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番外:夕闇の路地にて・前編
「気をつけた方がいい。しばらく出歩くな。もし出歩く場合は俺がついていく」
レフにそう注意された。
けど、そんなことをいちいち聞いていられない。
レフが仕入れてきた不穏な噂。
最近夕方になると、若く軟弱な男ばかりをつけねらう不審者が出没するそうだ。
噂には売られただの殺されただの、とにかく不穏な結末がついてくる。
狙われた男がどうなったのか、その点がはっきりしないのは、被害が警備隊に届けられていないためだ。
つまり、被害者は被害を訴えでることが叶わない状態である……と推察されているらしい。
しかしそんなことより『若く軟弱な男』の括りに俺を当てはめようとするレフに苛立っていた。
三十路で登山だってこなす俺を若く軟弱な男と言い放つのは、コイツくらいじゃないかと思う。
それに夕方に街を歩くとなると、シュウ殿の庶民街の家へ向かう場合がほとんどだ。
レフを連れてなんて行けるわけがない。
コイツはいまだにシュウ殿への態度が悪い。
そうじゃなくても連れていきたくなどない。
だってあそこは……シュウ殿と俺の『愛の巣』……みたいな?
男二人で過ごすシンプルにまとめられた家だ。
若い新婚カップルみたいに内装にまで甘い雰囲気が溢れているわけではないけれど、それでも二人で選んだカーテンとか、そんなものにすら思い入れがあったりする。
以前のように、あの家に伝言を持ってきたジントウイ殿がシュウ殿の飲んだカップを片付けただけで悶々としたものを胸に貯めてしまうようなことはなくなったけど、レフには家を見られるのすら、なんだかイヤだ。
レフには『忠告感謝する』と伝え、自分の仕事に戻らせた。
その日の夕方、仕事を終え事務所を出ると、シュウ殿が事務所のそばで俺を待っていた。
めずらしい。
いつもは街の広場で待ち合わせ、二人で歩いて家へと帰るのに。
シュウ殿がキツい目を細め、優しく微笑んで手をあげる。
仕事終わりで、警備局の制服から私服に着替えていた。
警備局の高官だと一目で分かる格好では周囲の人を威圧しかねしない。シュウ殿なりの配慮だ。
「こんなとこで待ってるなんて珍しい。どうしたの?」
「いや……この近くにちょっとついでがあってな」
俺がシュウ殿にこんな風にくだけた口調で話しかけられるようになるまで、けっこうかかった。
本当は名前も『シュウ』と呼び捨てでいいと言われている。
シュウ殿は俺のことを『イチハ』と呼んでくれている。
しかし、俺はまだ名前呼びなんてできない。
本当は『シュウ殿』ではなく『シュウさま』と呼びたいくらいだ。
けれどシュウ殿は『様』という敬称に慣れている。そんな呼び方をしたら、距離があるように感じてしまうだろうから我慢している。
でも俺の中の『さま』付けは上下関係による敬称ではなく、女学生が憧れの殿方を『○○さまぁ〜♡』と呼ぶような、そんな浮かれたもので、『シュウさまぁ♡』などと言いながら、あの厚い胸に顔をスリスリしてみたい……なんて。
……いや、なんだか想像だけで少し恥ずかしくなってきた。
こうやって街を一緒に歩くとき、シュウ殿は俺を守るように半歩後ろを歩く。
そんなところにシュウ殿の優しさを感じる。
今日だっていつもの待ち合わせの場所ではなく、わざわざ事務所前まで迎えにきたのは、きっとあの不審者によるかどわかしの噂を耳にしたからだろう。
けれど俺を不安にさせまいと、不審者の話などせず守ってくれる。
そして守られるべきひ弱な存在だと思われている…と、俺が気を悪くしないよう余計なことは言わない。
やっぱりシュウ殿はレフとは大違いだ。
夕陽はすでに落ち、街は影が濃くなっている。
住宅に挟まれた細い石畳の道に人はまばらだ。
こういう昼と夜の間には何ともいえない心地よさがある。
特にこんなふうに大好きな人と一緒にのんびり歩いていると、心が温かくなり『なんでもない幸せ』というのを実感する。
……本当は、手をつないで歩きたい。
遠くに出かけた時に、美しい風景の中で手をつないで歩いたことは何度かある。
でも、こんな日常の幸せの中で手をつないでなんて……憧れる。
きっと俺がつなぎたいと言えば、ちょっと照れながらもつないでくれそうな気がする。
けど言えない。
だから後ろからサッと俺の手を取ってくれないか……なんて。
そしてそのまま腕を引いて抱きしめて……誰も見ていない建物の影で口づけを……とかなっっ!!!
「イチハ?どうした?」
「はっ!? いや、なにも?」
妄想が過ぎて、一人でふらふらと家の壁によりかかってしまっていた。
シュウ殿がふっと微笑んで俺の肩に手をかけ、道へと誘導する。
このまま肩を抱いていてくれたらいいのに。
公衆の面前でイチャイチャする勇気はないが、この素敵な人が俺のものだとみんなに見せびらかしたい。
いや、見せびらかす勇気もないけど。
誰もいない街中で仲良く手をつないで歩いて、見られているとも気付かず知らない誰かに『おう、お似合いだなぁ!』くらいは思われてみたい。
………。
うん。まあ、この程度ならそのうち実現可能かもしれない。
凝りもせずにそんな妄想をしていると、前方からカッカ!と音を立て、複数の男たちが走ってきた。
「貴様かっ……!」
シュウ殿に言いかけてハタと止まる。
警備隊だった。
「失礼致しました!」
「何があった?」
男たちの敬礼を受け、シュウ殿が問う。
シュウ殿は警備局に所属し警備隊などを指揮監督する立場にある。
現場にもしょっちゅう出るバリバリの武闘派だ。文官なのに。
このあたりの警備隊員でシュウ殿の顔を知らないものはいない。
「例の不審者が現れたと知らせが」
「それで?」
「若い男をつけまわし、物陰に押し込んでさらったとのことで」
「それが……こちらの方だと?」
「はい。ですが発見できず。それにこの辺は連れ込めるような細い横道などもあまりなく……」
シュウ殿は来た道を振り返り通りの様子を見渡す。
「私が通ってきた範囲ではそういった様子は見受けられなかった」
「ならば、この近辺の家に連れ込んだ……ということでしょうか」
隊員が、周囲の家をざっと睨みつける。
「可能性は否定できないが……」
「なにか…心当たりでも?」
「通報してきた者がいるのだろう。まずはその者に、不審者の身体特徴を詳しく聞け。その後私が直接話を聞く」
「そんな、わざわざ煩わせるなど!」
「私は一度帰り、すぐに街の警備隊舎へと行く。その間に通報者を呼び出せ。他のものは不審者が隠れていないか近辺をくまなく探せ」
「はっ!」
俺がシュウ殿の仕事の顔を見たのはこれが初めてだった。
緊迫感のあるやり取り。
そして、それに素早く対応する隊員達。
けれど、俺の頭の中は……。
『はぁ……シュウ殿かっこいいいいいいいいいいいいい……』
その一言だった。
いつまでもうっとりとしている俺を家まで送り届けると、シュウ殿はそのまま扉に向かった。
「遅くなる?」
「いや、すぐに帰る。夕食は予定通り二人で牛の煮込みを食べよう」
ニコリと微笑むと、俺の頬にキスを一つ残して出て行った。
きっと牛が煮込まれる頃には帰って来れるという意味だろう。
すでに下準備はしてあって、仕上げに味を整えて煮込むだけになっている。
ならきっと、本当にただ通報者に話を聴くだけだ。
けど、わざわざシュウ殿が行くなんて……。
危険な目にあわなければいいけど。
……。
もしかして俺が危険な目にあわないよう、早く解決しようとしてくれているのか?
自分に都合のいい妄想で、胸が高鳴る。
でもわざわざ事務所前まで迎えにきてくれて、家まで送り届けてくれた後にわざわざまた出ていって…。
大切にしてもらっているのは確かだ。
シュウ殿も警備隊も不審者の対応で大変なのに、ついついウキウキしてしまう。
クツクツと小さな音を立てる鍋の前でお玉を振って鼻歌まじりに踊る。
正直、歌も踊りもへたくそだ。
けどせめて美味しい料理でシュウ殿をねぎらいたい。
火を止め余熱でさらに煮込む。
料理もシュウ殿より下手だったけど、かなり上達した。
好きな人に食べてもらうんだと思って作るとそれなりに上手くなっていくもんだ。
歌も踊りも、料理だって全部シュウ殿の方が上手い。
けどそんな完璧な人に大切にされて、頭の中は鍋で煮込まれた牛よりトロトロだ。
「ご機嫌だな」
ゆらゆらとただ揺れながら踊っていると、急に後ろから抱き込まれた。
「あ…シュウ殿…。おかえり…なさい」
恥ずかしくて顔が真っ赤になってしまう。
早く帰ってくるとは言っていたけど、本当に随分早かった。
「あの、大丈夫だった?」
「ああ解決した」
「えっっっ??話を聞きにいったんじゃ……」
「そうだ、そして解決した。もう不審者が現れることはないよ」
「あ…青年が誘拐されたとか言ってたけど……」
「もちろんその青年も無事だ。何も心配ない。さあ、夕食にしよう」
急な展開に驚いたが、シュウ殿が無事ならそれでいい。
食卓には美味しく出来上がった牛の煮込みと美味しい酒。
事件のことなどなかったように穏やかな時間が過ぎていった。
シュウ殿にとってはきっとよくある事件のひとつ。
そして、当たり前の日常。
だけど仕事の顔をして隊員に指示を出すシュウ殿を初めて見たことに俺は少し興奮していた。
結果、酒が進む。
酒のペースが早いことに気付いたシュウ殿に止められ、泥酔は避けられたが、俺はすっかりいい気分になってしまっていた。
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