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第8話 精霊祭
春は、夕暮れ時の商店街通りを、目的もなくぶらぶらと歩いていた。
買い物の袋は軽い。
本当は、寄り道をする理由なんて、特にない。
空はまだ薄明るく、
海から吹く風は、昼間よりも少しだけ冷たかった。
それでも島の空気は、
どこか浮き足立っている。
三日後は、年に一度の精霊祭だ。
精霊祭とは、
島の守り神である精霊神を讃える祭事のこと。
精霊神は島の自然そのものに宿り、
島に降りかかる災いを遠ざけ、
人々の暮らしを守っていると伝えられている。
その存在に感謝を捧げ、
島の繁栄と安全を願い、
毎年、盛大な祭りが開かれる。
――島にとっては、
年に一度の、大切な行事だ。
精霊祭の準備のため、
商店街はいつも以上に賑わっていた。
店先には色とりどりの飾りが吊るされ、
箱に入った供物が、所狭しと積み上げられている。
鼻先をくすぐるのは、
揚げ物の油の匂いと、潮の香りが混ざった島特有の空気。
子どもたちは走り回り、
大人たちは忙しなく声を掛け合っていた。
「あら、春ちゃん。お買い物?」
八百屋のおばちゃんが、
店先から身を乗り出して声をかけてくる。
すでにはっぴ姿に鉢巻き。
張り切りすぎなくらい、準備万端だ。
「だから、その“春ちゃん”って呼ぶのやめてってば」
苦言を呈すると、
おばちゃんは大きな体を揺らして、豪快に笑った。
「春ちゃんも、色気づく年頃になったのねぇ」
からかわれるたび、
どう返していいのか分からなくなる。
春は、諦めたかのように小さく溜息をついた。
幼い頃から、
美少女と見まごう容姿のせいで、商店街の“アイドル”的存在だった。
本人の意思に反して、
それは高校生になった今も、変わらないらしい。
「お祭りの準備、順調?」
そう尋ねた瞬間だった。
通りの向こうから、
女子中学生が三人、
黄色い声を上げながら歩いてくる。
「ねえ、昼間に見た男の人、すごくカッコ良かったよね!」
「足も長くてさ!
スタイルも抜群で!」
興奮した声が、商店街に弾む。
「俳優さんみたいだったよね、
背も高くて、顔も綺麗で……
とにかく、すっごいイケメン!」
言い終わる前に、
他の二人がキャーッと黄色い声を上げた。
その様子を眺めながら、
春は、胸の奥が小さくざわつくのを感じながら
2人の男の顔を思い浮かべた。
(……どう考えても、あの二人だろ)
直哉と、蓮。
あの容姿で、
人目を引かない方が、無理というものだ。
その時――
彼方が以前、
ぽつりと漏らした言葉が、脳裏をよぎった。
――別に、僕じゃなくたっていい。
――直哉さんに釣り合う人なんて、いくらでもいる。
胸の奥が、
不意に締めつけられる。
彼方は、
ずっと不安だったのだろうか。
完璧すぎる恋人を持って。
その隣に立つために、
誰にも言えない焦りを、
一人で抱え込んでいたのではないか。
愛情という、
目に見えない不確かなものだけでは――
安心できなかったのかもしれない。
「俳優ねぇ……」
隣で八百屋のおばちゃんが、
ぽつりと呟いた。
「こんな小さな島の民宿に泊まってたら、
島中大騒ぎになっているはずだし……
別荘地の人かねぇ」
――別荘地。
島の中心から外れた、
崖の上に建つ豪邸。
随分昔に、
島の所有者が建てたものだと聞いている。
専用の小道と門を越えなければ辿り着けない、
隔絶された空間。
島にありながら、
島ではない場所。
崖の下には白い砂浜が広がっており、
砂浜から見上げるその別荘は、
島を見下ろすように、
ただ静かに佇んでいた。
少し遠いが、
行けない距離ではない。
胸の奥で、
何かが小さく、音を立てた気がした。
春は、衝動に突き動かされ、
白い砂浜へと足を向けた。
そこに行けば、
彼方に会える気がした。
会って、どうしたいのかは分からない。
それでも――
ただ、
彼方の心に広がる闇を想像すると、
放っておけなかった。
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