が非常に強い。普通の人ならあのような場所で川に落ちれば、この泉から遠ざけるように下流に流されるか、下手をすれば死んでいた」 「ええ!?」 なんだかとんでもない事を言われた。 確かにちょっと命の危機は感じたけど……。 「イチハ殿には災難でしたが、きっと水が…いや、姫が私の縁を繋げてくれたに違いない」 ちょっと申し訳なさそうな顔をする。 「もっと早くに私がその事に気付くべきだったのです」 シュウ殿が洞窟の左側の岩を指し示す。 目線の高さくらいに、自然にできた祭壇のような穴が開いていた。そこには錆びる事の無い金属で作られたリングがいくつも収められていた。 「私の一族の長と定められた者が婚姻をする際に儀式を行い、精霊の誓いを交わす場所です。  ここにリングを納めるのは長となる者のみですが、一族のものは皆、縁を結ぼうとする者をここへ連れてくるのが決まりです。  そしてさっき言った通り、姫に認められた者しかここにはたどり着けない」 俺の肩を抱く手に少し力が入る。 「たどり着けないというのはどういう風に?」 「その時々ですが、来る途中で水の事故や災害にあったり、急に別れが訪れたり。無理に連れて来ようとすれば最悪亡くなる事すらあるらしい。どうしてもその相手と共にいたいと一族と縁を切っても、その後幸せな関係を結べる事は無いようです」 ……急な別れ…シュウ殿も以前の恋人をここへ連れて来ようとしたんだろうか? ………。 「一度王都へ戻ったイチハ殿がまた私を訪ねて来てくれた。その時私たちは結ばれた。そのきっかけは……」 「あ…急な豪雨で道が…水で……」 「そうです。またしても、イチハ殿には災難で申し訳ないのですが……。精霊が私のためにあなたを館に留めてくれた」 「災難だなんて……」 さすがに、願ったりかなったりで内心大喜びでした…とは言い出しにくい。 俺からしてみれば、これらは単なる偶然にしか思えないけれど、これだけ確信を持って言うのだからシュウ殿の一族には同じような逸話がいくつも残されているのかもしれない。 「そうやって精霊にあなたと私の縁を繋げる手助けまでして頂いた。なのにそれにも気付かず私は……」 自分を責めるような様子のシュウ殿に向き合うと、その顔を両手で挟んだ。 「そうです。シュウ殿は本当に非道い。だから、もう離れないと約束してくださいね?」 ちょっとむくれた風を装った。 すぐに『すみませんでした』と苦く笑ってくれると思ったのに、シュウ殿はちょっと驚いたような顔をしている。 「…それは……。精霊の誓いになってしまいますが…………よろしいのですか?一般的な誓いとは違い、本当の精霊の御前での…えーっと、ですから……」 なんだか歯切れが悪い。 「シュウ殿は俺に飽きたら捨てるおつもりですか?」 「いえ、まさか!」 「でしたら、もう勝手に離れていかないとお約束を」 微笑んで首をかしげ、お願いをしてみた。 シュウ殿の頬が少しだけ赤く染まって見える。 俺の両手をシュウ殿が握りゆっくりと目前に掲げた。 「イチハ殿を…かけがえのないものとして…慈しみ…想い…共に生きると……誓います」 じっと俺の目を見つめて、誠実に、しっかりと告げたシュウ殿の誓いが、俺の胸の深いところにグッと入ってくる。 そして、強く抱きしめられた。 泉がひと際強く輝いたように見えた。俺たちを祝福してくれたんだろうか。 風が木々を揺する音がさやさやと耳を通り抜ける。 シュウ殿がその音を辿るように視線を巡らせた。 そして洞窟入口そばの水際をじっと見つめている。 ……どうかしたんだろうか? シュウ殿はひとつ頷いたあと、不思議そうに見つめる俺に向き直ると、そっと頬に手を添えゆっくりと顔を寄せた。 そして、やさしいキス。 なんだか……誓いのキスみたいだ。 いや、実際そうなのかもしれない。 だからこんなにも心が震える。 ぐっとこらえないと泣いてしまいそうだ。 その後も俺たちは、泉のきらめきに照らされながら、互いの気持ちを確かめあうように何度も優しいキスを交わした。

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