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勝負の日 side秋

 まだ誰も居ない早朝の厨房で一人、銀のボウルを抱え泡立て器で生クリームを掻き混ぜる。コンテストを前に寝る間も惜しんで、愛しい人との時間をも捧げてこの為だけに血の滲む様な努力を積んでいた。  これら全てはコンテストに入賞して見習いから本格的なパティシエとして成長する過程。子どもの頃、まだ名前も知らなかったお兄さん――智也さんの笑顔が見たくてパティシエを目指し、思春期の頃これが恋だと自覚してからはより一層本格的に夢として確立した。中学卒業と共に専門学校へ進学し最短で免許を取得して今の洋菓子店で拾って貰った。  店長は厳しくも優しくて、父親の様にいつも気に掛けてくれる。修業を積ませて欲しいと懇願した俺を暖かく迎え入れてくれて、短期とはいえパリ留学という貴重な機会も与えてくれたのは記憶に新しい。  最初は名前も知らない、ましてや同性の人に恋をするなんてと混乱もしたし苦悩もした。当然年上のお兄さんは成長と共に公園にも来なくなって、ずっと恋心だけが燻って寂しい思いをしていたのを覚えている。  初恋の切なさを抱えたままパティシエ見習いになるまで成長して、伸びて来た髪を整えに行った美容院での暇潰しに読んだ雑誌が全ての始まりだった。占い師にしては珍しくその美しいビジュアルと巧みな話術で芸能界でも取沙汰される程のカリスマ、ステラ。その紙面を見た時に全身が粟立った。派手な金髪に変わりブルーのカラーコンタクトこそしているが、その顔は間違いなくあの時の……恋心を抱いていたお兄さんだと直感で分かった。  その瞬間から雑誌を隈無く読み込み、今は駅前のファッションビルで働いている事を突き止めて行動に移すまではそう掛からなかった。  本物の彼に会った時は薔薇の様な香りを纏った物腰柔らかな美しい人という印象。実際に占って貰ったのはこの初恋の行方で、結果は良好。その時の俺は自分でも分からないがこのチャンスを逃せば後は無いと思い必死で彼にアピールしたものだ。  それから少しずつ会う頻度が増え、名前を知り、成り行きで童貞を搔っ攫われてセフレの様な関係に発展して……店長の紹介でパリの友人の店で修業する機会を得たが悩んでいたのがバレて、智也さんも俺に本気になってくれた事が分かり無事結ばれた。  そっとお揃いのネックレスに触れて今の幸せを噛み締める。子どもの頃あんなに遠い存在だった智也さんが、今は手を伸ばせば抱き締められる距離に居る。それだけが今自分を鼓舞する一番の強みだ。  GPSタグを仕込んだ時は後で流石に少しだけ怒られたが、それでも優しい智也さんは俺を許して受け入れてくれた。俺の愛の重さも全部。だからこそ俺は自分に今出来る事として今回のコンテストで負けられないし、智也さんに賞状とトロフィーを誰より先に見せたかった。  今回のスイーツコンテストの課題は幻想。そのテーマで真っ先に思い浮かんだのは智也さん――タロットを巧みに捲り人を導く占い師ステラだ。  イメージが湧けば後はそれを形にしていくだけで、透明なプラスチックの筒形のカップにパフェを連想させる様々な食感と味覚を与えるいちごのジュレや砕いたパイ、ダイスカットしたスポンジの層を作って先程のホイップクリームを敷き詰める。上から星屑を想起させる金粉を掛けて、一番苦戦した星形のマカロンとミントの葉、カードをイメージしたひし形のチョコレートを乗せた。 「でき、た……できた!」  これまで何度も何度もイメージ通りにいかない悔しさと失敗を重ねた末にようやく満足の出来る仕上がりの物が完成した。忙しなくしていた分日時の経過も早く、気が付けばコンテストはもう明日で本当に滑り込みセーフと言える。その時厨房の扉が開いて店長が現れた。 「おお、秋。おはようさん」 「店長おはようございます!」 「それがコンテストに挑む品かい?」 「俺の気持ち、全部詰め込みました」  出来上がった筒形のスイーツを見た店長がその出来栄えに頷く。その表情は少し嬉しそうにも見える。 「タイトルは?」 「……ステラです」 「うん、いい名前だ。星形のマカロンなんて難しいものよく作ろうと思ったな」  肩をトントンと叩かれ褒められた。店長に認められたのはこれが初めてですこし目が潤んでしまうが本番はまだこれからなので今泣くのは早過ぎる。 「何となく俺の恋人に似合いそうな気がして……だいぶ無茶しました」 「それでこそだ。秋にはこのパティスリー・フルールの看板パティシエになって貰わないとな?」  ご機嫌な店長につられて笑みが浮かぶ。この洋菓子店――パティスリー・フルールはパティシエも店員もお客様も皆が暖かくて大好きな場所だ。恐らくは学校でも切磋琢磨した隣町のホテルで働く同世代の女性パティシエ、宮園広美が一番のライバルになるだろうと踏んでいるが、必死に積み上げて来た修行の成果と愛の詰まったスイーツで負ける訳にはいかない。  店長に味見を頼み、合格を出されると不安が少し吹き飛び明日の本番に向けて気合を入れ直した。  コンテスト会場は高級ホテルのワンフロア。他のパティシエ達と共にステージを見る位置で椅子に座って待機していた。  取材のカメラやインタビュアーが後ろに控える中、手に汗握る緊張感に包まれている。審査は見栄え、テーマ性、味の三つが主となる為本当の実力勝負だ。ステージ上にはそれぞれが作ったスイーツがテーブルの上に並べられており、見栄えでは甲乙付け難い。  今頃審査員達が別室で実食している頃だろうかとドキドキとソワソワした感覚で落ち着かない。  ステージ上のスイーツを見た限りでは思った通り宮園の精巧なチョコレート細工が際立つケーキに目が行きがちだが、テーマ性では負けていないと思っている。  すると間もなくして司会がステージに登壇し、スポットライトが当てられた。 「皆様長らくお待たせ致しました。これより此度のスイーツコンテストの結果発表とさせて頂きます」  その声と共にステージに審査員達が登壇しテーブルの後ろに並ぶ。どの審査員も一流のパティシエやスイーツ界の第一人者といった顔触れで緊張感が増す。 「ではまず大賞の前に審査員賞の発表を致します。ホテル・リュヌ、宮園広美さんの作品セレナーデです!」  ドラムロールのサウンドエフェクトの後に宮園の名前が上がりスポットライトが彼女を照らし出した。立ち上がって一礼し感極まっていた。一番のライバルが審査員賞に輝いた瞬間と共に心拍数が一気に跳ね上がる。 「それでは皆様、今回の大賞作品の発表に移らせて頂きます」  司会の女性のその声と共にまたドラムロールが鳴り、眩しい光が自分を照らし出した。 「パティスリー・フルール、須藤秋さんの作品ステラが大賞に輝きました!皆様、大きな拍手をお願い致します!」  思わず涙が頬を伝った。すぐに立ち上がって手の甲で涙を拭いステージ上、そして観客席、取材陣に会釈をしていく。その時観客席に居る筈の無い派手な金髪の美しい人を見た気がして再度其方を向くと、店長の横に誰よりも嬉しそうに笑う智也さんが居た。その姿を見た途端涙が溢れて止まらなくなるがそれを何とか堪えてステージに歩き出した。審査員の一人である超一流パティシエの男性が賞状を持ち、その向かい側へと立つと読み上げが始まった。 「表彰状、須藤秋殿。この度は第5回スイーツコンテストにて優秀な成績を収めた事を此処に賞します。おめでとう」 「ありがとうございます」  賞状を両手で受け取り、その後小さなトロフィーも授与された。今までの想い全てを詰め込んで挑んだコンテストは無事にこうして幕を閉じた。 「智也さん……!」 「おめでと、秋」 「俺っ……俺!やりました!」 「よく頑張ったな」  プログラムが全て終わると真っ先に観客席に居る店長と智也さんの所へ駆け付ける。店長が俺の肩を嬉しそうに叩いてから去って行くのを見届け、智也さんにトロフィーを見せると帽子越しに頭を撫でてくれた。  智也さんに褒められる事が世界で一番嬉しくて、思わずまた涙が零れる。 「ともやさんっ」 「ホント泣き虫だなぁ秋くんは」  ケラケラと笑う智也さんはいつも通りの様でいて、でもやはり何処か嬉しそうだった。それだけで重ねて来た努力も何もかも全てに価値が生まれた気すらする。 「早く着替えて来な?ロビーで待ってる」 「爆速で着替えて来ますぅ」  そんなやり取りをした後、別室でパティシエ衣装から私服に着替え荷物を纏めて早歩きで急いでロビーへ向かう。大好きで大好きで、何よりも大切な智也さんの笑顔が俺の心を満たした。ポケットに忍ばせた大切なものがちゃんとあるのを確認して智也さんの所へ向かった。

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