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第5話

 星花を交えて食事に出ている間は、横澤の口調だった。しかし、いまはふたりきりだ。  岡村に戻るべきか、横澤でいるべきか、迷っている。 「星花とそうなるときは、岡村に戻るんだろ。俺が抱かれてたベッドで……」 「サーシャ」  横澤の口調でたしなめられ、佐和紀はくちびるを尖らせた。 「はぁい。横澤、さん」  わざとかわいげのある返事をして、拗ねたまま視線をそらした。  もう、周平はコネクトルームを使わない。決定的になったのは祇園祭の夜だ。京都で抱き合ったのを最後に、周平は大阪へ来なくなった。  電話をしても、どこかそっけない会話が続き、声を聞けた喜びさえ薄らぐ。互いの体調を気遣うような、決まり切ったやりとりが味気なかった。 「星花とはなにもしない。サーシャが隣の部屋にいるのに……」  横澤の声に、佐和紀は視線を戻した。 「昨日のうちに、たっぷりしたんだろ?」 「だから、そういう……」 「女も抱いてるよな」 「この部屋には呼んでない」 「そういうこと、言ってんじゃないんだよ」  ぷいっと背けた頬に、横澤の手が当たる。無理に引き戻そうとしない男を睨みつけた。 「……機嫌が悪いんだな。どうした」  横澤が身を屈め、ソファの背もたれ越しに瞳を覗かれる。 「べつに」 「サーシャの『べつに』は、『気づいて』だろ」  そっと指先が動き、愛撫するように頬を撫でられる。思わず身を引くと、もう片方の手が、首の後ろへ回った。 「言ってごらん。なんでも用意してあげるから」  甘いささやきを投げかけられ、佐和紀はくすぐったさに肩をすくめる。横澤を装っていても、岡村の見た目はほとんど変わらない。だから、岡村だと思えば笑えるのに、別人のように感じる自分もいて不思議な気分になる。 「持ってきて欲しいわけじゃない……」 「じゃあ、しようか」  性的なニュアンスが混じり、佐和紀は目を細めた。横澤の目に、性的な思惑が揺れる。 「ふたりが物足りないなら、星花を呼ぼう。あれとのセックスを見せてもいいよ。余興程度にはなるだろう?」 「なにを考えてんだよ、バカじゃ……」 「品行方正が美徳だと思える育ちじゃないからね」 「……シン」  冗談をやめさせようと呼びかけたが、岡村は横澤を演じたまま、眉根をひそめた。ここで止めるのはルール違反だと言いたげに、冷たく見つめられる。佐和紀はたじろいだ。 「欲求不満なのは、見えてる」 「誰が?」  噛みつくように睨んだが、横澤の余裕でかわされる。 「性的にとは言ってない。くすぶってる、ってことだ。自覚はないの?」  片頬を包んだ手が動き、指先でくちびるに触れられる。 「……楽しくやってる」  それ以上は許すつもりがなく、湿った髪を振り乱した。追ってくる手から逃れ、拗ねた目で見つめる。横澤であっても岡村であっても効果は絶大だ。 「楽しいのはなによりです。……それが目的なら」  岡村の口調に戻り、横澤の仮面が剥がれた。 「楽しくやっているだけで、解決することなんですか。彼らのことは。……傍から見ていると、ビタイチ変わってないどころか、木下に関しては悪化してるように見えますが」 「直登は安定してる」 「安定の先は? このまま、彼の望み通りにずっと一緒にいるつもりですか」  ソファの後ろから移動した岡村が、テーブルの向こうに立つ。佐和紀は顔を歪めて、視線をそらした。ここぞというときには、痛いところを遠慮なく突いてくる男だ。 「考えてるよ。ちゃんと……」 「では、展望を聞かせてください」 「展望って……、なんだよ。そういうの、チィみたいだな」  周平の側近である支倉(はせくら)千穂(ちほ)のことだ。小姑のように重箱の隅をつつく性格で、合理性を求めるあまり、発言に容赦がない。口調はいつだって詰問だ。 「佐和紀さん……。真剣に聞いてもらえませんか」 「聞いてる。なぁ、あの絵って有名な絵描きなの?」 「そんな話はしてないと思います」 「俺がしてんだろ」 「威嚇してもダメです。いい機会なので言わせてください」 「イヤだ」  ピシャリと言って立ち上がる。その場を立ち去ろうとしたが、岡村の動きの方が早かった。腕を掴んで引き戻される。ソファの端に座ると、岡村が足元に膝をついた。 「動くための金は、じゅうぶんに用意してあります。もちろん、あなたの資金です。こういうときのために増やしておいたんですから。……金も、人間も、使い方は持ち主次第です。佐和紀さん次第なんですよ」 「……博打ばっかりやるな、ってこと?」 「そんなこと、言いましたか?」 「言われたと思った」 「罪悪感があるからですよ」 「ないよ、そんなの」 「じゃあ、目をそらさないでください」  すっと逃げた視線の先に岡村が入ってくる。そして言った。 「美園の動きと、彼らのことは分けて考えてください。ぶつかったときに、どちらを取るのかも考えておかないと動けなくなりますよ」 「……なんで?」  目を伏せて、ローブの裾ごと片膝を抱き寄せる。 「誰も守ってくれないからです。いざというとき、美園は動けません。その義理もないでしょう。彼は自分の利益のために、あなたを呼び寄せたんです。わかってますよね?」 「……おまえがいる」 「俺が守るのは、あなただけです」  こんな一瞬にも、岡村の言葉は恋慕で溢れる。優しく柔らかな雰囲気に接すると、愛情を惜しまなかった周平が思い出され、佐和紀の胸は痛んだ。 「彼らを守れと命じられても、佐和紀さんを犠牲にしては無理です」 「そういうの、重いんだけど……」 「理解してください」  ため息混じりに言った岡村が顔を伏せる。 「……なにをするための家出だったんですか」  くぐもって聞き取りにくい声に耳を澄まし、佐和紀はぼんやりと相手を見た。それから、壁の絵を眺め、また視線を岡村へ戻す。 「家出じゃない」 「離婚は、あの人の優しさですよ。そこまでさせて、これでは……」 「おまえに文句を言う人間がいるのか」 「いません。俺だって考えなしでそばにいるわけじゃないんですよ。横澤として、彼らを保護することはできます。ふたりに新しい人生を用意することも。……でも、そうするための動機は、あなたなんですよ」 「おまえの?」 「彼らの、です。佐和紀さん、ここで面倒に思わないでください」  岡村に見据えられ、佐和紀はぐっとあごを引く。  しかし、気持ちは切り替わらなかった。怠惰からくる及び腰で、佐和紀は落ち着きなく視線を揺らす。 「美園が持ち込む仕事をこなすことで、身が立つと思いますか。それが佐和紀さんの望みですか。あの人を捨てて、俺を置き去りにして、新しい刺激が欲しかっただけなら……」  流れるように話す岡村が、声を途切れさせた。  佐和紀を見上げる瞳は熱っぽく潤んで見え、不興を買うことも覚悟で進言しているとわかった。けれど、受け取る佐和紀には、重苦しく感じられるばかりだ。  問題ごとがまたひとつ増えるようで、ため息がこぼれる。 「そうだとしたら、なんだよ」 「……美園は、根っからのヤクザです」 「俺もそうだ」  間髪入れず答えた佐和紀に岡村の眉がピクリと動く。苛立ちを見せた視線が鋭くなった。 「だとしたら、わかってますよね。どんな理由であれ、あなたに触れた男は殺します」 「……話が、飛んでる」   あ然とした佐和紀をかまわず、床に片膝をついた岡村は背筋を伸ばした。 「快楽が欲しいなら、俺が奉仕します。愛してくれなんて、いまさら言いません。でも、岩下以外の男に渡す気はありません」 「美園に惚れるとでも……? バカだろ。てめぇが物足りないのがいけねぇんだろ」 「ケンカを売らないでください。買いません。……こんな状況で、恋愛ゲームを吹っかけるつもりはないんですよ。そんな悠長な『育てられ方』は、していませんから」  表情を引き締めた岡村の背後に、兄貴分だった周平の面影が見え隠れする。佐和紀は物憂いため息を繰り返し、ローブの裾をはだけさせながらあぐらを組んだ。  足の上で頬杖をつき、不機嫌にくちびるを尖らせる。  居心地が悪いのは、岡村の苛立ちがじわじわと伝わってくるからだ。 「気持ちが落ち着かないのなら」  岡村の言葉に、眉を吊り上げて振り向く。続く言葉は予想ができる。  周平を呼び寄せてもいいというのだ。

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