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第7話

 南門に到着するとすでに衛兵たちと魔獣が激しくぶつかり合っていた。金木犀は燃やされ、消火活動をしている者もいる。  レナードは最速で魔獣たち斬り伏せ、近くにいた衛兵に声をかけた。  「怪我はないですか?」  「数人負傷しています」  「マズイですね」  血の匂いに釣られて山から魔獣がおりてくるだろう。陽は沈み、雲の隙間から星が瞬き始めている。  魔獣の動きが活発になる時間だ。  「ギャアアアアア!!」  「ピイイイイ!!」  魔獣の咆哮に衛兵たちは一瞬怯んだが、剣を構え直した。今日まで街を護ってきた自負があるおかげで気迫がある。  レナードも気を引き締めて剣の柄を握り直す。隣のフリッツは詠唱を始め、武器を作ろうとしている。  空気中の水分を凍らせ、杖に集まっていく。光り輝く細い剣に衛兵たちは目を瞠った。  「これがあの「氷剣の胡蝶」か」  衛兵たちからの眼差しを受け、フリッツは得意げに微笑んだ。  「自分が道を開きます。援護をお願いします」  「はいよ」  レナードは自慢の脚力で魔獣を翻弄しながら一か所に集め、フリッツが魔法と剣技で薙ぎ倒すとあっという間に鎮圧できた。  氷剣を肩にかけたフリッツは周辺を見回している。息がある魔獣はいない。  「こんなもんか」  「結構あっさりでしたね」  魔獣の数は多いものの、人の血を吸って強くなったとは思えない。あまり手応えを感じなかった。  「まだです。ボスが来ていません」  衛兵はじっと山の麓を睨みつけている。遅れてただならぬ気配が風に乗ってやってきた。  肌がピリピリする。  「来る」  誰が最初に言ったのかわからない。だが魔獣を認識する前に衛兵たちが風に吹き飛ばされていった。  「ぐあっ」  「うわああぁあ!!」  衛兵が一人、また一人と飛ばされ壁や木に叩きつけられていた。突然竜巻が起こり、人も木も薙ぎ倒している。  竜巻が止むと気配がなくなった。  なにかいる。だが目視できない。  じっとりと汗が額に浮かび、レナードは息を潜めた。   (こんな魔獣、いままで出会ったことがない)  竜巻が離れた場所で怒り、また一人が風に吹き飛ばされてしまう。  陽は完全に沈み、松明のわずかな光量の中で無闇に剣を振り回して味方を傷つけるわけにはいかない。  レナードは咄嗟にフリッツの背中に寄りかかった。主君だけは絶対に護らなければならない。  フリッツの背骨にぐっと力が漲っている。  「見えない魔獣とはかなり厄介だな」  「はい」  「油断するな」  「わかっていますよ」  目を細めると竜巻が目の前で起こった。いる。  レナードは剣を振りかざす。が、感触がない。空振りだ。  「近くにいます!」  「わかっている」  白い息を吐くフリッツは意識を集中させている。空気中の水分を凍らせ、魔獣の動きを制限しようとしているのだろう。  だが魔獣は止まらない。竜巻を起こし、落ち葉のように衛兵たちを吹き飛ばしていく。  だがすぐ跡形もなく消える。  緩急のつけ方が上手い。知能があるのは明白だ。  レナードは集中力を高めるが、生物の呼吸すら感じられない。こんなことは初めてだ。  柄を握る手が汗で滑りそうになる。歯を食いしばり、指に力を込めた。  がんと激しい音と共に門柱がひしゃげるのが見えた。  大きな竜巻が雪を飲み込んで白い闇を作る。    「門がやられた! 中に入るぞ!!」  衛兵の叫び声にレナードは舌打ちをした。  「くそ! 急いで花火を打ち上げろ」  レナードが指示すると、ばんと空中に花火が打ちあがる音だけ聞こえた。  手を翳し薄っすらと瞼を開けたが吹雪に飲み込まれ視界が悪い。魔獣の正確な位置すら把握できなかった。  「フリッツ皇子! 風の盾を!!」  「やっている!」  フリッツは盾を錬成させているがぴしっぴしっと嫌な音がする。保ちそうもない。  「自分を上に飛ばしてください」  「はぁ? そんな危ないことできるわけない!」  「問題ありません!」  レナードが「早く」とせっつくが、フリッツは首を振る。  「駄目だ。そんな危ないところに行かせられない!」  「自分はミシェル様とは違うのです!」   レナードが叫ぶとフリッツは呆然としている。返事をされる前に続ける。  「護られるだけの姫ではありません。自分は、フリッツ皇子をお守りするためにここにいます。自分をあなたの手足のように使って、捨ててくださっても構わないのです」  フリッツのためならこの命も惜しくない。  彼が怪我をするくらいなら喜んで盾になる。  決死の覚悟を持って、幼少期より辛い訓練に耐えてきたのだ。  レナードが目を逸らさないでいるとフリッツは首を振った。  「きゃあああああ!」  街から悲鳴が聞こえる。誰か襲われたのかもしれない。  「早く! フリッツ皇子!!」  一度唇を引き結んだフリッツは詠唱を始めた。  「ーー吹き荒れる風よ。かの者を空に飛ばせ!」  レナードの身体が引っ張られるように空に飛び上がった。目を閉じないように瞼に力を入れ、歯を食いしばる。  吹雪を抜け出すと満月が近い。  レナードはすぐに体勢を整え、街に視線を向けた。竜巻は家屋を飲み込み、どんどん勢いを増している。  もう身を隠そうともしていない。  衛兵たちが矢を放っているが竜巻に吹き飛ばされて意味がなかった。  なにもかも吹き飛ばしながらまっすぐ北へ向かっている。まるで最初から狙いはそこだと言わんばかりに一切の迷いがない。  「パパぁー! ママぁー!!」  家屋の柱に隠れるように小さな女の子が泣き叫んでいた。どうやら親とはぐれてしまったらしく一人だ。近くに衛兵もいない。  竜巻の魔獣は子どもに気づいたのか、くるっと進路を変えた。  「くそっ……!」  レナードは空中を蹴り、地面へと落ちた。剣を構える。目指すは竜巻の真上だ。  竜巻の筒を抜けると上はガラ空きだった。魔獣の姿は見えない。気配はわかる。  レナードは渾身の力を剣先に込め、全体重をかけた。  ざんっ、と剣が突き刺さる。手応えを感じる。血飛沫が上がり、レナードの顔や身体についた。  「グッギャアアアアア!!」  激しく左右に揺れ抵抗をする魔獣だが、レナードは決して柄を離さなかった。さらに身体の奥へ突き刺すように体重をかける。  魔獣はもう一度絶叫すると動きが止まった。レナードは柄を握りしめたままゆっくりと顔を上げる。  「……やったか」  風は止んでいる。足元を見るとようやく魔獣の正体がわかった。  巨大な黒い毛玉だ。目は一つしかない。周りには黒い血の海が広がっている。  レナードは魔獣から飛び降り、女の子の元へ駆け寄った。  「大丈夫か?」  「あっ……あ」  「すまない。怖いよな。怪我はしていないか」  レナードは膝をついて、できるだけやさしい声音を心がけた。どうしても厳つく大柄な自分は子どもを怖がらせてしまう。しかも返り血まで浴びてしまっている。トラウマになりかねない容姿をしているだろう。  少し距離を取るつもりで下がると女の子は手を伸ばしてレナードにぎゅっとしがみついた。  「こ……ごわがっだあああぁあ!!」  せきを切ったように泣き出した女の子は目や鼻水、涎を撒き散らしている。小さな身体はガクガクと震えていた。  レナードは紅葉のような手をそっと掴んだ。  「もう大丈夫だ。早く避難しよう」  「ゔん!」  歯抜けの笑顔を見て、レナードはようやく深く息を吐いた。よかったという安堵が胸に広がり活力をくれる。  駆け寄ってきてくれた衛兵に女の子を託し、レナードは先程の魔獣を仰ぎ見た。  黒く丸い毛玉で身体の大半が目である不気味な生き物だ。手足はなく、コロコロ転がって動くのか毛先に泥や雪がついている。  けれど熊より二回りほど大きく、かなり巨体な魔獣だ。  「怪我はないか!?」   息せき切って現れたフリッツにレナードは微笑を浮かべた。  「問題ありません」  「そうか。相変わらず無茶をするな。おまえといると心臓がいくつあっても足りないよ」  「反省はします」  「大いに反省して、もう二度としないと誓って欲しいくらいだ」  「それは無理な相談ですね」  自分はフリッツの盾になると決めているのだ。  フリッツは眉間に皺を寄せたが、それ以上責めてこなかった。  「これが魔獣か?」  「見たことがない種類ですね」  フリッツは険しい顔で倒れた毛玉の魔獣を観察している。  魔獣は本来動物と似たような形態をしているものだ。綿毛のような個体は見たことがない。  「人の血肉で成長したのでしょうか」  「その可能性が高いな。後で調べさせよう」  フリッツも同意見だったのか慎重に頷いている。  なんとも不気味な魔獣だ。  (だがこんなあっさりしていいのだろうか)  手応えはあったものの達成感がない。脅威がなくなり、すべて解決したと楽観視できなかった。  まだ金木犀を燃やした犯人は見つかっていない。そいつの目的は? なぜ領地を次々と襲わせているのだ。  そしてなぜブランデン辺境地だけ毎日のように襲撃させているのか。  レナードの咥内は砂が入ったようにざらついて気持ちが悪い。  フリッツは近くの衛兵に声をかけた。  「怪我人の手当てを優先。残った者は魔獣の分析を急ごう」  「はい」  衛兵は威勢よく返事をして、仲間たちに声をかけに行った。  建物はいくつか壊されてしまっているが、この暗い中下手に動きまわるのは危険だ。全容を確認するのは日が昇ってからになるだろう。  幸い領民のほとんどは城に避難が済んでいるようだ。  状況を確認しているレナードはふと足を止めた。  磯の香りがする。  なぜだ。  心音が嫌な鳴り方をする。  ここは山奥だ。  近くに海なんてない。  「ピィ……ギッギギギギギィ」  唸り声をあげながら毛玉が起き上がった。頭のてっぺんにレナードの剣が刺さったまま、ゆっくりと転がり始めている。  まるでそうしなければならないようにどこか差し迫った様子だ。  「こいつ、まだ死んでないのか!」  フリッツは素早く杖を構え、詠唱を始める。が、魔獣の動きの方が速い。  魔獣は負傷しているとは思えないほどのスピードでフリッツ目がけて突進した。  「フリッツ皇子!!」  レナードが庇うよりも先にフリッツの身体は宙を舞う。牧草ロールのように軽々と二階建ての屋根まで吹っ飛んだ。がしゃんと瓦が割れる。割れた瓦の残骸が雨のように落ちてきた。  屋根からフリッツの足がだらりと垂れている。動かない。ピクリともしない。  「……フリッツ」  絶望感でレナードは呼吸の仕方を忘れてしまった。  数十秒、いや数秒にも満たない時間だろう。レナードは正気を取り戻し、魔獣を睨みつけた。  「……っ貴様!」  レナードは剣帯に手を伸ばしたが、愛剣は魔獣に刺さったままだ。武器がない。  「剣を寄越せ!」  レナードは衛兵から剣を受け取り、柄を握った。少々軽すぎる。でも文句は言っていられない。  魔獣はノロノロとフリッツの方へと向かっている。さすがに竜巻を起こすほどの気力はないようで足取りは重い。隙だらけだ。  「よくも、フリッツ皇子を!!」  レナードは背後から魔獣を斬りつけた。だが蒲公英の綿毛のように毛が霧散するだけで斬った手応えがない。  「このっ! なんだ、コイツ!!」  何度剣を振るっても空気を斬っているかのようだった。  レナードが攻撃しているのに気づき、魔獣はゆっくりと振り返った。闇のように深い目を向けられる。  虹彩が一切ない暗い瞳だ。絵具で塗り潰したように瞳孔は黒く、生気を感じられない。  レナードは恐怖で怯みそうになったが、ぐっと奥歯を噛みもう一度剣を振り上げた。  ーーざしゅっ!!  先ほど助けた女の子の悲鳴が鼓膜を震わせている。でもなぜか声が耳に届かない。  時間がいやにゆっくりと流れる。  魔獣の動きがじれったくなるほど緩慢だ。  隙だらけじゃないか。  いまがチャンス。  早く倒さなければもっと被害がでる。  かん、となにか落ちる音と共にレナードの膝が崩れ落ちた。  視界が真っ白な雪になる。  赤い点々とした雨が降っていた。  (なにが起こっている?)   状況を確認したいのに身体が鉛のように動かない。  「ーーお兄ちゃん!」  耳をつんざく女の子の悲鳴がやっと耳に届く。大丈夫。問題ない。そう答えようと口を開くとレナードはかはっと乾いた咳と共に血を吐き出した。  (血? 一体誰の?)  後から脇腹が燃えるような痛みを連れてきた。  視線を下に向けると外套が血でぐっしょりと濡れている。立ちのぼる鉄の匂いが不愉快で眉を寄せた。  攻撃されたのだ。  「すぐに医療班の元へ!」  衛兵が叫んでいる。その声がどんどん遠ざかっていく。  視界のすみに未だだらりと垂れ下がっているフリッツの足が見える。  (だめだ。意識を失っている場合じゃない)  膝を立て、レナードは顔を上げた。  毛玉の魔獣はレナードに興味をなくしたらしく、転がりながら器用に壁を登っている。どうやらあいつの狙いはフリッツらしい。  魔獣の目的を察し、レナードの命は燃え上がった。  「……行かせない。あの御方のところになんて」  レナードは脇腹を押さる。血がとめどなく溢れ、地面に湖ができた。身体が重い。  手袋が血でくっじょりと濡れてしまったので、投げ捨てた。  いつ毛玉に攻撃されたのか見えなかった。  魔獣はまだなにか隠し持っている。  それを暴くまで倒れるわけにはいかない。  奥歯を噛んで耐えると、口の中が鉄の味がした。  転がった剣を握った。  闘志はある。  五体満足だ。  やれる。  フリッツを守るのだ。  レナードは深く膝を曲げて屋根まで跳躍した。  「フリッツ皇子!」  声をかけるがフリッツは気を失っているようだ。  額から血が垂れている。でも息はある。  目視できる限り、怪我は額だけだ。だがどこか骨が折れている可能性はある。  一刻も早く医者に診せるべきだ。  レナードはフリッツを庇うように前に立ち、切っ先を魔獣が来る方へ向けた。  ようやく毛玉の魔獣が屋根に上がり、洞窟の穴みたいな目を向けてきた。なにもない空虚な瞳には、レナードたちがどう映っているのだろう。  「こい。俺の主に手を出して、ただで済むと思うなよ」  「ピィイイイイ!!」  魔獣が吠えると同時に突進してきた。剣を振るがやはり感触はない。  (なぜだ、どうして斬れない!?)  焦りが背中から這い上がってくる。自分がやられればフリッツはどうなってしまうのか。もう傷一つつけさせないという誓いだけが、レナードの身体を動かしている。  だが視界がぐらつく。レナードの足元には血が滴っていた。  軸足を踏んばろうとすると血で革靴が滑ってしまい、体勢が乱れる。 マズイ。  その隙を見逃さず毛玉の魔獣は突進してくる。  咄嗟に受け身を取るとふわりと蜂蜜の香りがした。  「よく耐えたな。褒めてやろう」  きん、と風の盾が魔獣の巨体を弾いた。  レナードは隣を振り返って愛しい人の名前を呼んだ。  「……フリッツ、皇子」  「油断した。二人でやるぞ」  「はい!」  目頭が熱くなってしまったが、喉を締めつけてどうにか耐えた。いまは泣いている余裕はない。  フリッツは杖の先を魔獣に向けた。  「最大魔法でやる」  「はい」  「詠唱に時間がかかるが、あれだけ言い切ったんだ。食い止められるだろ?」  「もちろんです」  大きな魔法を使うときにはその分、詠唱にも時間がかかる。  その間フリッツを護る役目を貰え、どれだけ嬉しいかこの人はわかっていないだろう。  フリッツは歌うように詠唱を始めた。身体が白い膜に覆われる。  レナードは柄を握り直し、重心を低くした。不思議と脇腹の痛みを感じない。頭の中がクリアになり、魔獣の動きすべてが目に入る。  毛玉の魔獣は手足がないと思っていたが、下の方にナメクジのような黒い触手があり、月光のわずかな光にぬらりと反射している。あれに斬られたのだろう。  間合いを詰めて、レナードは瞼を開いた。だんと一歩踏み出すと瓦が割れる感触が足裏に伝わる。構わず剣を振りかざした。  さっきよりも深く斬り込んだはずなのに感触がない。なぜだ。なぜ斬れないんだ。  毛玉の魔獣は最後の力を振り絞るように飛躍した。マズイ。ここで竜巻を起こされるわけにはいかない。  肩越しで振り返るがフリッツはまだ詠唱を続けている。残り十秒ほどか。どうする。  そのとき、きらりと光るものが目に入った。顔を上げると魔獣の頭頂部に突き刺さったままの愛剣の柄が見える。  (なぜあそこは刺せているのだ)  いくら剣を振るっても毛を刈るだけだった。だが頭頂部には剣が刺さっている。  (そうか)  レナードは魔獣と同じ高さに跳躍をして、素早い剣技で魔獣の毛を削いだ。  「おまえの本体はこれか!」  毛をすべて斬り落とすと現れたのは子どもの背丈ほどの蛸だった。毛が多すぎるせいで巨体だと思っていたが、実体はかなり小さい。  毛を剥ぐとわずかだが磯の香りがする。  大きな目はそういう毛の模様だったのだろう。どうりで生気を感じられないわけだ。  現れた本体は触手をうねうねとさせ、レナードを斬りかかろうとしている。  (ここで留めだ)  最後の一振りをするため大きく構えたが、  柄を握り切れず落としてしまった。  だらりと腕は下がり、そのまま地面へ落下する。  (駄目だ。血を流しすぎた)  視界が歪む。  意識が遠のいていく。  この高さで落ちたら間違いなく助からないだろう。  志半ばで散るのはなんて無様だ。  でももう指先一つ動かせない。  レナードはゆっくりと瞼を閉じた。  「ーー吹き荒れる、雪嵐。我が刃となり、その者を失せさせろ!」  静寂が訪れる。音も光も時間さえも止まってしまったかのようになにも動かない。  レナードは重たい瞼を開けた。月を背にした雪の胡蝶が、天空に舞い上がっている。  空気中の水分を凍らせ、数千本の刃となって魔獣に向けられている。一分の隙がないほどの数はまさに絶体絶命だろう。  魔獣がひと鳴きすると氷の槍が一斉に動いた。魔獣の身体を何度も刺し、血が溢れ落ちていく。それでも槍の攻撃はまだ続く。  魔獣の原型がなくなるとようやく槍が消えた。魔獣の存在自体がこの世から消えている。  (よかった。終わったんだな)  戦いを見届けたレナードはきたる衝撃を待ち構える。が、一向に落ちる気配がない。どうしたんだ。視線を横に向けると家屋の窓に自分の姿が反射している。  どうやら空気中の水分が氷となり、ゆりかごのようにレナードの身体を受け止めてくれていたらしい。  戦いながらもレナードの身を案じてくれたのだ。さすが優秀なフリッツである。  「レナード!!」  飛んできたフリッツの顔に血と泥がついている。拭ってやりたいのに、レナードは指先一つ動かせない。  「しっかりしろ!」  フリッツに揺さぶられ、どうにか顔を動かす。血がどくどくと流れ続けているせいか酷く寒い。  寒くて寒くて凍えてしまいそうだ。  フリッツは負傷している脇腹に気がついたのか手で圧迫してくれる。だが血は止まる気配はない。  「おまえ……こんな血が。なぜ言わない!?」  「フリッツ、皇子を……護りたかったんです」  「なぜそこまでする?」  「それはーー」  フリッツの背後に虹が見えた。彼が初めて二つの魔法を発動させたときの虹だ。 天使の頭の輪っかのようにフリッツによく似合っている。  この美しい人のそばにいたい。  ただそれだけのために走り抜けた人生だった。いまその幕が終わろうとしている。後悔はない。  (でも本音を言えばもっと触れたかったな)  レナードが最後の力を振り絞り、手を伸ばすとレナードが握り返してくれた。  (幸せだ)  これでもう怖くない。  フリッツの番として天寿を全うできるなら、きっと天国でも幸せに過ごせる。  レナードは口を開いた。  「あなたの……騎士だからです」  「……レナード! 俺はーー」  レナードの身体が水の底に沈むように重たくなる。  なにも聞こえない。  不思議と恐怖はなかった。  ただ抗えない眠気に襲われ、レナードはゆっくりと瞼を閉じた。

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