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新しい香り

朝の光が差し込む執務室。 ルヴェーグは、マフィス王国の日刊紙を静かに広げていた。 「シグマ。今朝のニュースは確認したか?」 「ええ、もちろんでございます。……なにか気になる記事でも?」 ルヴェーグは紙面の一角を指先で軽く叩いた。 「『稀代の天才、ドクター・バイルが新理論を発表か』……だそうだ。  このマフィス王国で、純粋な基礎研究をここまで突き詰める学者は珍しい。」 その声にはわずかな興味が滲んでいた。 「学会では以前から名前だけ妙に聞きますね。  ですが本人はめったに表へ姿を見せないとか。」 シグマが淡々と続ける。 「陰鬱で、必要最低限しか口を開かず、  誰とも深く関わらない――  そんな噂ばかり耳にします。」 ルヴェーグは苦笑しながら新聞を閉じた。 「成果だけが一人歩きしているタイプか。  ……だが、理論の質は本物らしい。」 窓際の風が紙の端を静かに揺らす。 「マフィスが、こうした研究者をどれだけ抱えられるかで、  国の未来が決まる。」 シグマは静かに頷く。 「知識は兵よりも鋭く、  法よりも速く国を変えますからね。」 「その通りだ。」 ルヴェーグは机に腕を組み、わずかに目を細めた。 「天才は強力な武器にもなれば、  国が抱えきれない“厄災”にもなる。  ……さて、バイルはどちらだろうな。」 シグマが主の表情を読み取り、一歩近づく。 「もし敵となるなら――排除しますか?」 「排除? まさか。」 ルヴェーグは軽く笑いとばした。 「基礎研究というものは、いつ役に立つか分からないんだ。  この天才はきっと、我々が想像もつかない何かを成し遂げる。  そんな人物を摘み取るなど、エプシアール家の美徳に反するだろう?」 インクの香りが朝の風にまざり、 まだ遠くのどこかで、確かに―― 新しい物語が、静かに息を吹き始めていた。

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