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過去

 まだ冬の朝は空気が澄んでいる分余計に肌寒く感じる。吐き出す息は白く、駅前で買ったコンビニのホットコーヒーのカップを温もりにし指定されたスタジオまでの道のりを歩いていると目が冴えて来る。  本業はあくまでも占い師でセルフプロデュースのためマネージャーやらは勿論居る筈も無く、たまに舞い込むこういったメディアの仕事も勿論一人ですべてこなしていた。  すぐにスタジオに辿り着き入り口を開けるとスタッフが数名、あとは後姿しか見えないがカメラマンとそのアシスタント達が伺える。インタビューもあると言っていたからには恐らく他にも何人か居るのだろう。 「おはようございます」 「おはようございます!ステラさん入られましたー!」 「やっと会えたな、ステラ」 「……カメラマン、アナタですか」  スタッフの声で此方を向いたカメラマンと目が合うと口端の吊り上がった笑顔で迎えられる。九条夏樹、30歳。背はオレより高く緩いパーマで黒髪の愛想の良い男。独自の世界観でモデルを撮る事が有名な一流カメラマンの一人。そして―― 「久々の再開だぜ?もうちょい可愛気ないの?お前。夜はあんなに可愛かったのに」 「あーあー聞こえまセン。最近ちょっと耳が遠くなりまして」  何の因果か孤独に夜の街をふらついていたオレに夜遊びを教えた最初の相手で、数少ないオレを抱いた男だ。……元セフレといえば正しいだろうか。  表面だけの笑顔を貼り付けて適当に流すと「釣れないねぇ」と夏樹が愉快そうに笑う。もしも秋と知り合わずにこの男と再会していたらどうなっただろうか、と考えたくない未来は首を振って吹き飛ばした。  今ではもう黒歴史だがセフレとはいえ確かに夏樹の事は好きだった、孤独でいっぱいだった俺を最初に導いた存在だったから。  だが今は状況が異なる。自分はもう遊び人ではないし恋人もいて愛し合っている。故に夏樹はあくまでも黒歴史のひとつで終わらせたかった。 「ステラさん、衣装合わせとメイクお願いします」 「ハイ、今行きます」  スタッフに呼ばれてハッと我に返り控室に案内され、中に居たスタッフと少しの談笑をした後メイクを終えて衣装合わせに入り、コーディネートが決まるとスタッフが捌けて着替えを始める。  胸元が広く開いた黒のサテンシャツにモノトーンの変形のジャケットを重ね、スラックスと革靴で全体的にシックな印象を抱かせる。イヤリングと指輪を嵌めてから撮影スタジオに向かうと夏樹とアシスタント達が試し撮りをしていた。 「お待たせしました」 「おー、主役のご登場だ。お前ら準備しろ」  スタジオにはいくつものライトにレフ板、青の壁紙と用意された青いチェアがある。そこに座るとカメラを持った夏樹がファインダー越しにオレを捉えてシャッターを切った。 「どうぞよろしく」 「良い表情くれよ?売れっ子占い師様。フリーポーズで取り合えず何枚か、出来るな?」 「モチロン?」  夏樹の合図と共に明かりが一斉に此方を向き照らし出される。こうなれば夏樹を唸らせてやると妙な闘志が燃えて顎に手を添え足を組む。息を吞んだ夏樹が様々な角度でシャッターを切り、その度に少しずつポーズを変えていった。カメラ越しに夏樹の熱い視線が注がれているのが分かってゾクゾクとした感覚が走る。すぐ後ろのノートパソコンで写真を確認した夏樹が頷いてまたカメラを持つ。 「オーケー。次は立ちポーズで数枚。椅子撤去」  椅子から降りるとすぐにアシスタントの女性が椅子を端に片付けて撮影が再開された。アップと引きでそれぞれ何枚か撮影し、それをまた確認しに夏樹がノートパソコンを覗いている。  現場が妙な緊張感に包まれる中チェックが済み、夏樹からのオーケーサインが出るとその場が少し和んだ。 「夏樹……」 「お前この後空いてる?久々にコーヒーでも一杯どうよ」 「……それだけなら」 「おお、しっかし見ない間に色気増したなぁ?」 「そういう目でしか見れないんですかアナタ」 「冗談、けど半分本当」  アシスタント達がテキパキと手慣れた様子で撮影機材を片付ける中で肩を組まれてああ、こいつはそういう男だったと思い出す。愛想が良くて豪快で誰でも惹き込む不思議な男。まぁコーヒー一杯程度のお喋りならば、と頷いて見せた。  その後は特に滞りなく順調にインタビューも終え、すんなりお開きとなった。着替えを済ませて外に出ると煙草の火を揉み消し携帯灰皿に押し込む夏樹を見て懐かしく思える。初めてのセックスはコイツの煙草の香りと苦いキスが印象深かった。  ブラックのコーヒーを飲む様になったのも夏樹の影響で、今思えばオレは夏樹に憧れに近いものを抱いていたのかもしれない。出て来たオレに気付いた夏樹が緩く手を上げてアピールしてきた。 「じゃあ行くかいお姫様」 「それやめろって言いましたよね」 「ほんっとに可愛気がないねぇ」 「無くて結構デス」  まぁいいやとケラケラ笑いながら携帯灰皿をポケットに仕舞った夏樹が先導し始める。アシスタント達は先に帰らせたのだろう。朝よりは少し暖かい日差しの中で夏樹を追い掛ける様に歩き出す。スタジオから程近い場所にあるコーヒーショップの扉を潜ると暖かい空気と共にコーヒーの香りが広がった。 「お前もブラックだっけ?」 「ええ」 「んじゃお姉さん、ホットコーヒーレギュラーサイズで二つ」 「かしこまりました」  財布を出そうとしたが先にさっさと電子マネーで支払われてしまい打つ手がなくなり止む無く出し掛けた財布を仕舞う。 「ご馳走様です」 「いいよ、誘ったの俺だし」 「お待たせしましたー」 「ありがとうねお姉さん」  店員の女性ににこやかに話しかけながら夏樹がコーヒーを二つ受け取り、差し出された片方をありがたく頂く事にした。店内の奥の方にある二人掛けのテーブル席に移動するとそれぞれ椅子に座ってホットコーヒーのカップで乾杯する。 「お前最初はあんなんだったのに見違えたねぇ」 「もう黒歴史なんで」 「そう言うなって~成長の記録ってヤツっしょ」 「まぁ、感謝はしてますよ」 「ほぉん?」  ホットコーヒーを一口啜ると胃が温まった。その苦みにぼんやりと過去を思い出しながらぽつぽつと呟く。 「アナタが居なかったら今のボクは無かったのは事実です」 「超人気占い師ステラ様の構築に一役買ったって事か、そりゃ光栄だねぇ」 「でもそれだけですので」 「お前もっとこうさ、感動の再会!みたいなの無いの?」  ヘラヘラと笑う夏樹に全力で溜息が出た。コーヒーをゆっくり飲み込み横目に窓から見える街中の様子を眺めると若い男女のカップルが手を繋いで堂々と歩いているのが妙に眩しく映る。 「生憎今は恋人居るんで」 「お前が?まっさか~」 「それはもうラブラブですよ、お邪魔虫が入る余地もありません」 「昔のセフレよりそいつがイイってかい」  同じくコーヒーを啜りながら意外そうに夏樹が訊ねて来る。まぁ無理もない、元々はどうしようもない遊び人なのだから。本気の相手が出来ましたなんて信じる方が難しい。 「素直でポジティブバカで可愛いわんこですよ。ボクには勿体ない程の」 「俺惚気聞かされてる?」 「そいつの方がイイのかって聞いたのアナタでしょう」 「久々にワンチャンあるかなって思ったんだけどねぇ」  街を見ていたオレの顎を夏樹が捕まえて視線を向けさせられる。思わず手で弾いて拒絶を示した。オレに触れていいのはもう秋しか考えられないしそもそも秋以外あり得ない。自分が此処まで思う様になるとは思いもしていなかった。 「勝手に期待しないで下さい。間に合ってマス」 「そいつは残念」 「それじゃご馳走様でした」 「どう致しまして」  コーヒーを飲み切ると二人で席を立ち、カップを捨ててから店の外へ出た。すると街中に見知った姿が見えた気がして其方を振り向いた途端に夏樹に抱き締められ頬に口付けられる。 「ちょっ、なにして!?」 「あれが彼氏くんかなって思ったら悪戯したくなっちゃって」  慌てて夏樹を引き剥がして先程の人影を探すとそれはやはり秋で、しまったと思うより早く秋がその場を逃げ出した。何故此処に?という疑問はあれど非常にまずい事になったのは言うまでもない。「秋!」と叫ぶ様に名前を呼ぶがもう既に人込みの中に秋の姿は見えなかった。 「追いかけないの?」 「……マジで許しませんからね」  夏樹の手を振り解き急いで秋が消えた方へと走り出す。追い付けるとは思っていないが、秋の行く所はおおよそ見当がつく。その場所に向かってただひたすら息を切らしながら走り続けた。

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