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第11話 後編・命を賭ける理由
時間が過ぎるのは、あっという間だった。
蓮が別荘へ戻る時間になり、
空は夕暮れの光を受けて、やわらかな橙色に染まっている。
直哉を主治医に任せているとはいえ、
蓮が長く傍を離れるわけにはいかない。
そのことは、春にもよくわかっていた。
竹藪に挟まれた小道を、並んで歩く。
昼間よりも風は少し冷たく、
葉擦れの音が、静かな帰路を彩っていた。
歩きながら、
春はずっと胸の奥に引っかかっていた疑問を、意を決して口にする。
「蓮さんは……どうして、
僕が彼方に命を吹き込んだことが、わかったんですか?」
一瞬の沈黙のあと、
返ってきたのは、思いもよらない答えだった。
「俺には、白鷺の――
お前の生命力が視える」
「……え?」
「蜃気楼のような、青白い発光体が、
体の周囲を取り囲んでいる」
淡々とした声音で語られる言葉は、どこか現実離れしている。
それなのに、春の中で、ストンと何かが腑に落ちた。
「その生命力が、
彼方に触れるたび、削り取られていくのが見えていた」
春は、思わず息を呑む。
「それって……
白鷺の力とは別に、生命力も視認できるってことですか?」
「ああ。
お前の体から溢れ出る白鷺の力と、
体を包み込んでいる生命力――
その両方がな」
「それも……黒鷺の能力の一部なんですか?」
「そうだ。
白鷺の能力が強ければ強いほど、
より鮮明に映る」
その言葉を聞きながら、
春は、蓮の見ている世界を思い描こうとした。
自分には見えないもの。
感じ取れないもの。
――同じ景色を見ているはずなのに、
きっと、世界の在り方そのものが違っている。
ゆっくり歩いていたはずなのに、
小道を抜けるのは驚くほど早く、
気づけば門扉の前に立っていた。
「今日は、ありがとうございました。
明日も……よろしくお願いします」
そう礼を告げると、
蓮は答えず、ただ春を見つめ返してきた。
視線が絡み、外せないまま、わずかな沈黙が落ちる。
その瞳は、
いつもよりも近く、いつもよりも深かった。
「……なぜ、お前はそこまでする?」
低く抑えた声が、
夕暮れの空気に、静かに滲んだ。
「……?」
問いの意味をすぐに飲み込めず、
春は小さく首を傾げる。
蓮は視線を逸らすことなく、静かに言葉を続けた。
「彼方とも、直哉とも、面識はなかったはずだ。
ほぼ見ず知らずの他人のために――
なぜ、自らの命を賭けようとする?」
探るような、見定めるような色が、
切れ長の瞳の奥に浮かぶ。
「それとも……
彼方に命を吹き込む行為が、
どれだけ危険を伴うか、
まだ理解できていないのか?」
「……理解は、しているつもりです」
春は、少しだけ間を置いて答えた。
「でも、彼方も直哉さんも……
今はもう、他人じゃないです」
彼方と初めて出会った日のことが、脳裏をよぎる。
「彼方に会って、
彼方の苦しみを知ってしまったから」
言葉を選びながら、
一つひとつ、胸の内を吐き出していく。
「心の底からの懇願を、聞いてしまったから。
それを叶える力が、もし僕にあるなら……」
春は、はっきりと顔を上げた。
「……何もしない、っていう選択なんて、
僕にはできないです」
まっすぐに、蓮の瞳を見つめる。
沈黙が、二人の間に落ちた。
風に吹かれた竹藪が、一斉に音を立てて揺れ動く。
そのざわめきの中で、
蓮の瞳の奥が、かすかに揺らめいた。
――迷いか。
それとも、別の何かか。
己の内側と向き合っているような、そんな間。
やがて、蓮が静かに口を開く。
「明日までに、
今日覚えたことを、完璧にこなせるようにしておけ」
言葉を区切り、
わずかに声を落とす。
「……まずは、そこからだ」
それだけ言い残し、
蓮は踵を返して歩き出した。
春は、その背中に向かって、
もう一度、礼を告げる。
夕暮れの中、
蓮の姿が見えなくなるまで、
春は静かにその場に佇んでいた。
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