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番外:精霊の夜と王の願い・1

冬の寒さも厳しさを増し、新しい年を迎えようというこの時期はどこもかしこも慌ただしく、浮ついた空気が世に満ちる。 多くの者が長期の休暇を取り里帰りをしたり、家族や恋人同士で出かけ、新しい年を迎えるための準備や、一年に感謝して食事をしたり、互いに贈り物を交換したりしている。 年またぎというのは、家族や恋人達が愛を深める時期でもあるのだ。 俺も今、休暇の真っ最中だ。 俺が愛を深めたいのはもちろんシュウ殿。 定番なのはオシャレなレストランでロマンティックな食事を楽しんで、美しく飾り付けられた夜の町を手をつないで歩いたりすることだろうか。 王宮前の見晴らしのいい公園で年またぎのパーティもあるし、川に灯籠を流す幻想的な祭もある。 年またぎの祭で有名な地方へ旅に出る者も多い。 そしてシュウ殿はと言えば……。 この時期街に必ず現れる、浮かれすぎ、酔って暴れる者たちを取り締まるためにずっと仕事だ。 酔って暴れる者が出ないように、軍も兵を出し町を警邏している。 けれどそれは派手な軍の制服を見せ、人々の気を引き締めさせることが主な目的で、年末の街を華やかに彩る意味合いも強い。 酔っぱらいや増加するスリや泥棒などを制圧するのは主に警備隊だ。 そしてシュウ殿は、警備隊を監督指揮する警備局にいる。 年またぎで忙しいとはいえ、警備局員は上級職の文官なのだから連絡係とその補佐官が局に詰めて、他の者は休暇を取っているはずなのだ。 なのに、なぜ次官に昇格したシュウ殿が現場に出ているのか……。 そもそも、この時期に限らず局の次官が現場に出るなど常識では考えられないことだ。 どういう事情でこうなったのかよくわからない。 とにかく俺はシュウ殿と新年を迎える準備を兼ねた買物デートなど出来そうにない。 普通なら平気でも、皆が幸せそうにしている年またぎとなると、俺は一人が寂しくて、寂しくて。 その日のうちに帰ってくるのかすらわからないシュウ殿を一人の家で待つのも辛く……。 俺は深淵の森の館に遊びに来てしまっていた。 年またぎを王家ゆかりの深淵の森の別荘で過ごす……。 まるで上流階級の休暇のようだ。 深淵の森の館にはジントウイ殿とミンさんも来ている。 そもそもジントウイ殿がこちらに来る用向きがあるというので、俺も便乗をさせてもらったのだ。 ミンさんと一緒に館の掃除をして、燃料の薪を割って、馬の世話をして、頼まれるままに装飾品のような物を出して並べる。 やっていることは上流階級とはほど遠く使用人のようだけど、自ら進んでやらせてもらっている。 ボーッとすごすにも限度があるし、多少働いたってミンさんのいれてくれる美味しいお茶を楽しんで、ゆっくり本を読む時間は充分にある。 いや、むしろ働いているからこそ、それらの時間が充実したものになるんだろう。 昼寝だって出来る。 宛てがわれた客室で休むことがほとんどだけど、うっかり居間でウトウトしても、咎められること無く誰かが肩にハーフケットをかけてくれる。 それに立場でいえば俺はもう客人ではなく、シュウ殿の縁者としてこの館を使う権利があるのだ。 そう、俺は深淵の森の姫の前でシュウ殿と誓いを立てた。 つまり正式に王家にシュウ殿の伴侶として認められているのだ。 男なので公式な婚姻関係では無く、事実婚のようなものだが、立場を明確にする為に貴族として一代限りで爵位も与えられた。 ただ、それを活用したことはない。 貴族としての手当ても庶民のお父さんの平均的なおこずかい程度だ。 普通ならば地位を仕事に活かしたりするんだろうが……どうして爵位を得たのか説明するのが面倒な上に、ちょっと照れもある。 シュウ殿が好きかと聞かれれば、俺は胸を張って好きだと答えられる。 そしてシュウ殿に伴侶として人に紹介されれば嬉しくてフワフワと浮かれてしまう。 でも、自分からシュウ殿を伴侶だと人に紹介するのはどうにも恥ずかしい。 それにやはり自分には勿体ない相手だと思ってしまっているのだ……。 館で一週間ほど過ごし、今日はもう年またぎの日だ。 シュウ殿が忙しくなり、まともに会えなくなってからとなるともう二週間になる。 そろそろ寂しさも煮詰まって、ふとした瞬間に寂しさを感じる事が少なくなった代わりに、感じてしまえばそれはドロリと重い。 ジントウイ殿は何かの準備をしているらしい。 今日は特に忙しいらしく、ほとんど姿を見かけなかった。 俺も今日はよく働いた。 だからだろう。ミンさんと二人でお茶をした後、居間でくつろいでいたら、少し眠くなってしまった。 ……少しだけなら……。 ジントウイ殿も忙しそうだし、大丈夫だよな。 俺はまとわりつく寂しさを紛らすため、お気に入りの大きなクッションにもたれて、わずかばかりの昼寝をとることにした。 ◇ 眠りが浅いからだろう。 夢を見た。 シュウ殿と夜の王宮前公園で腕を組んで歩いている。 公園もそして公園から見渡せる街も、灯りで彩られ幻想的な美しさを見せていた。 人が多い公園で腕を組んで歩くなんて初めてじゃないだろうか。 しかも誰もが憧れる、ロマンティックな夜の王宮前公園。 シュウ殿の温もりに幸せを感じる。 見つめ合い人目も気にせずキスをした……。 しっかりと唇が合わさりだんだん深くなる。そしていつしかベッドの中での混じり合うようなキスに変わった。 「ん…はぁ…シュウ殿……」 「イチハ…寂しい思いをさせて悪かった」 「ふぁ…さびしかった…すごく、すごく寂しかった」 「すまない」 「……そうじゃなくて…『もう寂しい思いをさせない』と約束して」 シュウ殿の手が俺の髪を撫でる。 「子供みたいだ」 「……だって……。ずっと我慢してたから…」 目の前のシュウ殿の顔は、どこかいつもより重厚に見えて……。 いや、ずいぶん歳が上に見える。 五十歳前後か。 キツい目元はいつもより柔らかく感じられ威厳がある。 「いつもと違う……?」 シュウ殿の首に腕をまわす。 「……どう違うというのだ?」 「……違うけど…カッコいい」 「ふっ……そうか。それはありがとう」 ……なんだか、声も少しだけ違う。 いや、声というより、話し方が。 「シュウ殿……なんで老けたんです?」 「人間、生きていれば自然と老けていくものさ」 「……ほくろが……ない」 俺の大好きなセクシーな目元のほくろが無い。 代わりにしっかりとしたシワが。 「私にはほら、ここにほくろが」 あごの端に、たしかにセクシーと言えるほくろがある。 けど………。 「えっ、誰!?」 俺は慌てて首にまわした腕を解いた。 そしてハッと気付く。 ここは夜の公園ではない。 うたた寝をしてしまった居間だ。 「私の顔に見覚えはないか?」 「………あり……ます」 確かに見たことがあった。 けど、こんなに間近で見たことはなかったし、直接会話をしたこともない。 間近で見れば、シュウ殿にそっくりな顔。 だけど離れて見れば印象は大きく違う、シュウ殿の兄上。 「誰かわかるかい?」 「はい……陛下」 シュウ殿の長兄である現国王のアジュラン陛下だった。 ◇ 「毎年、年またぎに王家と神官一族であるチーバイ家が深淵の森の泉で神事を執り行っております」 これ以上、礼を失しないよう国王陛下の前からそそくさと逃げ出した後、ティールームでジントウイ殿と話す事ができた。 ジントウイ殿の説明によると、年と年をつなぐために、また災厄などを持ち越すことが無いようにと、王と神官が泉で感謝と祈りを捧げているらしい。 一般にはあまり知られていない、いにしえから続く国家安寧のための神事だ。 そして、ジントウイ殿はその準備のために動き回っていたようだった。 儀式に参加する王族は年またぎの夜に深淵の森の泉に向かうのだけれど、国王陛下と王妃殿下は少し早めに、この館で準備をするのが常らしかった。 「てっきりイチハ様はご存知の上でお手伝いくださっているものだと……」 「……いえ、何も聞いてなかったので、あんな失態を……」 国王陛下の前で居眠りをしていたばかりか、首に腕をまわして、カッコいいとか、老けただとか……。 「あああ…消えたい」 「アジュラン陛下はイチハ様の様子を楽しくご覧になっていらしたようですし、気に病むようなことではないと思いますよ」 「そんな…気に病みますよ……」 軽い調子のジントウイ殿に余計に不安になる。 「あの方はご兄弟の中でもとりわけシュウ様に甘うございます。その伴侶であるイチハ様に酷く当るはずはございません」 「そうでしょうか…シュウ殿を大切に思っていらっしゃるなら、その伴侶を見る目が厳しくなるということも考えられます」 「……ああ、なるほど、確かに。ですがアジュラン陛下自らイチハ様の側へと参られたのですから、やはりそのような心配は無用だと思いますよ。国王というお立場上、トラブルの芽を育てるような愚を犯すわけにはまいりません。ですから利益もなく気に喰わぬ者に近づくはずがないのです」 「そういう…ものなのですか?」 「はい」 「本当に大丈夫でしょうか……」 「陛下はイチハ様が腕をかけるに任せていらしたのでしょう?国王の首に手をかけるなど、王族であってもそうそうないことです。イチハ様が無傷でいらっしゃるのですから大丈夫だったということです」 「っっっ!!俺…へ、陛下の首に……首に……」 「ですから大丈夫です。どちらかと言えば、イチハ様がからかわれたのですから、気になさることはありません。私がアジュラン陛下を諫めておきますのでご安心ください」 言葉の端々から察するに、アジュラン陛下とジントウイ殿はかなり親しい仲のようだ。 シュウ殿はアジュラン陛下からするとかなり歳の離れた兄弟で、陛下の王子達とも歳が近い。 幼い頃はシュウ殿が王子達を兄のよう守っていたそうだ。 周囲の者は王子達を厳格に育てようとするのだが、何かあると不器用なほどに真っすぐなシュウ殿が彼らを庇い助け、その結果貧乏くじを引いてしまっていたらしい。 そして、アジュラン陛下はそんな甘え下手な弟が可愛くて仕方がなかったようだ。 「陛下がシュウ殿に甘いというのは、実際どのような様子だったのですか?」 甘いと聞くとどうにも自分基準で考えてしまって、甘やかす陛下も甘えるシュウ殿もどちらも想像できなかった。 「それはもう、猫っ可愛がりだよ」 厚く通りのいい声が背後から響く。 バッと振り返るとそこにアジュラン陛下がニコニコと微笑んで立っていた。 「ふわっっ!?」 驚いて椅子から立ち上がろうとする俺の肩を両手で押さえ、再び椅子へと戻された。 「シュウランの幼い頃、父である前王はつい孫に当たる私の王子達を可愛がりがちとなり、母であるユイファ殿は下のコウガランがまだ幼く手がかかっていた。  その中でシュウランは自分がしっかりしないといけないと幼い身には過剰なほど責任感を持ち、どうにも甘えるのが下手になった。  皆シュウランを気にかけてはいたが自分から何かを求めることがないために忘れられがちになる。それでも端で静かに微笑んでいるシュウランが健気で可愛くてね」 すこし芝居がかった調子でティールームを歩き、大きな手振りを交えてアジュラン陛下が語る。 その人を引き込む語り口はさすが国王だ。 「アジュラン陛下のすぐ下の弟君であるライザラン様も十以上歳の離れた弟のシュウ様を大層気に入っておられますが、残念ながらあの方の愛情表現はどうにもからかいが過ぎ、愛される側には迷惑千万と言えましょう。幼いシュウ様は嫌がっていつも逃げまわっておられました。もちろん自らライザラン様に甘える事などあるはずもなく……」 ……佳麗な容姿に似合わず性根が発酵しているライザラン様らしい話だが、それより…シュウ殿と十以上歳が離れるって……。 シュウ殿よりもアジュラン陛下と歳が近いじゃないか。 いい年して……いや、ずっとお変わりないんだろうな。顔も頭の中身も。 「そして、ライザランにからかわれ落ち込んだ小さなシュウランを私が強引に膝に乗せて抱きしめるのだ。初めはすこし嫌がり、それから照れて、次第に自分から抱きついてくれるのが……。  はぁ…もう可愛くて、可愛くて。今では私よりも大きくなってしまったが、それでも私には可愛らしい弟に違いない」 「そう…なのですね」 幼い頃のシュウ殿を思い浮かべる。 きっと今と同じ少し強めの目をしてキュッと口を引き結び、凛々しくも愛らしい子供だったんだろう。 アジュラン陛下の前にもかかわらず、フニャッと顔が緩んでしまうのを止められない。 「イチハはシュウランを大切に思ってくれているようだが、私から少し注文がある」 「はっっ!? はい!」 急に自分に話を向けられて背筋が伸びた。 緊張の面持ちで陛下を見る。 「年の瀬をシュウランと共に過ごせなかったことを寂しく思っているようだが、シュウランだって責任感で職務にあたっているだけで、本音では君とゆっくりと過ごしたいと思っているはずだ」 そう…だろうか。 もし、そうなら嬉しいんだけど……。 「君はシュウランより一つ二つ年長なのだろう?だが君の方がシュウランを頼りにしているように見えてしまっている。あの子はたとえ疲れきっていたとしても自分から甘えることは難しい。だから君があの子を甘えさせ、心を満たしてやってくれないか?」 「俺が……シュウ殿を……」 指摘されたように、確かに俺はシュウ殿に甘えきってしまっていた。 そして、自分の方が年長だという意識が非常に薄かった。まわりもきっと俺の方が年下だと思っているだろう。 これは、反省しなければ。 自分のことばかりで、シュウ殿の気持ちにまで考えが及ばなかった、未熟な自分が恥ずかしい。 しかし…マズい……。 反省しなければいけない上に、陛下の前なのに…………顔が…大変なことに。 だって、俺がシュウ殿を甘やかす……。 シュウ殿が俺に甘える……。 シュウ殿が座る俺の膝に横座りに乗って、首に手を回して抱きつき『はぁ…イチハ疲れたよう……会えなくてずっと寂しかったぁ』なんて……。 いや、そんな言い方をするわけはないけれど…でも。 ああ…想像だけで頭の中がお花畑だ……。 「イチハ、君は素直で可愛らしいね」 ニヤつく顔を抑えられず、陛下に頭を撫でられてしまった。 恥ずかしい。 三十路にしてこの扱い……。 いや、陛下から見ればシュウ殿と大差ない年齢の俺は子供のように感じられるのかもしれない。 ジントウイ殿も撫でられる俺を目を細めて見ているし。 「これからもシュウランをよろしく頼むよ」 そう言い残してアジュラン陛下はティールームを後にした。 ホッと息をついた俺にジントウイ殿が茶をいれてくれた。 少し関節がギシギシする。 最後に少し頭に花が咲きはしたものの、庶民の生まれの俺が直接会話をすることなど考えたこともないアジュラン陛下に親しげに声をかけられ、信じられないほど緊張してしまっていた。 「あのように王家の皆さまはどなたも非常に愛情深く、シュウ様はアジュラン陛下の王子達にも慕われております。しかしそれ故に、彼らは他には言わないような我がままをシュウ様にはつい言ってしまうようで……。私の推測に過ぎませんが、シュウ様がこのような時期に出勤となったのも、きっと王子のどなたかが頼み込んだからではないかと……」 ジントウイ殿のことだから、きっと根拠のある推測なのだろう。 「……そう、なのですね」 シュウ殿は王弟で、現王の王子の命令だからといって、従わなければならない立場ではない。 弟同然の甥っ子に頼みこまれ仕方なくといったところだろうか。 俺に申し訳ないと思いながらも、甥っ子の頼みを断りきれないシュウ殿……。 ああ、胸がキュンとする。 共に休暇を過ごせないことは不満だが、シュウ殿のそういう面倒見の良いところも好きだ。

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