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第24話 約束の日
商店街通りは、祭りに訪れた人々で賑わっていた。
太鼓とお囃子の音が途切れることなく響き、
闇夜に照らされた提灯は、どこか幻想的だ。
自然と胸が高鳴り、高揚感が込み上げてくる。
直哉と彼方は、屋台をひとつひとつ覗き込みながら、ゆっくりと歩を進めていた。
「直哉さん、手を繋ごう」
そう言って、彼方は直哉の指に、そっと自分の指を絡ませる。
その仕草に、直哉は思わず目を見開いた。
「……いいの?」
戸惑いを隠せず、確認する。
外出する時、彼方はいつも、必要以上に周囲の目を気にしていた。
二人で出かける時は、決まって過度な接触を拒み、
あくまで友人同士のように振舞った。
それに寂しさを覚えないわけではなかったが、
無理強いをして彼方の心に負担をかけたくはなかった。
「うん。もういいんだ」
彼方は、何かが吹っ切れたような、凪いだ瞳で言う。
嬉しいはずなのに、直哉の胸の奥には、言いようのない不安が渦巻いた。
それを振り払うように、彼方の指を強く絡め取る。
――彼方は思う。
今まで、なぜあんな瑣末なことに縛られていたのだろうか、と。
時間は有限だ。
大切なのは、周囲の目ではなく、
直哉と過ごす、かけがえのない時間だったはずなのに。
屋台を一通り見終えると、二人は商店街を抜け、
星空のよく見える高台へと向かった。
眼下には、祭りの灯りと、
小舟に浮かぶ無数のランタンが広がっている。
息を呑むほど、幻想的な光景だった。
「直哉さん、綺麗だね」
眩しそうに目を細める彼方の瞳には、
眼下の灯りがゆらゆらと映り込んでいる。
その横顔を見つめていた直哉は、ふいに、彼方の体が透けたように見えた。
ほんの一瞬。
瞬きをするほどの出来事に、心臓がどくりと脈を打つ。
――気のせいだ。
高台には、月と星の光しか届かない。
ただの見間違いだ。
そう無理やり言い聞かせるが、
胸の奥に沈んでいた不安が、再び顔を出す。
確かめるように、彼方へと手を伸ばした。
温もりに触れて、安心したかった。
指先が触れようとした、その瞬間。
「おやまぁ、こんなところに人がいるだなんて」
しわがれた声に、直哉と彼方が同時に振り返る。
そこに立っていたのは、地元民だろうか。
腰の曲がった老婆だった。
何度か腰を叩き、「歳には勝てんのう」と呟いている。
「ここからの眺めは、綺麗じゃろう」
ふいに問われ、直哉は穏やかに頷いた。
「ええ。見に来られて良かったです」
言いながら、彼方の手を取り、ぎゅっと握りしめる。
「精霊祭の由縁は、知っておるかい?」
老婆の問いに、直哉はわずかに考えてから答えた。
「島に降りかかる災厄を退け、
人々の暮らしを守っている神——精霊神に
感謝を捧げる祭り……ですよね?」
老婆は、短く息を吐くと、首を左右に振って見せた。
「それは、人の子らが、
真実を都合よく捻じ曲げて作り上げた
ただの夢物語じゃよ」
老婆の目は、ここではない、どこか遠くを見つめていた。
「精霊神は“魂の導き手“じゃ。何も守ってなどおらん」
彼方の肩が、ピクリと反応する。
「精霊神は唯一、
役目を終えた魂を、常世へ導く“門”の役割を担っておる」
一陣の冷たい風が、高台を吹き抜け、肌を撫でつけていった。
「じゃが――」
老婆の声が、静かに続く。
「魂が残した痛みや、未練、
この世の想いまでも、
精霊神はすべて引き受けてしまう」
木々が、一斉にざわつき始める。
葉擦れの音が、まるで何かを囁いているかのように響いていた。
「それが積もり積もれば、
島に“災い”として滲み出る」
直哉の背筋を、ひやりとした感覚が走る。
「……精霊神は、災いを遠ざけるのではなく、
災いをこの地に生み出す存在……ということですか?
では、この祭りは――」
問いかける直哉に、老婆は小さく頷いた。
「精霊祭は、
精霊神に溜まった澱を洗い流すための儀式じゃ」
老婆の目が、祭りの灯りを映す海へと向けられる。
「精霊祭りが
精霊神を浄化し“空”にする。
そうして、精霊神は再び、
魂を常世へ送る役割を担うのじゃよ。
結果、島の安寧も約束される」
その言葉に、彼方の喉が、かすかに鳴った。
沈黙が落ちる。
夜風が強まり、
高台の空気が、張りつめた糸のように震える。
「生きとし生けるもの、
すべて等しく、役目を終えれば、
行くべき場所へ還る」
老婆の声が、空間に響き渡り、空気が振動する。
次の瞬間――
突風が吹き荒れた。
立っていられないほどの強風に、体が持っていかれそうになる。
直哉は咄嗟に、彼方を抱きしめた。
『道を違えるな。かつて人であったものよ』
夜の闇に反響した声は、やがて風と共に消えた。
気づけば老婆の姿はなく、高台は静寂に包まれている。
――まるで、別世界に迷い込んだかのようだった。
やがて、遠くから祭りの音が戻ってくる。
安堵の息を漏らし、腕の中の彼方へ視線を落とす。
「かな……――」
言葉は、最後まで紡がれなかった。
「……かなた!!」
彼方の体が、透けている。
その向こう側の景色が、はっきりと見える。
驚いたように目を見開いた彼方は、
やがて静かに睫毛を伏せた。
「かなた!?」
抱きしめた際に感じた、彼方の温もりが消えている。
直哉の腕は彼方をすり抜け、空を切った。
直哉の顔が、絶望に染まる。
――また、失うのか?
また、あの地獄の日々が繰り返されるのだろうか。
「……直哉さん」
彼方が、直哉を見つめる。
「そんな顔、しないで。
僕は大丈夫だから」
頬に触れた指先には、確かな感触があった。
気づけば、彼方の体が元に戻っている。
「ね? 大丈夫でしょ。」
直哉は、何も言うことが出来なかった。
ただ、絶望に染まった瞳で、彼方を見つめるだけ。
「……直哉さん、家に帰ろう?」
そう言って、彼方は直哉の手を引いた。
ただ、黙って彼方の後ろを歩きながら、
直哉の瞳から涙が溢れ、零れ落ちていく。
ただひたすらに、この温もりを失うことが、怖かった。
彼方は夜の闇を見据え、老婆の言葉を思い返していた。
あれが何者だったのかは、わからない。
ただ一つ確かなのは、人ではなかったということ。
――道を違えるな。
あれは、確かに、自分に向けられた言葉だった。
だが、もう後戻りはしない。
彼方の目には、直哉と共に生きる未来しか映っていなかった。
春は、まだ生きている。
だから――春から、すべてを奪えばいい。
そうすれば、この先もずっと、
直哉さんと、生きていけるのだから。
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