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ケーキと誘惑

 朝起きて準備をして出勤して時折気紛れに遊んで帰るという日常は昨日から一変した。  いつも通りに占いの仕事を終える頃に一通のメッセージがスマートフォンに届き、続けて写真が添付されてくる。相手など見ずとも秋だと分かった。 「桃のケーキ?ほーう」  写真をよく見てみると瑞々しい旬の桃がふんだんに使われており見眼も良く美味しそうだった。実は昨日あの後解散してから何通もメッセージが来ていて最初は普通のショートケーキ、次はチョコレートケーキ。恐らく過去に作ったものだろうその写真達はまだ見習いのアマチュアが作ったとは気付かないレベルに見えた。こんなのも作れます、とドヤる顔が脳裏に浮かんだのでそれをすぐに搔き消して適当なメッセージを返した覚えがぼんやりある。  桃のケーキは今日作ったものなのだろうか、だとしたら少しだけ興味が湧いた。『それは今日のですか?』と手短に送るとすぐに『作りたてです』と返って来る『ではそれを下さい、フォークも忘れずに』と送信すれば恐ろしい速さで『今から行きます』のメッセージ。単純で面白い。  どこで、と言わずとも恐らくこのビルに来るのだろう。時間を見れば丁度帰宅ラッシュの時間にぶつかる。洋菓子店の厨房なら店の接客よりも早く仕事を終えるであろうし、秋は仕事後の練習中だったのだろうか。パティシエ見習いが作る本気のケーキとやらお手並み拝見と行こう。  外へ出れば今日も今日とて嫌になる残暑日は落ちていると言えども暑いものは暑い。ファッションビルの正面玄関の端で壁に背を預けて待っていると程無くしてホールケーキの箱を大切そうに手に持った秋の姿が見える。清潔感のあるTシャツと黒のカーゴパンツに肩から下げたトートバッグ。顔が整っているとシンプルな格好でも充分様になっている。 「ステラさん!」 「行きますよ」  派手な風貌故に秋もすぐ気付いたのだろう、主人を待ち侘びた犬の様に駆け寄ってきて目を輝かせる。逸れない様に人波を搔き分けて進むと忠実に付いて来た。  歩いているとそれ程遠くない場所に広い公園が現れた。迷いなく公園の敷地内を進み、自販機でコーラのペットボトルと缶コーヒーをひとつずつ買ってから街灯のすぐ近くのベンチに座ると秋も隣に座る。 「ありがとうございます」 「ケーキ代と思えば安すぎる位ですケド」  コーラのペットボトルを差し出すと秋がそれを受け取り嬉しそうに笑む。本当に犬だったら頭を撫でていたかもしれない。 「ちゃんとフォークも持ってきました、どうぞ」 「お利口さんですね~」 「犬扱いしてません?」 「さて……」  フォークを受け取り何のことやらとわざとらしく肩を竦めて見せると溜息と共に秋が膝の上にあるケーキの箱を開封する。出て来たのは写真で見るよりも鮮やかで美しい小ぶりなホールの桃のケーキ。薄桃色のホイップクリームに包まれたそれを見てこれは中々、と味の方にも興味が湧く。 「どうでしょうか……」 「見た目は及第点以上」 「味も自信あります……!」 「ではいただきます」  手を合わせてからフォークを桃のホールケーキに差し込んでひとくちサイズに切り取る。それを器用に掬って口に運ぶと桃の香りが口腔内にぶわりと広がり、桃の風味がするクリームもしつこくない甘さで実に食べやすい。桃をコーティングしているジュレも口触り良くてスポンジひとつに至るまできめ細やかで拘りが伺える。スポンジの合間にもスライスした桃が挟まっていて贅沢な一品。黙って出されたらまだプロではない素人が作ったとは誰も思わないだろう。  静かに吟味する此方の様子にそわそわと落ち着かない大型犬、もとい秋が恐る恐る訪ねて来る。 「どう、でしょうか」 「ふむ……想像以上でした」 「という事は……!?」 「秋」 「ふぁい!?」  もうひとくちサイズにフォークでケーキを切り取ってそれを秋の口に放り込む。急に名前を呼ばれて動揺しつつももごもごと大人しくケーキを食べているのが可笑しくて自然と笑みが零れた。 「美味しいですよ。合格」 「……!!!」 「智也」 「え?」 「東智也。本名を教えろと言って来たのはアナタでしょう?」 「智也さん……って呼んで良いですか」  プシュリと缶コーヒーのプルタブを開けてひとくち含み、何て事無いといった風を装って名を告げた。秋が驚きと喜びで百面相をしているのが面白い。やはりコイツは揶揄い甲斐がある。 「お好きにどうぞ」 「やば……俺今滅茶苦茶浮かれてます」 「貴重な初恋を悪いオニーサンに捧げようとしてるこれ位で浮かれちゃう純情ボーイは本当に面白いですネ!」 「今は遊びでもいいです、本気にさせるんで」 「初恋拗らせ童貞の秋クンに出来るとでも?」 「どうて……っ!そう、ですけど……」  にっこりと笑って揶揄い口調で弄んでやると面白い程ころころ反応が変わるのが愉快で堪らない。缶コーヒーを横に置いてもうひとくちケーキを頬張った。 「あーあ、本当に勿体ない。これだけ背も高く顔も良く人柄も良いというのにこーんな悪いオニーサンに恋してしまうなんて。哀れで哀れで仕方がありません」 「……智也さんは本当は良い人だって知ってます」 「ボクが良い人、ねェ……?」 「俺は少なくともそう思ってます」  夜とはいえ真夏の公園で二人で男二人がケーキをつつく光景は果たしてどう映っているのだろうか。とも思うが実際気にする人なんて所詮は数える程度しかいない。皆周りの事になど興味は無いのが現状だ。気にせずぱくりぱくりと二人でホールケーキを平らげて、飲み物で口を潤す。 「ごちそうさまでした」 「食べて貰えて良かったです。……ねぇ智也さん、今俺こんなにドキドキしてるんです」  不意に手を取られてそのまま秋の左胸に当てさせられる。そこは手に取るように分かる程高鳴っていた。 「若気の至りですよ」 「この気持ちに嘘はないです。今だってすげぇキスしたいし触りたいし、それ以上だって……」  自分にそんな気持ちはあっただろうか、ずっと神社の仕事で忙しくしていた両親と成績優秀で勉学に励んでいた兄。構って貰える事など少なくて、大人になって気付けば孤独を埋める様にワンナイトを繰り返して――遊び人と言われる程自分は汚れ切っている、故に秋の真っ直ぐさが眩し過ぎた。 「……なら試しますか?」 「えっ……?」 「イケナイコト」  我ながら魔が差したのかもしれない。秋のTシャツの首元に指を掛けて引っ張り、そう囁いてから唇を重ねた。甘い桃の香りにコーヒーとコーラの風味が混ざる何とも不思議な味のキス。 「智也さん……っ」 「今は遊びでもいいと言ったのはアナタですよ」  ただの初恋と勘違いした拗らせ童貞なら男の身体を見れば萎えるだろうし、そうでなくとも一度抱けば夢も覚めるかもしれない。初恋なんて所詮そんなものだと嘲笑う。ゴミを分別して捨てるとベンチから立ち上がって歩き出し、すぐに秋が後ろを追い掛けて来た。  此処からなら少し歩けば行き慣れたラブホ街がある。勝手知ったるとばかりに先導してそのまま歩き続けた。

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